人が最大の幸福を感じる時とは | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

幸福について考えてみましょう。
誰でもこの世で生きている人生の目的はそこでしょうから…

 

 

お金があったら幸福。
恋人がいたら幸福。
周りからちやほやされたら幸福。
地位や名誉が高かったら幸福。
格好いい車があったら幸福。
目指す大学に入れたら幸福。
スポーツに打ち込んで、優勝できたら幸福。
仕事がうまくいったら幸福。
美味しい食事を食べられたら幸福。


まあ、まとめたら、一つか二つに収束しますけど、これらはホントなのかと考える。
上の幸福を得た後、それらの後のことも考える。

欲望を満たしたら幸福、といった幸福なら、満たされている状態ですと
幸福を感じなくなくなるのです。

すると、今一段多く、あるいはランクを上げての欲望の追求になります。

際限が無くなると言いますか、限りないく欲望は大きく増していきます。

そして、そうした欲望の追求には「苦」が生じます。


釈尊の説いた生きることの全ては「苦」とする「一切皆苦」とは
そうした苦を満たすところに快楽がありそれを幸福と勘違いするのだ、
といったようなことを小池龍之介の本で読んだことを思い出す。

欲望の満足と便利さを求めるなら、一時の線香花火のような満足感は
得られるが、保つことは出来ず、次の線香花火的快楽を追うことになる。
これって、ネズミが餌を求めてクルクルとゲージの輪の中を一生懸命
回ってる姿を連想します。

疲れるでしょうね、ネズミ君。
しかし、疲れるほど走らなくてもいいでしょう。
普通の健康体を保ちつつ、前に向かって歩いていれば、

足ることの満足は充分得られるわけで、

疲れるほど追って走らなくてもいいのでしょう。

腹が減ったら飯を食べればいい、ただそれだけです。
こういうのを幸福と勘違いしていると、いつまで経ってもホントの幸福を
手にすることは出来ません。
要は、自分の外側に幸福を求めても、ホントの幸福はそこにないのです。

外側? 何それ?
ってあなた、外側があれば内側もあります。

外側から得られる満足は、環境の変化で変わります。
未来を保証するものではありません。
ホントの幸福とは、心の平安です。
心が平安と潤いに満たされ、未来に何の不安もなく、心に矛盾のないことです。

心の平安とは、あなたの内側にある精神的秩序、思考です。
顕在意識、潜在意識の中の思考ベクトルが超越意識にむかい
統一された状態です。

こうした心の平安を得ている人なら、



お金があったら幸福。
恋人がいたら幸福。
周りからちやほやされたら幸福。
地位や名誉が高かったら幸福。
格好いい車があったら幸福。
目指す大学に入れたら幸福。
スポーツに打ち込んで、優勝できたら幸福。
仕事がうまくいったら幸福。
美味しい食事を食べられたら幸福。


これらは人生を飾る、幸福を飾る素晴らしいことです。

しかし心の平安を得ていない人なら、
これらを追い求めることに空虚感が伴うでしょう。
当たり前なのです、基礎の出来ていない家のようなもので、
何かあったら、すぐ壊れてしまう。
基礎の出来ていない家です、そうした壊れることの不安に悩むのです。

顕在意識、潜在意識の中の思考ベクトルが超越意識にむかい
統一された状態の人。
こうしたところまで行かれた人なら、何ら、どのような欲望を持とうが
問題は無いのです。
そうした人なら、全ての欲望は主体命となり、主体命を成就することは
宇宙の生命活動と共にあり、それが人の最大の生きがいとなるものです。



潜在意識が清まり、心の平安を得れば、運命はまっすぐに
主体命成就にむかいます。

そしてその生命活動は、人類の高度な精神文化を構築することに貢献し、
そのように生きる時、人は最大の幸福を感じるのです。