古い本を整理していたら
我が心の師匠でもある仁さんの本が出てきた



初版年月日を見れば2019年11月
当時、毎月あったBeトレの会場で買った本



あれから全然読まないまま
もう5年近くになろうとしているなんて
時間がたつのってホントあっという間




懐かしくなって久しぶりに読み返せば
究極に不要な言葉を省いた
シンプルでいて心の真髄を得た
分かりやすい本だったんだと目から鱗が落ちた




あの時は分からなかった
やっぱり必死だったし
自分はどんよりしてたし笑い泣き
言葉が入ってこなかった部分が大きい




プロローグの初っ端に
今もまだ少し突き刺さる文章がある
それは




『どんな人も、ひとりで生きることができない』


『そして、あなたは他者を変えることができない』


『そのために、わたしたちは苦しみます。ひとりきりでは生きられないのに、自分では変えることができない他者とともに生きざるを得ないからです』


『人間関係をよくしようといっても、もともと無理難題を突きつけられているようなものです。いったいどうすればいいのでしょうか』





まさに、まさに
人と関わらずに生きていくのはできない


たとえば引きこもりになった
確かに外部環境はひとりきりになった


でも、内部環境 = 自分の思考や感情の中には
必ず他者が登場するから私を離してはくれない





「いったいどうすればいいのでしょうか」
その問い掛けに続けて答えが書かれていた。




「自由に変えられるものを生まれつき、あなたは持っています。それは…」





あなた自身
そして、自分自身への評価です





今読めばよく分かる
自分が自分にくだしている思い込みを変えろと
でもあの頃はこうとしか思えなかった





なんで私が変わらないといけないの?
理不尽なことしてくる相手が変わるべきでしょう
なんでこっちが折れなきゃいけないの?




… って
当時の私はめっちゃ思いました(笑)





ここがめちゃめちゃ苦しみどころ
ぜーんぜん、納得できなかった
私の方が正しいから絶対に譲らないもんと
苦しめた相手をどんどん悪者にする




だって損したくないから
だって私は悪くないから





でもこの思考が
自分をさらに苦しくしてるのは事実
正しさを証明したい、認めてほしい
私の味方になってほしいと意固地になる





でも、善と悪の2つに分け複雑にしてるけど
根っこにあるのは


言えなかった私
がまんした私


結果、自分も責め、相手も責続けて
いつまでも嫌な気持ちが消えない





言えなかった、がまんした
ここが解消されない限り解決にならなくて


同じ状況になった時に少しずつでも
勇気と覚悟を持って言うことで
それを言えた自分が
初めて自分の味方になれたからかな?
嬉しいのと少しずつ自信もできてくる




ま、めっちゃ時間かかるけどゲラゲラ




自分が変わるって
相手に譲る、相手に折れる、私の気持ちを消す
そんな意味じゃない




例えば、大混雑の駅や観光名所とか
右から左から斜めから
たくさんの人が行き交う場所を想像してみた



あれって、ぶつかる時もあるけど
ぶつからない方が多いと思う
自分が避けてるのもあるけど
いちいち避けてなんていられない



ここは我がまっすぐ行くぜって
意志を持って突き進む時って
真向かい、斜めからくる人が避けてくれる




アンテナが立ってるのか
テレパシーが伝わってるのか知らないけど
不思議に整いの秩序が生まれてる




コレと同じ理屈だと考えてみた
避けるのも、真っ直ぐ行くのも
相手からの命令ではなく、自分が決める



そうすれば混雑な場所を歩くようにぶつからない
時にはぶつかるけど笑





自分を変えることの意味は
自分の意思を尊重すること
自分に主体性があること


相手のために変わるのではなく
自分のために変わる


何やかんや言っても
いい意味で自己中にしかなれない
どんな言葉で飾ってもね



だから「いい人をやめる」って
もともといい人なんていないから
いい人でいようとすることすら滑稽かな



それに、いい人の言葉の定義が 
相手本位から発出されてるものだから
まやかされないように(笑)






ルンルン♪