今日は、グチです。


もうだいぶ前に注文しておいた写真の現像を受け取りに、

今日は、歩いて15分ほどの駅前の店に行きました。


昨日よりちょっと肌寒い風がありましたが、

それでも、12月とは思えないぽかぽか陽気でした。


娘は珍しくベビーカーを嫌がらず座り、

道行く人に「ばいばい」と手を振るなど、

機嫌も良かったようです。


さて、カメラ屋さんに着くと、私の前には

二人のお客さんが並んでいました。

すぐに終わるだろうと思って見ていると、

一人目の男性客は、現像した写真を受け取り、

その会計中に、店内に展示販売してある写真立てを

ゆっくり物色し、

「これにするわ、今出来上がった写真を入れて」

と、買ったたくさんの写真立てに

出来上がった写真を入れていくのです。

しかも、写真立てに一枚ずつ入れているのは、

自分ではなくて店員です。

自分の後ろには客が並んでいることを知っているはずなのに、

さらに、店員も気づいているはずなのに。

「お客様、申し訳ありませんが、ほかのお客様もお待ちですので

それはご自身でなさってください。」

と言っても決して訴えられるような場面ではありませんでした。


特急が止まるような大きな駅の、決して小さくはないカメラ屋。

いくら平日の昼間とはいえ、なんと店員は一人だけでした。

ほかに客がいなくて暇ならばともかく、

並んでいる客が明らかに見えているのに、

この対応には首を傾げました。


仕方がないので、先に買い物を済ますことにして、

20分ほどかけてのんびりしました。

もう空いただろうと、先のカメラ屋に戻ってみますと、

さっきにもまして長蛇の列!!

客の数に比例して、店員も3人に増えていましたが、

ちっとも回っていません。

レジでなにやら質問する客に対し、店員Aが答えようとします。

しかし、自分ではその質問の可否に答えることができなかったらしく

別の店員Bに相談します。

二人でも埒が明かなくて、店員Cまでもが参加します。

3人で1人の客に対応。

列に並ぶ私たちは、ひたすら待つしかないのです。


急ぐ旅でもないので、私はまた後日に出直すことにしました。

あのまま列に並んで待って、いらいらしても

まったく無意味だと思ったからです。


帰り道、ショッピングモールの休憩用のベンチで、

ひとり、ランチョンマットを敷き、

持参した水筒のコーヒー(紅茶かもしれませんが)を、

同じく持参したコーヒーカップに注いでお茶を楽しむ、

周りとはまったく違った時間軸で生きているような女性を見ました。


お世辞にも、きれいな人ではなかったし、

着ているものも持っているものも、貧相でしたが、

こういう人なら、今の私みたいに、他人に振り回されて

いらいらすることはないんだろう、と

少しばかり、悟りを分けてもらった気がしました。



今日はとっても天気が良かったので、

お昼ごはんのあと、娘と買い物がてら散歩に行きました。


春には桜並木だった川沿いの道は、

晩秋を迎えて、紅葉と冬支度の枯れ並木になっていました。


紅葉している銀杏の黄色と、まだ緑の常緑木、

そして、桜は、色を変えているものもあれば

枯れているものもあり、実にさまざまでした。

楓はなかったように思います。


となりの小学校の校庭には、

すべての小学校がそうなのかは分からないけど、

例によって大きな背の高い銀杏が並んでおり、

この木は、上の梢から順に色づいていくのだと、

初めて知りました。


娘は、今年の春とは違って、一人で歩いています。

もちろん、私の手を握っていはいますが

あの頃のように、ベビーカーの中で眠っているだけ

という赤ちゃんではなくなっていました。


ほんの少し前の景色が、

(実際には季節は巡っていますが)

今はまったく違った表情を見せて、

私と一緒に歩く、この小さい娘も確実に成長していることの

象徴にも見えました。


風で飛んでくる枯れ葉の、かさかさという音が

娘には新鮮だったらしく、

よちよち追いかけては、その小さい足で

踏んでいました。


次に季節が巡るとき、

私たちはどんな親子になっているのかな。

楽しみです。



今日は、娘が昼寝をしている間に

大好きな本を読むことにしました。


「ミラノ 霧の風景」という本です。

昔から何回も読んでいるけれど

読むたびに新しい発見や、新しい感覚を得ます。


イタリアに、わずかだけど住んだことのある私にとって

住んだ土地は違うにせよ、

その地に住む人々や文化、文学について

細かく、しかし、著者を通して大胆に書かれたこの本を

私は、本当にすばらしいと思います。


いつか、もう一度イタリアへ行きたい。

あの吸い込まれそうに蒼い空を見上げて、

茶色のクレヨンできれいに塗ったみたいに広がる

ウンブリアの中世都市の空気を吸いたい。

娘に、あの国の良さを肌で感じさせてあげたい。


本を読みながら、遠いあの国に思いをはせて

幸せな気持ちになった午後でした。

最近気づいたことなのですが、

娘が抱っこをせがむようになりました。


せがむと言っても、私の前にやってきて

りょうてを広げ、伸び上がるようなしぐさですが。


抱っこすると、今度は私の首に腕を巻きつけて

しがみつきます。

今まではなかった行動です。


以前、2歳の男の子を寝かしつけたとき、

彼も同じように、抱っこされると首にしっかりと巻きついて、

寝たと思って布団に降ろそうとしたその瞬間もまだ、

力をこめて抱きついてくるという行動に、驚いたことがありました。

娘には、まだそんなことはできないと思っていたのに、

最近の腕の力はすごいものがあります。


少しずつ、大きくなっているのを実感しました。

この子はもはや、赤ちゃんではないのだと。

私の赤ちゃんは、私の子どもになりつつあると。


かわいいと思うと同時に、少し切なくなりました。


今はこんなに私を必要としてくれる娘も、

いつかは、私の手を振り払って走り出す日が来る。

振り返って私に手を振り、遠くへ行ってしまう日が来る。


自分も通ってきたはずの、当然の成長が、

親になった今では、こんなに切ないなんて。

自分の両親も同じようなことを思っていただろうに。

私を大切に守ってくれていた、大きな手を

半ば強引に振り払って、私は自分の人生を歩き出した。

そのことを後悔しているわけではないけど、

もう少し親のことを考えてあげればよかったと

思うときもあります。


子どもだったときにはできなかったけど、

親になって、少しずつ親のことを考えてあげたい。

そして、いつか娘が私と同じように、

私たちの手を強引に振りほどいて駆け出す日が来ても、

ちょっとだけ涙を流しながら、笑顔で手を振りたい。


娘の大したことでもない、当然の成長を見て

そんな先のことを真剣に考えた親ばかの午後でした。



職場の先輩が結婚することになりました。

お相手は、私の友人でした。


知っている人が結婚する。

しかも、その相手のこともよく知っている。

となると、これほど嬉しいことはありません。

実際、そのニュースを聞いたときには、驚きとともに、

大きな喜びを感じました。


そもそも、友人を先輩に紹介したのは私で、

何人かで飲みに行った時にも、二人がくっつくことを

勧めてきました。

それが、私の知らない間に二人は愛をはぐくみ、

来年、年明けには結婚するのだそうです。


自分が結婚するまでは、人の結婚式に呼ばれるたびに

うらやましく思ってきました。

結婚しようと思う相手に出会えるなんて、

みんな本当にすごい!と思っていました。

いつか自分も、

「この人と結婚して、その先何十年も共にしたい」

と思えるような人に出会えるのだろうと夢見てきました。


結婚してからは、それまでとは違った幸せとかけがえなさを感じ、

結婚していない友人に対し、早く結婚すればいいのに、

とひとごとながらに思っていました。


結婚って決して簡単なことではないし、

この先何十年も添い遂げるという、一種の責任感や重荷を

感じることも確かです。

つらいことや、悲しいこと、悔しいこともたくさんあります。

どうしても乗り越えられないことだってあるかもしれません。


しかし、そんな不安以上に、自分だけの家族を作っていくという

幸福感もあります。

自分以上、相手以上に大切な存在を授かることもできます。

少なくとも私は、一人だったときよりも

人生が豊かになっていく気がします。

友人の結婚話を機に、そんなことを思いました。


友人の結婚を祝福すると共に、彼らの末長い幸せを

心から願います。



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