あの頃の未来に | 丼の底が見えて初めてご馳走さまが言える

丼の底が見えて初めてご馳走さまが言える

趣味がオーシャンパドリングなアラフィフの
美味しく食べたときの記録

2023年12月18日にテーマ転生

先週末

伊豆白浜で開催された

サーフカーニバル

全日本ライフセービング種目別選手権


1992年に白浜を中心に開催された

レスキュー92世界大会の

メモリアル大会でした。


1992世界大会のインタークラブ部門に

専修大学サーフライフセービングクラブで出場しました。


30年経ったいま

また選手として大会に参加したい。

この30年の

ライフセービング界の進歩を感じてみたい。

そう思って

選手に専念しました。

レースは全て恥ずかしい内容でしたが😱




2日通じて感じたのは、

足立正俊の弟子でよかった

と改めて確認できたこと。




水辺にいて

毎年繰り返し新しく出会う若者と向き合い

自分もさまざまな現場に立つこと。


一見

同じことの繰り返しに見えるかもしれない。

惰性や停滞と笑われるかもしれない。


でも

楽しくなければ続けられない。

そう

楽しいから続けてるわけで。


僕も楽しんでやっています。

師匠には敵いませんが。





メモリアル大会だから

いろんな方が訪れていました。

記念撮影をしてましたね。

その中に師匠はいませんでした。

師匠はスーパーバイザーという名誉職です。

なんで来なかったのか。

主催者が呼んだのかどうかは知りません。

どちらにしても

師匠は来なかったでしょう。

ホームビーチで資格講習会をやっていました。

そっちのほうが師匠にとって重要で

かつ

きっと師匠にとって楽しいでしょうから。




僕はあの2日で

たくさん思い出を振り返りました。


稲取岬を眺めながら、

いまではあそこを漕いで越えていったりしてるんだな、とか。


白浜から熱川に移った頃のいきさつを思い返したり、とか。


アラサーの頃、

ボードレースに打ち込んでた僕。

肝心のところで沈したりして

準決勝止まりの僕に

「お前出ても意味ないんだからそろそろ審判やれよ」

的な言葉を投げかけてきた

審判を務めてくれていた複数の先輩、とか。

その「意味」ってなんだ?

とイライラしながら

負け続けても選手をやり続けたっけなー、とか。


30年経ったいま

いろいろ進化していました。

僕がやってきたことが

少なからず良い意味で影響しているのも感じられました。


あの頃

何に対してもイライラしていた僕に向かって

「そのうちいろいろ受け入れられるからもう少しがんばれ」

と心の中で言ってやりました。






あの記念撮影に写っていない師匠が

僕には一番かっこ良い人です。


ヒデアキ

浜辺に立ち続けて

行動で問題提起するんだ。

そうでなくちゃ

面白くねえだろ。


2012年8月

師匠の講習会を受けに行ったとき

夜にご一緒した風呂で

当時の悩みを相談したらこう言われました。

師匠の教えを自分なりに咀嚼してやってきたことを言語化してもらえて

それまでがあながち的外れじゃなかったとわかり、

これからどうしていけば良いかくっきり見えた、

あの風呂のシーンが脳裏に蘇りました。


白と青が鮮やかな白浜の風景越しに。


切り口を変えたら

他にもいくつか言いたいことがあります。

感謝や苦言やあれやこれや。


まあ

それはまたの機会か

お蔵入りか

酒の席でニヤリ


これからも

足立正俊の弟子としてやっていきます。


師匠がいてくれてよかった。



(2012年8月 大洗海岸にて)




(9月の中日本選手権、オーシャンマンに出ます)