9月の大雨で、様々な予定がかなり後倒しになりました。
楽しみにしていた、朝日カルチャー教室、
内田一也さんの「レイライン講座」も、
ご本人が、やはり大雨の影響で取材の予定が延期、
それで講座も延期、になりました。
とはいえ、26日に行われ、また面白い話しを伺ってきました。

それで、私めはというと、
9月上旬に回る予定だった神社、お寺を
大雨の次の週に、集中して回ってきました。
まず、伊豆、下田市の白濱神社 
ここは、海に面していて、綺麗だったなあ。
ほんと海岸の砂が白かった。
それから、一日おいて、鹿島神宮&香取神宮、
ちなみに鹿島の奥宮は内田さんが「一番怖い場所」と言っていました。
私はそんなに感じなかったけど。
鹿島、香取の鳥居は遠く諏訪大社を向いていて、
諏訪の神様を牽制しているそうです。
その週末には、成田山新勝寺と近くの麻賀多神社、
麻賀多神社は、これも偶然知ったのですが、
「日月神示」を書いた岡本天命の自動書記が始まったところ。
小さいながらも、凛とした、エネルギーに満ちた社でした。
今週はトリにふさわしく、比叡山延暦寺に。
修学旅行以来だったけど
どちらかというと、高野山よりも山頂に着くのは大変だったぞ。
よくまあこんな山のてっぺんに、お寺を建立する気に
なったもんだ、コンビニだってないのに…。
と、ろくでも無い事を考えつつ、
ケーブル、ロープウェー、バスを乗り継いで
山頂、根本中堂へ。
観光客が多いとはいえ、流石深山、山の霊気に包まれて
良い感じの時間を過ごせました。
ただねえ、観光客に 大鐘をどんどん突かせるのは、
頂けないなあ。
鐘の音が作る波動がめちゃめちゃだと、周囲にも
影響及ぼすよー。

あー、とにかく忙しかった。

いえ、別にパワスポ巡りではございません。
セルフパワスポ、と言われればそうなんだけど、
これはリーディングをしてもらって、
来年から空亡が始まる私に
今お参りをしておくと良い神社、仏閣を出してもらい
その時期を乗り切る事ができるように、
という前倒しお願い巡りでした。

とはいえ、まずはその場所のクリアリングを
意識する事から始めます。

まあ、できるだけの事はしてきたつもりですが、
「神様が出て来て、挨拶してくれました」などの
ビジョン等とは一切無縁でした。

どちらかというと、香取のお土産、成田のお土産
京都のお土産を
ゲットするほうに意識が集中してたかなあ。

先週末は、久々のビパーク(野宿)をしてきました。
滝の傍に寝袋を広げ、焚き火を起こし、
皆がそれぞれ持ち寄った食べ物やお酒を酌み交わしての
晩餐。
星空を見上げながらの就寝。
何とも言えない至福の時間でした。

豪雨で水量が増した、ごうごうという滝の音を聞いていると、
その力強さに圧倒されます。
そして梢を抜ける風の音と相まって、
地球の交響曲の一節を聴いているような心持ちになりました。

もしかしたら、全ての言霊、全てのマントラは
この時空に最初から存在していて、
ただ人間はそれを何らかの方法で
虚空から形を引き出しただけかもしれません。

ところで、なんでこのシリーズが
「カラオケ開運」なんですか?という質問を受けました。

開運とは、
ポジティブな事を言い続ければそうなる、
というものでもない。

自分の中にある、いわゆるネガティブなものに焦点を
当てる事も必要な時があります。

その時に、あ、私ってこんな事考えていて、なんて酷い人間、
なんても思わなくて良いです。

人間なんで、心の中には、さまざまな感情の「滓」みたいなものが
溜まっています。
例えば、3年前に上司に言われた一言がずっと引っかかっていたり、
母親に怒りを憶えていたりなどなど。
これを瞑想などで流すのも良い方法ですが、
一旦「私の心の中には、こんなものが入っているのねー」
と認めて、
思い切り「上司のばかやろー」と怒鳴るのは、
最上の解決法とは言えませんが、
溜まっているエネルギーを動かすにはいい方法です。
朝早くの浜辺でやると最高ですが、
その条件が整っていない人が圧倒的に多いので、
どんなに大声出しても文句を言われない
カラオケルームなどで、一度発散をしてみる。

そう、カラオケ開運とは、
まず発散する→それがどうして起ったのか、冷静に客観的に捉える→
もし同じ事が起りそうなとき、どういう心持ち、態度で臨むか決意する
なんです。
これが最初から「冷静に」では、人によっては
こみ上げる感情に押し出されて、
なかなか客観視できず、半端な感情の応酬に走る場合もある。

びりびりと思いっきり新聞を破るのでもいいのです。
(ただし、自分の中の嵐が去ったら、
後できちんとお掃除しておきましょう)
人やペットに当たるよりは、なんぼも良い。
(壁や食器に当たるのも良くないです。後始末大変です)

人の気持ちは、天候と同じで穏やかな時もあれば、
先々週の豪雨のように、川が決壊しそうに荒れている時もある。
湿っている時もあれば、かさかさに乾いているときも。

それが自然というものであり、
いつも5月の初夏のような爽やか、湿気もない気持ちで
いないといけない、というのは「反自然」です。

大事なのは、例えば、今は自分が梅雨時の状態だと
「知って」、それに対応すること。
梅雨時だと傘や雨靴を準備しますよね。
湿気が多かったら、除湿器を使い、
乾燥していたら乾燥機を使うように、
私たちの心の状態に合わせて
それをなんらかの方法で
「均して行く」

バランスをとっていく、
というのでしょうか。

「開運」には、まず「自分が感じているものを認める」
そして「流す」、「発散する」

そうすると、自分が本当に欲しい開運て
なんだろう、と目的が見えやすくなります。





遅ればせながら、
数ヶ月前に話題になった新書、
下重暁子著 「家族という病」 幻冬社刊 を最近読みました。
NHKの元アナウンサーであり、その後民放のキャスター等を経て
現在、執筆活動をなさっている女性です。
その内容はかなり舌鋒鋭く、日本の家族関係の危うさを
切り込んで指摘しています。

ちょっと、目次をご紹介するとー
・家族を盲信する日本人
・家族の期待は最悪のプレッシャー
・夫婦でも理解し合える事はない
・家族に棄てられて安寧を得る事もある etc

ずきずきする言葉が続きます。

もちろん、下重さんの意見でもあり、
全体がそうだとは言い切れない部分もありますが、
ご自身の生い立ち、ご両親の事も
かなり細かく記してあり、
その中で特に私の興味を引いたのは、
お父様についての記述でした。

もともと絵を描くのが好きで、画家になりたかったのに、
戦前の「軍人」の家、しかも長男に生まれ、
将校となるべく教育され、しかるのち将校となったが故に
終戦後は職を追われ、
家族を抱えて生きて行くために、
色々な事をせざる得なかった方で、
その鬱憤は家族にも向けられ、
年頃の下重さんは「変節した」父を観るのがいやで、
暗い家庭だったと述懐しておられます。

これまで何度か書いて来た事ですが、
時代、そしてその時代に飲まれる家庭が
小さい子供に求めるものは、
抗い難いものがあります。
今の世なれば、
絵を生業とする事にさほど反対する
親はそれほどいないと思いますが、
戦前の軍人の家庭では、
まさにタブー的な、あってはならない
事だったのではと、想像に難くありません。

いや、今だってご家庭によっては、
親の求める世界に子供を当てはめようとする
場合もあるかもしれません。
お子さんの行きたい方向が、親の望みと同じだったら
あまり問題はないのですが、
これが180度違うと、とんでもない悲劇が
生まれる場合もあります。

下重さんは、早くから独立を志し、
家を出て自活を始めて
自分の人生設計を構築しましたが、
全てのケースがそのように自立独立を
できるとも限りません。

親の求めることを受け入れられない自分に
罪悪感を持ったり、もしくは親に過度に反抗したり
する場合もあります。

このテーマは、本来の「開運」とは少し違うので、
この辺りで止めておきますが、
ただ、自分が本来やりたかったことを
時代や大人の要求で阻止されて、
そして時代の波に翻弄され、
ご苦労を重ねられた方の心中を思うとき、
現代の私たちは本当に「自由な選択」をしているのだろうか、
と思うのです。

このところずっと「開運」について
思うところを書いていますが、
「開運」の前に
自分が進みたい道、は
「誰かの期待」ではないか、
得たいものは「何かの刷り込み」ではないか、
という疑問を持つ事は良いポイントです。

刷り込みや他人の期待、から手に入れた物は
本当の満足を与えてくれないかもしれません。
他人の承認がないと、それを手に入れた、という
自分自身への承認ができなくなるからです。
また、それは盲目的に「次の目標」に駆り立てるかもしれません。

いえいえ、清貧になろう!と言ってるんじゃないですー。
とんでもない!
それから、どうしてもその状況の中で抗えないことだって
でてきます。

でも、ほんとうに自分が望むものってなんだろう、
と時々棚卸しをして点検してみるのも良いですよね。

私にはこの「家族という病」がひとつのきっかけでした。