屋久島から戻ってきました。
4回目にして初めての「縄文杉」に会いに、
山中2泊、民宿1泊の旅でした。
水と樹々と巨石の王国、屋久島から帰る度に、
しっかり大地に根づいて生きようー、
という気持ちになります。

山で泊まるトレッキングなので、装備が結構大変です。
最小限とはいえ、寝袋、食料、着替え等かなりの荷物で、
ザックの重さも含めると、10キロ近くなります。
しかも絶対必要な物が幾つかあります。

例えば真暗闇の中で作業、歩くためのヘッドライト。
今回、ミスで電池が切れてしまって慌てたけど、
(まったく照明のない真夜中の森の中で、荷造り、歩くことを
想像してみてください!)

その少し前に換えの電池が、
私をお取りください、というように
目の前に転がっていたので、
何の気なしに、いつも入れてある場所ではなく、
すぐに取り出せるポケットに入れました。
そしたらその電池切れ事件。すぐに取り出して
他の方にも迷惑をかけず
なんとか事なきを得たのだけど、
同じような事が他の場面でも起りました。
どうしてもこれがないと困る!というときに
それが目の前に何故かある。

その時、面白い感覚だなあと思ったの。
第六感が働いて、私が電池を取ったというより、
電池や他の「物質」が状況に応じて
顕われてくれた感じ。
これ、バーズの結果かなと思った。
現実が動く感じ。

勿論、かなり緊迫した場面なので、
必死度が、日常とは違う、というのはあるかもしれません。

最終日、
帰りのフライトまであと45分というところで、
お土産屋さんに、買ったお土産とお財布を忘れて来た事に
気がつき、これは一時パニクりました。
ガイドの人が「間に合うかなー!?」と言いつつ、
車を飛ばして取りに行ってくれました。
幸いフライトのチケットは持っていたので
最低限どうにかなったのですが、
あまり心の中で、出てこなかったらどうしよう
という気持ちが湧かず、
大丈夫、という核心の方が強かった。
それも無理に「大丈夫」と念ずるのでなく
本当にそうなっている、という感じ。
でも、ガイドさんは定刻までに間に合うかな?と思っていたら、
「前の瓶の到着が遅れていますので、
こちらの離陸が15分遅くなります」のアナウンス。
あ、これ?現実が変わった?
おまけにガイドさんもすぐに到着したので、
食堂でランチして、
旅の総括をする時間までありました。
かなりせわしないランチではありましたが。
急いでいた方には、遅延はアンラッキーだったかもしれませんが、
結局、ガイドさんの到着も定刻にも充分間に合った時間でした。

バーズを複数回やると
この自分のなかの「大丈夫」
という芯が強くなるみたい。
現実はそれに応じて顕われて来る。
そんな体験の屋久島でした。



仮想現実についての
人ごとでない話し。

先日、友人から聴いた話が
とても考えさせられるものでした。

最近、その友人のご高齢のお母様は
かなり物忘れが多くなって来たのですが、
多分単なる物忘れではなさそうで、
診察にとうとう連れて行ったそうです。

なぜ診察に踏み切ったかというと…

去年、友人は親類のAさんからとても
失礼な言動をされ。かなり頭にきたそうです。
それを帰宅してお母様に報告、
お母様はもちろんAさんをよく知っていますが、
娘の話しを聴いて「Aさんは酷いわねつ!」と
一緒に怒っていたそうです。

ところが、最近お母様がその話しをしだして、
「ほんとうに、あのAさんは酷いわね」
ここまでは良かったが、なんと
お母様の中では「自分も一緒にその場にいて、
Aさんから失礼な事を直接言われた」に
なっていたそうです。

そこで友人は、もう診察を受けた方が良いと
判断したわけです。

お母様にとっては、記憶の中で
娘の話と自分の実体験がごっちゃになっていて、
「現実」になっている。

これ、高齢者だけの人ごとじゃあないと、
思いました。

数年前、ある記事で読んだのですが、
アメリカで、ある若い女性、多分ティーンエイジャーが
実のお父さんから、幼い時に性的暴力を受けた、と
告発したそうです。

もちろん、メディアも含めて世間は娘の味方でしょう。
ところが、よく調べてみると、
そういう事実はなく、
この女性が「そういう事実があった」と
記憶の中ですり替わっていたそうです。
いくつかそういう事例が報告されています。
もちろん、背景にはそれぞれの
複数の要因があるとは思いますが、
何か見聞したことが、それが自分の「実体験」と
記憶する可能性は誰でもありそうです。

そうすると、私たちも「現実:と思っている事は
どこかで刷り込まれた他人の情報かもしれない。
そのなかで一喜一憂しているとしたら、
「現実」とは、それこそ砂上の楼閣かもしれない。
いや、蜃気楼かな。

私の友人は、よくテレビのワイドショーの話題から
「あの○○はほんとに酷い」とか、憤慨していますが、
情報源は、ほんの少しの真実に
大量の調味料を投下された情報ですが、
まんまとそれに乗せられて
脳内物質を過剰に出しては、身体を疲弊させていく
プロセスだなあと、つくづく思います。

バーチャルリアリティという言葉が一般化し、
映画マトリックスとかが流行ったのは
かなり以前ですが、
世界はこの仮想現実を
加速させる状況になってます。
SNSはじめ、世界が一瞬で繋がるけど
画面の向こうの情報は、どこまで「真実」なのか。
そもそも真実ってなあに?

自分がどこに立っているかを分からないと、
自分が本当に何を望むのか、
も分かりにくくなりますね。
内田一成さんの「レイライン講座」で
面白い話しを伺いました。

ここではよく神社、仏閣の建っている方位について
話されるのですが、
神社のうち、8割くらいは南北に参道があって、建物は北の方向、
つまり南面して建っている。
これは中国からの「天子は南面して座す」の思想からきてるのではないか、
ということでした。
そして20%弱が東西に参道がある。
これが「太陽の道」となり、
夏至、冬至、春分、秋分の太陽の通り道と一致するそうです。
古代の太陽信仰から引き継がれてるとみえて、
こういう神社の付近には、縄文時代の遺跡が多く残っているそうです。

伊豆、下田市の白濱神社はまさにその通り!
参道は東西を向き、近くには縄文の古代祭祀の跡があります。
また戸隠神社、奥宮の参道は冬至の太陽に沿って作られていて、
冬至の太陽は、奥宮の社の奥深くに到達するそうです。

有名な社殿は
伊勢の二見浦。
夫婦岩を結ぶしめ縄の中央、海のかなたに富士山が聳え、
夏至の太陽は、まさにその富士山の頭上に昇り、
まさに「天孫降臨」の神話を、大自然の力を借りて
大パノラマで再現しているそうです、
一度観てみたいなあ。

そして、たまーに参道の方位と社の方位が90度という
妙な配置があります。
鹿島神宮がまさにそうでした。
鳥居は東西を向き、社殿は参道に直角に建っている。
これは、かなり意図的な配置をなされていると
いうことですが、

今回の話しで面白かったこと。
冬至、夏至、春分、秋分の日には、
この太陽の通り道を計測するため
内田さんはGPSはじめ、多くの電気機器を持ち込むそうです。
ところが、この日故障する事が多い!そうです。

多分「土地」と「日」という交点が、
活断層や磁場に影響を与えるのでは、とのことでした。

そうすると、私たちも知らず知らずのうちに
様々な場所で、土地と時間の影響を受けている、
ということですね。

それから北斗七星は強力な魔除けシンボルとして、
そのライン場に寺社を設置することもあるそうです。
一番分かりやすいのが、皇居を中心とて
「平将門」に由来する神社がまさにこの形で
配置されているそうです。
鳥越神社、兜神社、首塚、神田神社から鎧神社まで。

将門は平安時代、時の政府にたてついて
関東で反乱を起こした武将ですが、
江戸幕府にとっては、
京都からの圧力を跳ね返すためには
この剛胆な武将の霊力を借りたかったのでしょう。
それが今や皇室を守る存在になっているのは
皮肉ですね…

9月の雨で、取材がずれこんだとうことで、
予定より1週間遅い講座でしたが
学ぶところ大。
内田さん、
いつも面白い話しをありがとう。