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この町は本来、草原からアラル海に首の
ように伸びる半島だったが、今や辺り一面
荒れ地で、11隻もの錆び付いた漁船が
幽霊船のように砂漠に捨てられている。
「砂漠の幽霊船」は、地元の青年たちの
デートスポットとなっているという、
地球温暖化による環境変動が懸念、9月
中旬、地図から消えてしまう前に、アラル
海を一見見ようと、筆者ら調査隊は、ウズ
ベキスタンを旅した。
中央ユーラシアのトルコ. モンゴル系
遊牧民は古くからこの湖を「アラル(多島)
.テンギ(海)」と呼び、こよなく愛す、
アラル海周辺には遊牧民が残した古墳や
石碑、王都の遺跡が分布。遊牧民がこの
地の主人だった歴史を物語っている。
アラル海の水源は天山山脈に源を発する
アムダリア川とシルダリア川。河川に沿っ
て無数のオアシスが点在し、都市が栄えた
のである。夏は天山山脈など冷涼ナビ山岳
地帯で過ごし、冬は暖かい湖畔にテントを
張って、当時は塩水化が進んでいなかった
湖水を家畜に飲ませていた。
紀元前からゾロアスター教が栄え、8世紀
にイスラム教が伝播。19世紀後半帝石ロシ
アに征服されるまで、アラル海は草原を
潤し、遊牧民とオアシスの住民を養って
きたのだった。20世紀のソ連独立後、様子
は一変。古来数世紀にわたって、遊牧民の
支配下に置かれてきた歴史がある、ロシア
人には、共産主義者になっても遊牧民に
対する敵視を捨てなかった。
ソ連はアラル海周辺で遊牧するトルコ系
カザフ人に定住化を強制。暴力や弾圧に
農業政策の失敗による飢饉や疫病が加わり
「大量虐殺」の様相を呈した。1930年~
33年、死亡したカザフ人は全人口の42%に
当たる175万人達し、家畜の頭数も9分の1
に減少
定住化と化したカザフ人、ソ連各地から
強制移住させられたドイツ人と朝鮮人を
動員。大規模な自然改造が進んだのだった
外貨獲得の輸出品や軍用品になる綿花栽培
を一気に拡大。50年代にはアムダリア川に
カラクム「(黒い砂)」運河を建設。ソ連内
のトルクメニスタンに水を引いて、77年に
両河川の間に巨大なダムを建設、貯水した
結果、もともと約6万8000平方キロと、
世界第4位の広さを誇っていた湖水、
半世紀足らずで6分の1までに減少
年間約4万トンもあった漁獲量も80年代か
ら衰退、今では漁が出来なくなった。
91年ソ連が崩壊するまで、誰もアラル海の
環境破壊に取り組まなかった。干し上がっ
た湖底から塩が吹かれて、草原に拡散、
動植物は絶滅、「死の砂漠」と化した
のである。
辛うじて残った住民には、眼病や呼吸器系
統の疾患など、深刻な被害が出ている。
また綿花畑に使われた農薬が地下水に
溶け込み、奇形児が生まれるリスクも
招いてもいる
「天山の水はいつか戻ってくる」と祈る
住民。独立国となった隣国のトルクメニス
タンはカラクム運河の断水は望まず、
大量の水を必要とする綿花畑栽培が元凶と
はいえ、ダムからの大量放水は上流の住民
の生活に影響を与える。一度栽培したら
二度と手放せなくなっているという現状
も、アラル海の環境破壊の要因となって
いる。ロシアと韓国資本などによる開発
という。今、アラル海の湖底で、砂嵐が立
ち上がる今、砂漠にはガス管が張り巡らさ
れている。実はソ連は早くから湖底にガス
田が眠っていると見込み資源開発のために
湖の枯渇を狙ったとの新説を科学アカデミー
研究者から聞いたのであった。
偉大な挑戦は
不本意な結果さえ栄光にする