元気で笑顔で在ってくれれば | 長く短い一日の出来事と思うこと

娘が煩わしく騒いでいる。

 

起きて間もないのに、母親に怒られ、泣き叫んでいるのが扉の向こうから聞こえる。

 

父親ってのは気楽なもんで、仕事という魔法の言葉を使えばいつでもエスケープできる。

 

たとえ扉の向こうが戦場のように殺伐としていても。

 

でも、扉を叩く娘の助けを無視なんてできないから、父親はいつでもズルい存在なんだろうなと思う。

 

そんな無茶な娘が大きくなったとしても、この目線は変わらないわけで、

 

ありがとうと大げさに感謝されるよりも、元気に在ってくれればそれでいいと思うんだ。

 

特に何かを求めるわけでもなく、ただただ元気で笑顔で在ってくれれば。

 

そう思う時に、自分の親がしてくれたことを考える。

 

僕が気づかないことも、気づいていたけど何も言わなかったことも、

 

本当は感謝をしたかったし、その大切さも知っていた。

 

でも、自分が娘に思うことを考えたら、そんなことは野暮なんだって思った。

 

感謝は大切だし、言われて嫌な人はいないけど、それを言われなかったことに何かを感じることはなくて。

 

きっと僕が娘に思うことと同じように、むしろそれ以上に僕の親は「何か」を思っているんだろう。

 

嬉しそうにビンテージの酒を買ってきてくれた時でも、僕は何も言わないけど、申し訳ないなって思うけど、

 

ただただ元気で笑顔で在ってくれれば、それでいいって。

 

きっと僕も、僕の親も、そう思ってるんだろうな。

 

ただただ元気で笑顔で在ってくれればって。