民進党の新しい幹事長に、当選2回の山尾志桜里さんが内定していたけど党内から反対が噴出して、“フレッシュ感”溢れる人事案が見送られたとか。
週刊誌に疑惑が報じられるからという理由があるにしても、野党とはいえ、党のナンバー2たる幹事長職は、当選2回程度の政治経験ではそりゃいくらなんでも無理だろう、というのが私の永田町的相場観。
いくら前原さんが「“選挙の顔”に使いたい」と思っても、国会では与野党幹事長会談とか、重要な交渉も担わないといけないし、TV出演の機会も多く、党のスポークスパーソンの役割を果たしながら、選挙実務のトップも兼ねる。
私の“相場観”は自民党的感覚ですけど、華やかさだけでは絶対務まらない、実務的にもよく分かっていて、それなりの政治経験を積んでないと、かなりキツイだろうなあと思います。
自民党は、女性幹事長はまだ出ていないのですよね。総務会長は小池百合子さん、野田聖子さん、高市早苗さんがそれぞれ就任されていて、政務調査会長も、高市さん、稲田朋美さんが務めておられました。
ちなみに自民党三役の序列からいえば(最近は選対委員長も入って“党四役”ですが)、総務会長、幹事長、政調会長の順なのですね。伊吹校長が最もこだわる“格”という意味では、党の最高意思決定機関の長である総務会長が、実質党のナンバー2として実務を担う幹事長よりも“格上”なのです。
ただ実質的に党務を仕切るのは幹事長なので、やっぱり積み重ねてきた政治経験に裏付けされた政治力がないと、党内に睨みがきかせられない。
なめられたら統制がきかなくなるので、円満な党運営を考えたら、人柄の温厚さは党派を超えて定評のある大島敦さんを選んだのは間違いない人事でいいんじゃないかなと感じます。就任してから傷を負うのは、党全体にダメージも大きいと思いますし。
私さくらは政界にいたときに、「同じ女性だから」という理由で女性政治家に活躍してほしいという気持ちはあまりなかったのですが、それは
男性・女性という変えられない属性に着目するのではなく、ひとりの人間として評価すべきだし、評価されたいという気持ちが強かったから。
とはいえ、これには思考のトラップがあって、「男性と同じように仕事をする」というのが大前提。
いま考えれば、女性としての自分が男性と同じ仕事をこなすのは体力的にキツイのは当たり前なんだから、評価の前提までたどり着くのがまず大変で、本当に一生懸命やらなければ、“対等”に評価されるライン越えはできなかったんだなあと分かります。
女を忘れていたわけではないけど、「女であること」を売りにしないとは思ってました。
「女だから」評価されるんだろう、と思われるのは悔しかったから、仕事ぶりで評価してほしいとずっと思っていたし、いい仕事をしたら誰もが評価される社会であってほしいと思った。
もちろん女性だから“大目にみてもらえる”というところはありましたよ。素朴な疑問を率直にぶつけても怒られなかったりとか。「さくらさんは、得だよなあ。あんなふうに聞いたら、僕だったら怒られるよ」と、何度も男性の同僚に言われたことがある。
本人は一生懸命やっているだけなのに、「そんなふうな見方をされるんだなあ」と驚くことは、たびたびありました。
私さくらは、党本部から議長秘書として“異例の出向”をしたことがあるのですが、このときの1年3か月は、持ち前のフレンドリーで明るいキャラクターが封印されて、自分の持てる力も思うように発揮できなくて、本当にキツかった。
「女だからなれたんだろう」等々、“嫉妬の目”をあからさまに向けられ、“好奇の視線”に晒されたことにも、深く傷つきました。
だけどいま思えば、あのときの私には、「人に言うことをきかせられる」だけの“政治力”がなかったんだと実感しています。
衆議院という超官僚組織にとって、よそから来た人の指示を受けるなんて屈辱でしかないのだなんて夢にも思ってなかったし、いい仕事をしてればそのうち分かってもらえるだろうと思ってたけど、そんなふうに世の中は甘くなかった。
やればやるほど空回りしてしまい、それがあのときの私の実力の精一杯だったのですが、肩書きだけ与えられても、抵抗する人々を動かすことはできないのだという良い教訓になりました。
ほんとにびっくりするぐらい対抗意識を燃やしている人たちがいるのを不思議な気持ちで眺めていたものですが、「衆議院の職員は、プライドだけは高い」という評判通りの仕事をする人たちだなあとも冷静に観察していました。この狭い世界の中だけで生きているんだから、そりゃ仕方ないよね、とも。
伊吹事務所はさらにブラックな魔界でしたし、上野動物園のサル山を見てすべてが腑に落ちたのも、このときの経験があるから。
いま冷静に振り返れば、伊吹校長と直でやりとりしているだけなら最高にうまくいっていたのですが、衆議院事務局と伊吹事務所の間に立って、采配を振るえるほど私には力がなかったのです。
両方とも、私なんかの言う通りになんかしたくないし(気が付いてなかったけど)、両方とも前例主義の超序列意識の強い組織だから、急にポッと降ってきた私は全然歓迎されてなくて(気が付いてなかったけど)、
そういう人の気持ちがまったく分かってない能天気さがさらに周りを苛立たせていたのだろうな、ともいまなら分かります。
→自己を知り、魂の器を受け容れる。他人との共同作業を通じて、浮き彫りになる自分の姿。
このときに獅子のプライドを発動できる強さが私にあればと思うのですが、このときの大きな挫折があるからこそ、PTSDになるほどしんどかった経験があるからこそ、いまにつながっている。
assertiveをaggressiveだと受け取られるのを怖れて、ハッキリとNOが言えなかった自分の弱さ。自分が考えて成果を出してきた合理的かつ効率的なやり方を全否定されて傷ついたけど、
私自身が“言うことをきかせる”技術と人間力を持っていなかったことも事実。
だからこそ、自分を再び立て直し、自分の足らざる点を鍛え直し、私のやり方は間違ってはなかったけど、合理的にも効率的にもやらなくてもいい(むしろそんなことされたら困る)というところで、歓迎されなかっただけであり、
そういう文化の官僚組織を自分一人の力で変えるなんて、そもそも不可能だったと、いまは冷静に受けとめられるのです。
この挫折を含めた経験全てのおかげで、私さくらの“美魂イズム”として美しく編み上がることになる。本当に、すべての経験値は、必要なものでしかなかったのです。
いま準備を進めている、アサーティブネスを活かしたコミュニケーション講座も、これまでの歩みのうえに、私さくらの経験値がすべて統合して生まれるもの。
→あたらしいものを生み出す秋。「講師さくら」のワークショップ企画中☆
アサーティブネスとは、「セルフケア」である。このドリーン・バーチューさんのことばは、私にとっては衝撃でした。
健全なコミュニケーションというものは、相手の言うがままになるのではなく、自分だけがいつも周りのことを気遣うだけでなく、また逆に自分の思い通りに相手を動かすことでもなく、
自分の思いを伝え、相手の思いにも耳を傾け、お互いに尊重し合う関係性を構築する基盤となるものなのですね。
だからまず、自分の思いを知らなければ相手を尊重することもできない。そのバランスを立て直すわけです。
政治の世界というのは基本的にパワーゲームですから、人に言うことをきかせる、いかに自分の思い通りに物事を動かすかというところから知力謀略をめぐらせる。
マキャヴェッリの理想とするように、「恐れられる権力者」に私はなれなかったけど、超官僚組織の場合は、フレンドリーな与しやすい人材より、バキッと有無を言わせず厳しく臨んだ方がうまくいくのかもしれない。
だけどそれは私のキャラじゃないから、いずれにしても不向きだったということ。
本当に、すべての経験が役に立っているので、これまでのすべてが有難いなあと心から思います。
途中全滅してしまったダンジョンはあるものの、実際、“実例の宝物庫”のダンジョンをいくつも攻略してきたわけなので、渦中にいるときは分からなかったけど、冷静に振り返ると、その当時の関係者の胸中や思惑がいまになってものすごく分かる。
この“理解の時差”も、私自身のその後の成長があってこそ起きることで、「なぜ、うまくいかなかったのか」「自分に足りなかったことは何か」「いまの自分であれば、どうするか」と突き詰めて考えてきたからこそ。
嫌な経験を単に「嫌だった」で終わらせず、その理由が分からないまま天に帰るような、“経験値の無駄撃ち”はしない自分を誇りに思います。
そういう意味では、日本はなぜ戦争をして負けたのかを突き詰めて考えることの方が、「二度と戦争をしてはならない」と誓うよりも、ずっと大切だと思うのですよ。
だって、戦争になったのはいろんな理由があるからで、
結果の悲惨さに目を向けるだけでなく、「ではあのとき戦争をしないためには、どうすれば良かったのか?」を絶対に考えるから。そこを考えない平和論は、被害者意識で物事を捉えた単なる感傷でしかありません。
「あってはならないこと」というのは“結論”の締めとしては弱すぎる。
「あってはならないこと」であるならば、「それはなぜか?」を突き詰め、「どうすれば望ましい現実=平和な世界を創造することができるか」を考え行動につなげていく。
そうすれば、傍観者である自分から、主体的に関わる自分へと世界がシフトしますよね。
・・・というように、“ものの考え方”革命に資する講座にしたいのですね。アサーティブという切り口から、日常から政治まで幅広くカバーしてお話いたしますので、ご期待ください
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