22:30までにベットに入るのが
最高の幸せと思う私が
十数年ぶりに終電で帰った
京都のとあるお店で
憧れの人さとゆみさんこと
佐藤友美さんを囲んで
読書会という名の飲み会だった

自己紹介で
「なんて呼ばれたい?」と
聞かれて答える前に
「かな、だね」とさとゆみさんに言われ
「かなはどうなの?」とさらっと

聞かれこんな風に呼ばれるのって学生以来かと

新鮮だった



さとゆみさんの絶妙の距離感、
可愛さが魅力だなぁ、
男だったら惚れてしまうよなぁとドキドキしながら

ちょっと距離を置いて隣に座ってた


帰りの電車で
私が彼女を好きなところを
ケータイのメモに入れた

①文章と本人が120%同じ
裏とか表とか全くない

②読みやすい文章、読むのが止まらない文章を書く

③読んで大きく頷くこと、
クスッと笑えること、たまに
泣けることを軽やかな文章で
届ける

④会うだけで元気になる

「書く仕事がしたい」

本気でそう思わせてくれる人
講座を受けた後は書けなくなったけど今また書きたくなってる
80歳になった時
「いま何やってるん?」と
聞かれたら「ライターやってる」って言える人になる
そんな未来を見せてくれた人

ありがとうございます

ご一緒したみなさんも
めちゃくちゃ素敵で
店主の堀さんも料理も日本酒も

(年明けからお酒が呑めなくなってましたが復活しました!)

最高だった夜


一枚しか撮ってない料理の写真を添えて




徒歩2分の距離に住む78歳の母は3ヶ月の入院後、体が思うように動かないことを理由に私の都合なんてお構いなしに用事を言いつける。

ため息をつきながら母の言いなりになってる私に

「ママが全部引き受けなくていい」と24歳の娘は言う。

じゃあ娘が手伝うのかというとそんなこともなく、

「お前も手伝えよ」と舌打ちしながらも娘の言葉は私にとっていつも直球ストレートだ。

不妊の末、流産し、やっと生まれた娘。見返したくない育児ノートには

1日24回授乳のメモがある。

育児はとにかく私にとって苦行だった。勉強も仕事も頑張れば成果が出たけど

妊娠も育児も頑張ってもがんばっても変わらないことだらけで

むしろ頑張ればがんばるほど空回りだった。

怒ってばかりの私に当時5歳の娘が言った。「ママみたいな大人になるなら

大人になりたくない」誰のせいでこんな毎日なんだ、と腹立たしかったけど

このままではいけないと心底思い始めた。まずはとことん自分を責めた。

こんな母親じゃいけない、怒ってはいけないと。責めてせめて責めまくった結果、

左胸全摘出するほど病んだ。

病をきっかけに学び始め、学んだことを娘に実践することで関係性が変わっていった。娘との関係が変わったことで自分にも人にも優しくなった気がする。

すっかり大人になった今も「どんな大人になりたいか」そんな問いを胸に生きている。



無事、インドより生還しました。
本当にこの言葉がピッタリな過酷な旅。
たくさんの気づき、体感したこと、
ヒマラヤの波動…
行ってよかったと心から思うけど
途中、2回ほど「死ぬかも…」と感じることがあり
無事、帰国できるか心配でした。
言葉にしたいことは
たくさんあるけど
帰るとき、インド人通訳、パンカジさんの
「みなさん、たまにインドに来たらいい。
どれだけ日本は恵まれてるかよく分かるから」という
言葉が心に残ってる。
私の転機になる旅だった、そして
なにより私は「いま」幸せということが
よく分かった旅でもありました。