「どんな風に見られてるか気にしてた」
たまに会って色々話して
お互い点と点が繋がる感じの関係の友人が
呟くように言った。
「どんな風に見られてると思ってた?」
問いながら自分にも問う。
私には答えられない問い、だった。
「分からない」が答え、か。
どんな風に見られてるか、
は分からないけど
どんな風に見られたいか、は分かる。
そして結局しばってたのは
自分がどう見られたいか、なんだな、と。
それは自分の理想の姿かもしれないし
小さい頃からの呪縛みたいなもんかも
しれないし、ルールみたいなものかもしれない。
どれでもよくて
どんな自分に見られたいか、って
知ってるのが大事かな。
やってみて楽しかったら
そのうちそれがほんとの自分になるんかも。
知らんけど。


友達んちでパン作り。

どんな風に私のことを見てくれてるか、

撮ってもらった写真から感じることもある。

久しぶりに朝からトイレに篭るほどの二日酔い。
昨日、どれだけ呑んでも
酔わない気がした…
何があったっけ、私?
(うちで一人呑みですよ)

昨日は母の携帯の機種変更につきあって
久しぶりに半日一緒にいた。
報告しないといけないことがあって
意を決して伝えた。
何も言わなかったけど
そこから何度もつくため息。
何歳になっても子どもは親を
悲しませたくないんだなぁ、と
今朝、気づいた。
だからあんなに呑んだんだ、私。

母が私の幸せを願ってくれてるのは分かる。
世間体や不安が大きく自由なんて選択肢にない。
ただそれだけだなぁと…

子どもがどんな選択をしても
私は幸せでいよう。

そう思いながら
大学辞めるという娘に
「どうしても辞めたいと言うなら
止めないけど
ママは大学卒業して欲しい」と伝えた。
結果、娘は卒業だけはする、と言って
今日から岡山に2カ月研修に行く。
何が正しいか、何が娘の幸せか
私には分からないし
娘も分からないんだと思う。
喧嘩が絶えない娘だけど、今日から
しばらく離れて暮らすのは寂しい。


娘の友達がバイト最後の日。

「来てくださいよー」と呼ばれたら

嬉しくて沖縄から帰ってきて

そのままお店で呑んでる母を

迎えに来てくれた娘。



呆れながらもこんな目で

母を見守ってくれてる。

自慢だけど私の友人には
ゴッドハンドがいる。
残念なのは彼女がマウイに住んでるということ。

彼女の帰国に合わせて名古屋で待ち合わせ。

施術台で横になったとき
右足、ふくらはぎから下だけが
なんか本体とはベツモノ、みたいな感じがした。

施術してもらうにつれて
体全部が繋がって
正位置に落ち着く感じ。
頭を触ってもらうと
意識はあるのに深いところに
スーッと落ちるような感じがして
終わったら
「何も心配することはない」って
ストンと腑に落ちた。

聖子ちゃんの施術を受けるのは4回目。
今回はなんか違った。
軽い…淡々と…
うまく言えないけど…
聖子ちゃん曰く、けがれを払って
守護神が私を守りやすくしてくれる状態に
してくれた、とか?
前は女性であることを
思い出させてくれる感じだったけど
今回は自分が整う、というかクリアになる感じ。
あくまでも感覚なんだけど。
前と同じく全身ふわふわ、なのは変わらず。

聖子ちゃんの言葉はふとしたときに
思い出して私の中心にいる。
多分、彼女にとってなんてことない言葉たち。
嘘がないから信頼できる言葉たち。

今回もらった聖子ちゃんからのメッセージは
こんな感じ
「二つの面
上と下がひとつの意識になる

つけたしたものではなく
かなかなの内面に価値が増していく

同じ志をもった人とでさえ
分かり合えないとき

空っぽ感は
つぎの世界へいく感覚

よろこび,感動していくこと
特別な次元とのつながりが太く
サインによってみちびかれし体験

成さずして成る
これは見えない世界では
高い次元の自分(大いなるは自己)
とのつながり

それが
二つの異界をつなぐー」

そんな聖子ちゃんと過ごす久高島リトリート。
11月は私も参加予定です。
興味ある方は…多分詳細はでないので
個人メッセくださいませ。



「自撮りするとき、どこ見るん?」


「一緒に写る人の顔」と

聖子ちゃんが答えたから




二人で名古屋駅ぶらぶらして

こんなの見つけてお互いプレゼント。



好きな文字を入れられるリップバームケース。

見るたびにニンマリな時間を

思い出せる。

ニンマリスイッチをたくさん持ってるって

幸せだなぁと思う。