お箸と縄文・日本は縄文時代からの鍋文化
こちらのショートが面白かったので過去記事UPします
「初の日本食だ。楽しみ。」
「はじめてなんだ?食べ方大丈夫?」
「お箸を使うんだろ!知ってるよ!ひじきが一番難しいかも」
「そうだね」
続きは動画でどうぞ
以下、過去記事より
https://ameblo.jp/lovejapanmuch/entry-12568424842.html
使い込んでいるお箸でスミマセン
若狭塗です。日本伝統の色のお箸
家族の好みに合わせて組み合わせよう♪14色から選べる日本の伝統色箸!
箸文化は東アジアに根付いていますが、最初から最後まで箸だけで食事をするというのは世界でも日本食だけなんです。東京芸術大学教授の三田村有純氏の書籍より引用します。
お箸はただの二本の棒ですが、こんなにありがたい棒はありません。一膳だけで様々な仕事をするお箸は、日本が世界に発信する文化の一つです。世界の食事は、手食の文化、ナイフ・フォーク・スプーンの文化、箸・ナイフの文化、箸・スプーンの文化、箸の文化に分かれます。
その中で、日本は伝統的にはお箸だけで食事をする唯一の民族ですから、長い時間をかけてお箸を完成させてきました。
(すごい値段がついていますが定価は1300円(税抜)ですよ。。中古では安いのもあるようです)
お箸の秘密
8,640円
Amazon |
縄文時代の木製品
まずは確認して戴きたいことがあります。(1)~(3)まであります。
まずは有名な縄文時代の漆塗りの櫛(くし)をご覧下さい。
これは6000年前のものです。
http://wakahaku.pref.fukui.lg.jp/event/detail/post-202.php 引用
若狭町にある鳥浜貝塚の漆資料は、発見当時、それまでの認識を覆し、6000年ほど前に高度な漆工技術があったことを示しました。日本の漆文化のシンボルでもある鳥浜貝塚の「赤色漆塗り櫛」を展示公開します。
1960年代~1980年代の鳥浜貝塚の漆資料の発見は、それまで認識されていた漆文化の成立時期をさかのぼり、縄文時代前期(約6000年前)に高度な漆工技術があったことを示しました。この発見から、鳥浜貝塚の「赤色漆塗り櫛」は、漆文化のシンボルとしてよく引用されます。
枝だけなら漆塗りで最古の物が12600年前だとわかっています。もちろん、世界最古です。
http://poppo456.s366.xrea.com/c2011/111013e.html
若狭町鳥浜の鳥浜貝塚から1984年に出土した漆の枝が、約1万2600年前の縄文時代草創期のもので あることが東北大の鈴木三男教授(植物学)ら研究グループの調査で分かった。
日本で自生していたことを示す国内最古の例となり、中国伝来が定説とされた漆文化の起源を巡って新たな論議を呼びそうだ。
所蔵する県立若狭歴史民俗資料館(小浜市)は12日、縄文時代に焦点を当てた特別展の開会式で
関係者に漆の枝を初めて公開した。
出土した漆の枝は長さ約20センチ。森林総合研究所(茨城県つくば市)で2005年に顕微鏡で漆と突き止められ、今年8月、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の放射性炭素による分析で1万2600年前と判明した。
漆を使った出土品で古いのは、国内では、北海道函館市の垣ノ島B遺跡で確認された装飾品で約9000年前。青森市の三内丸山遺跡や山形県高畠町の押出(おんだし)遺跡などの例が約6000~5500年前。
中国では、浙江省の河姆渡(かぼと)遺跡の漆椀の約7000年前、同省の跨湖橋(ここきょう)遺跡の木弓の約8000年前などがある。中国では発掘途上にあることから、年代を遡って出土する可能性が大きいという。 鈴木教授によると、漆を塗料や接着剤などとして活用する技術は日本では縄文早期以降で、漆は中国大陸から 伝来したとするのが定説。日本で漆は自生しないとされてきたという。
岡村道雄・奈良文化財研究所名誉研究員(考古学)は「漆を植えて樹液を採取するまでには、下草刈りなどの 世話が必要で10年近くかかる。草創期の縄文人はまだ定住性はなく、漆が自生していたと考えるのが自然だ」 と指摘。その上で、「日本の漆文化が中国伝来でなく、日本がルーツである可能性を示唆する重要な発見」と 評価している。
□ソース:読売新聞
http://ime.nu/www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukui/news/20111013-OYT8T00267.htm
日本には世界最古の調理跡のある土器があるということもご確認お願いします。
約一万5千年前です。
https://ameblo.jp/lovejapanmuch/entry-12043322968.html
北海道や福井県で出土した約1万5000~1万1800年前(縄文時代草創期)の土器から、魚などを加熱調理したとみられる世界最古の痕跡を発見した
縄文時代から日本人はお鍋が大好きだったんですね
お箸は棒二本で出来る
~まで確認してみて、これだけの技術があった日本において、たった棒二本で出来ているお箸が聖徳太子の時代までなかったということが想像できます?仁徳天皇も手づかみで食事をされていたのでしょうか?
つまり、
"日本は世界で最も早く調理をした民族であり、6000年前にはすでに漆塗りの立派な櫛が作られていた一方、箸のような簡単な道具を作る能力がなかった"
と学会では考えられている
ということになります。
卑弥呼の時代から聖徳太子の時代に大陸から箸 wiki がもたらされるまで手づかみで食事をしていたと言われていますが… この鍋、もしかして手づかみで食べていたと言うのでしょうか…熱っ!
さらに 鳥浜貝塚特別展図録 をご覧ください。
6000年程前のもの
(以下、画像はお借りしました)
これと同じ形態のものが中国では箸だと言われているそうです。
ねずさんのブログより転載します。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1459.html
まず、箸(ハシ)については、いまから約6000年前の縄文時代の遺跡から出土している遺物が「箸」であるとの説があります。同様の形状のものを、支那では完全に「箸だ」と言い切っているのですが、何故か日本の考古学会では、全国各地で多数発掘されているこの棒状の物体を、ことごとく女性用の「簪(かんざし)」であるとしています。
なるほど長さ12cm前後のものは「簪(かんざし)」であろうとボクも納得します。
けれど長さ20cm前後ともなると、「簪(かんざし)」にしてはやや不自然です。
ところが日本の考古学会では、何故か、30cm以下の棒状のものは、ことごとくこれは「簪(かんざし)」であると分類し、これを「箸(はし)」だと分類したものはひとつもありません。「ひとつも」です。
一方、(※)三田村有純さんという東京芸大の教授が、こうしが明らかに「箸(はし)」と思われる縄文時代の約6000年前の遺物を「箸ではないか」と発表したら、すかさず支那から「6500年前」のものが発見されたと発表があったといいます。
箸という道具は、どの国で生まれようがさして重要ではないようにも思うけれど、常識で考えて、まず、縄文時代の遺跡からは、土器、漆器、木製品、籾(もみ)や種など多数の遺物が発見されており、すくなくとも縄文中期以降は、食べ物の煮炊きが、ごく一般に行われていたことが明らかになっています。つまり「熱いもの」を食べていたのです。
「熱いもの」を食べるときは、人間は何かしらの道具を使います。
でなければ手がヤケドするからです。
その道具は、日本の考古学会の定説によると「石匙(せきひ=石で出来たスプーン)」だという。
冗談じゃないです。そんなもので食事したら、クチビルが裂けてしまう。
「木匙(もくひ)」を使ったという説もあります。
木でできた匙(さじ=スプーン)」です。
これも多数発掘されています。
なるほどこれなら、食事はしやすいかもしれない。
けれど、正直食べにくそうです。大きくて口にはいらない。
むしろ食事を「作る時の道具」と考えた方が、普通に納得できます。
そもそも「ハシ」という言葉からして、日本に漢字以前からある大和言葉です。
大和言葉で「ハ」は、物の両端、物と物との境目の意味です。
「シ」は、物をつなぎ止める、固定する、です。
この二つの言葉が組み合わさって「物と物をつなぎ止める」、ハシとなったわけです。
ですから向うとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つものが「はし」で、
たとえば天地をつなぐのが「柱(はしら)」、向こうとこちらをつなぐのが「橋(はし)」です。
そして食べ物と体をつなぐものだから「箸(はし)」となります。
漢字の「箸」は、支那語読みでは「zhu(ちゅ)」です。「hashi」ではない。
そして支那では、「zhu(ちゅ)」は「住(zhu)」に通じ、「住」は固定するという意味で縁起が悪いからと、いまでは「箸」という漢字は使わず、竹かんむりに「快い」と書いて「筷(zhu)」と表記しています。
いまの言葉だと、お箸は、「筷子(kuai zi)」です。
ではその箸が、日本でいつから使われていたのかというと、古事記にその記載があります。
スサノオのミコトが出雲に降り立ったとき、「箸」が川上から流れてきたとあります。
「此時箸從其河流下」です。
そしてこれを見たスサノオのミコトが、川の上流に向かい、そこでヤマタノオロチを退治しクシナダヒメを娶ったと物語が続いています。
ということは、神代の昔に、すでに日本で箸は使われていた、ということです。
もっとも古事記は和銅5(712)年に献上された書なので、これでは証拠にならないのだと言われてしまうかもしれません。
しかしいまから1万6500年前という途方もない昔に既に世界最古の土器を使い(大平山元1遺跡)、1万2600年前には漆を栽培し(鳥浜貝塚)、9000年前には漆塗り製品を使っていて(垣ノ島B遺跡)、縄文時代から弥生時代にかけて、あれだけ様々な種類の食器を用いていた日本人が、実際に食べる時だけ「てづかみ」だったということの方が、論として無理があります。
転載おわり
※ ねずさんのブログと三田村さんの本に少し違いがありました。
三田村さんの本
”6500年前に中国の箸と同じものが日本にあったら中国が7000年前に箸があったと発表があった”P24
「お箸はすでに縄文時代の日本にあった」というのが私の説です。
東京藝術大学名誉教授・漆芸家 三田村 有純 氏
「お椀を直接口に運んで汁を飲む」のは世界でも日本だけの文化
東アジアでも汁物はレンゲや匙を使う。
日本の鍋料理は世界最古の料理
取り分けにさじ(スプーン)を使っていたとしても個別ではお箸が自然だと思います。
古代ギリシャや古代ローマ ☆
スプーンもあったが基本は手づかみだったそうです。
鍋でない他の文化で手づかみが続いていたのは納得できます。
ちなみに国産の割り箸は余った端材を使って作られます。 ☆
割り箸を使うことで環境破壊につながることはなく、逆で森林作りに役立つそうです。
エコの観点からも林業を興し、日本を守るためにも国産の割り箸を使うように努力したいものです。プラスチックの箸よりも割り箸を使って食べるお弁当おいしいです