ひとりごとです
~国には国の因果がある~
第二次世界大戦で空襲をうけ日本中の各都市が焼け野原になり
広島と長崎にあまりにも非情な爆弾、原爆が投下された。
という事実。
何故、日本がこんな目にあわなければならなかったのか。
歴史的な解釈は少し置いておいて少し精神論から考えます。
因果応報という概念があります。
全ての行い(因)はやがて必ず返ってくる(果)
良い因果、悪い因果、全てです。
心に思ったこともその程度にあわせて、その程度の結果が戻ってきます。
個人には個人の因果があり、
組織には組織の因果があり、
国には国の因果があり、
民族には民族の因果がある。
興った国は数知れないけれど、滅亡した国も数知れず、
日本が世界最長の歴史を持つことは、それだけ良い因果をご先祖が重ねてきたから。
帝国主義時代の当時は、欧米諸国は植民地からの略奪を是として
現地のインフラや教育は全く行わず、自我の道を邁進してきました。
勿論、立派な欧米人も多くいました。
しかし、人種差別は当たり前です。
それが当時の常識です。
日本は一度白人と同じレベルに立ち、国力を増すことにしましたが
(そうしないと日本が植民地になるからです。)
白人とは違って委任統治領では学校を作り、インフラを整備し教育を行いました。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1895.html
人種差別撤廃を世界で初めて訴えたのも日本でした。
「因果応報という法則があるのならこの戦争の結果は一体どういうことなのか?」
と考えました。
日本も確かに悪いこともしたでしょう。
今更ですが南京大虐殺とか従軍慰安婦などは嘘ですよ。念の為。
当時日本領だった台湾の人を差別していた日本人がいたことも事実でしょう。
白人が有色人種を差別するような無慈悲さはなかったでしょうが
朝鮮にもインフラを整備し、教育も施しました。
これも今更ですが、ハングルを取りあげたのではなく普及させたのが日本です
ひとつ、国師堂という当地の聖地をいじって神社を建てたという罪を犯しています。
しかし破壊したのではなく、そっくりそのまま丁寧に移設をして祀ってあるそうです。
https://ameblo.jp/korealululu/entry-11794956522.htmlより引用
ここは朝鮮時代に国が祭祀を行っていたお堂。元々は現在の南山にありましたが、1925年に現在の位置に移転しました。その際に使われていた材料をそのまま移し原型どおりに修復したそうです。
国にも因果がある。
日本には日本がしてきたことの因を摘み取らなければならない。
ということは日本がここまで酷いことをしてきたということ?
なんだかモヤモヤしていました。
今、日月神示を読んでいる途中なのですが
気になったところがあったので引用したいと思います。
その人民にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ。
人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。
一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。
果たさねばならん。
善人が苦しむ一つの原因であるぞ。
神の大きな恵みであり試練であるぞ。
春の巻 第二十四帖(681)
(日月神示の記事は理由合って削除しました)
要は日本人も人類の一員なので
人類としての因果を日本人が負って被った。
人類の罪をかぶって十字架を背負ったキリストのようです。
中国人はどうとか、韓国人はどうとか、色々言いたくなると思うのですが
日本人も同じ地球に住む同じ人類。
(遺伝子はどうとかは少し置いておいて)
ワンネスとかいうやつでしょうか。
いわば連帯責任?
世界全体が良くなってもらわないとどうにもならないですね。。
ただ、今の日本は過去の遺産(日本人の徳分)を食いつぶしていっているようで少々心配です。
ちなみに、私達ひとりひとりにも因果の法則があてはまりますので
良いことをすれば良いことが。
悪いことをすれば同じようなことがちゃんと返ってきます。
悪いことは出来ないそうですよ( ̄ー ̄)
お天道様は見ています