日本のカミは大自然 | 日本が良くなりますように

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日本が大好きな人のブログです。
アメンバー記事は完全な個人的メモとして使おうと思います。メモなので面白くないと思いますが、保守思想でスピリチュアルに抵抗のない方限定で見てもらってもいいです。コメントはお返事等できない場合もあります。

https://ameblo.jp/lovejapanmuch/entry-12115247264.html


日本は本来、万有内在神 を信じる国でした。

外国(大陸)からシャーマニズムが入ってきて多神教となったと聞いたことがあります。



全ての物に神が宿る。

そこの鉛筆にも。そこにいるアリさんにも。もちろん、スマホにも、なんにでも神様は宿っています。

命があるのです…

という意識を日本人は持っていました。

宗教ではありません。

経典もなければ布教活動もありません。

自然についた感覚です。


日本におけるカミは大自然であり、宇宙そのものであるため

元々は自然自体を崇拝した一神教でした。

人格のある一神教と全く違います。

創造主というとキリスト教のようですが違います。

 


森林・樹木のフリー写真素材・無料画像、no.276


ご先祖様を敬うのはほぼ日本独特の風習です。

キリスト教など他の国では、日本のように人が亡くなった後

法事やらお墓参りやらしないですよね。

仏教国でさえ日本ほどしないでしょう。




縄文時代のヲシテ文字を研究されているかたのサイト

びーちぇさんのサイトより転載させて頂きますm(_ _ )m
http://plaza.rakuten.co.jp/beace/diary/200511010000/

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 >日本は八百万の神・・・多神教でしょ?

いいえ。

ヲシテ文献によれば、
古来から日本は多神教ではなく、
宇宙大原理をカミ(モト・祖)とする、いわば一神教です。

神という、大陸から入ってきた概念ではないので、人格はありません。

易しく言えば、大自然がカミなのです。
いわゆる他所から入ってきた宗教の概念からは捉えられないもののようです。

人はですから、カミ(自然)と対立することはありません。
それが、現在の神道の元になっております。

神道のさまざまなカミといわれているのは、祖先の方々であり、
例えば明治神宮や乃木神社の祀られ方が、本来の姿なのです。

亡くなられた方は、すべて宇宙原理の根源へと還っていく・・・

他には、いくつかの自然現象をカミ(これもモト・祖という)と祀ることがあり、
それによりその力を知ろうとしたもののようです。

これを知れば、
お墓参りをするということには、神道や仏教であろうが、キリスト教であっても関係なく、
私たちの心の底に、遺伝子のように受け継いでいる古来の想いが、
今も存在するのがうなずけますよね?

大自然を含めた祖先を祀るということが、
我が国方式の、唯一の宗教と言っても良いでしょうから。

「ヲシテ文献」の完全な写本が発見されたのは平成4年であり、
研究者も少ないため、まだ一般的に知られてはおりませんが、
古事記・日本書紀の原本という証明がすでになされています。

引用おわり
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政府が昭和28年から5年ごとに行っている国民の意識調査というものがあります。

自然と人間との関係

 

<自然と人間との関係>

 

自然に従え/ 自然を利用 / 自然を征服 


この項目で実は1968年まで自然を征服が増え続けていました。

ピークのこの年、34%に達しましたが、それ以降は減り続け


2013年度は

自然に従え 48% 自然を利用 41% 自然を征服 6%


に落ち着いており、この数字にいくらか安心しました。


この調査がもし、江戸時代になされていたなら、

「自然に従え」が90%で、「自然を征服」が0%だったかもしれません。


そして、西洋人に調査が行われていたらやはり結果は違っていたでしょう。

「自然を征服」がトップでしょうね。


日本人にとって宇宙の万物万象は私達一人一人の分身分霊であり

これを支配するとか、征服するとか、そういう発想にはならないのです。

日本人であることを思い出しましょう。


そうすれば、怪しげなスピリチュアルや新興宗教などに惑わされることもなくなるかもしれません。

(全てのスピや宗教が怪しいわけではないですが)


仏教も上手にこういう思想を取り込んで日本独自の宗教となりました。

しかし、昨今の直輸入(!?)状態の怪しい思想はちょっと距離をおいてみてから考えたほうが

いいかもしれません。


これは僭越ながら過去記事

素直に育てば日本人!?



スピリチュアルといえば西洋由来のスピリチュアルはやっぱり西洋的ですね。

神秘体験ってあまり良い兆候ではないかもしれません。


自然に畏れを抱くという文化は元来日本人なら誰でも持っていたものでした。

現代版の歪んだスピリチュアルには少し注意したほうがいいです。


実は私も昔、「風水」や「引き寄せ」など過去に色々試したので人のことは言えませんけどね

『自然』を支配しようとするスピリチュアル より転載させて頂きますm(_ _ )m

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西洋的なものの見方の根っこには「自然を超越した唯一絶対の神の命により人間が自然を征服する」という考え方があります。
殊更言わなくてもそういう考え方がいつもベースにあるということです。

で、所謂スピリチュアルっていうものにもそういった西洋的なものの見方がベースにあるんだろうと感じています。
何故ならお見受けする限り大抵何かをコントロールしようとする方法のオンパレードだからです。

心をコントロールする
「心のブロックみたいなのを解除すればそれだけでみるみるハッピーになる!」みたいな…

運命をコントロールする
「ワクワクすればそれだけで良いことが何でも際限なく引き寄せられる!」みたいな…

他人をコントロールする
「片想いの人と両想いになる魔法」とか「嫌な人間と縁を切るマジナイ」とか…

コントロールしようとするのはそれらのものが自分の支配下に置くことが十分に可能だと考えるからですよね。不可能だと思うなら端からそんなことにチャレンジしようとはしないでしょうからね。

スピリチュアルな人の中には眼に見えない存在に頼って物事が恐ろしいほどトントン拍子に進むような神秘体験をされる方がいらっしゃいます。
そういう経験によって「何でも自分の思い通りになる」と勘違いしてしまうのです。

でもね、結局人間が自然を支配下に置くって考え方自体不自然だと思うんですよね。
不自然ってことは無理があるってことです。

その無理もたまたまではなく根本的に無理だって話です。
自然の中では人間ごときが出来ることには限界があるからです。
個人としてはもちろん種族としてもね…

実際海とか山とか川とかにおいては人知を超えたことが度々起こります。
そして、人知を超えた眼に見えないモノもたくさんいます。

自然の中にあるリアルな底知れなさってものは実地に体験してみなければ中々分からない気はします。
それでも、謙虚になればある程度想像することは出来るのではないでしょうか。

というかそういう想像力は失っちゃいけないのだと思うのです。
想像力を失うと人知を超えたモノへの畏れも同時に失うからです。
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