エチオピアからのラブレター

エチオピアからのラブレター

Loveletter from Ethiopia

3人の子育てにひと段落。
母さんはエチオピアでボランティアをすることにしたよ。

普通の主婦が

2012年3月~4月の2週間、家を留守にして

はじめてエチオピア(アフリカ西部)に行ってきました。

目的は、孤児院でのボランティア活動。


このブログは、その時のありのままの記録であるとともに、

アフリカの子どもたちをどう支援していけばいいのか、

著者なりに考えたことを綴ったものです。


見るもの、聞くもの、感じるもの、すべてがはじめての体験。

ご一緒にアフリカを身近に感じてもらえれば嬉しいです。

旅のはじめからご覧いただくには、こちらからどうぞ。


 http://ameblo.jp/loveethiopia/entry-11194617727.html






Amebaでブログを始めよう!

たくさんの人たちに出会いました。

たくさんの笑顔に出会いました。

たくさんの優しさに出会いました。



つらい場面にも出会いました。

悲しい場面にも出会いました。



でも、きらきらと輝く子供たちの眼差しに見つめられ、

ヨハネスのように勉強が好きで、将来の夢を持った少年と話をすると、

この子供たちがこの国の未来を創っていくのだと感じました。




今回の活動を通して、本当の意味での「支援」のあり方と

いうものを考えさせられました。

今、私たちにできることはなんなのでしょう。

これからその答えを見つけいていくうえで、

今回の旅は、まずは、エチオピアという国を知るとことができた

大きな一歩だったように思います。


出会ったすべての人に感謝したいと思います。


ありがとう!




エチオピアからのラブレター   

キディストのクラスで一番元気な男の子  泣き虫・・・

エチオピアからのラブレター    

これからお弁当なの・・・

エチオピアからのラブレター-お昼寝    

年少さんのお昼寝風景 Zzzz・・・

エチオピアからのラブレター    

お昼休み  本当にかわいい!

エチオピアからのラブレター    

はい、あ~んして


エチオピアからのラブレター    

        おいしいよ!

エチオピアからのラブレター-LwmLwmKG朝の集会    

朝の集会で "One little finger, one little finger~♪"

エチオピアからのラブレター-LemLem女の子    

         仲良し♪

エチオピアからのラブレター    

    いつもにこにこのレムレム

    
エチオピアからのラブレター    

   アツィダ(この学校の理事長)と

 伝統的衣装をプレゼントしてもらいました

エチオピアからのラブレター    

私のために開いてくれた最後のコーヒーセレモニー

エチオピアからのラブレター    

         朝の体操

エチオピアからのラブレター    

毎日の食事を作ってくれたラッタイ(右)とデモス(左)

エチオピアからのラブレター    

         休み時間に

エチオピアからのラブレター-オスカー    

オスカーと  おいしいコーヒーありがとう!

エチオピアからのラブレター-キデシスト    

     2児の母、キディストと

エチオピアからのラブレター    

 子どもちたちが必ず寄って来てくれる!

エチオピアからのラブレター-マンマ    

     皆から愛されているマンマ

エチオピアからのラブレター    

 必ず私と手をつなぎたがった女の子

エチオピアからのラブレター-ブラハム    

          ブラハム


エチオピアからのラブレター    

フェダイ・・・将来の夢は医者! 猛勉強中

エチオピアからのラブレター    

       アツィダ・・・仕事の顔

エチオピアからのラブレター    

      愛すべきmy family!

エチオピアからのラブレター    

インターネット・センターでお世話になりました

エチオピアからのラブレター    

エルダナ  とても魅力的な女性・・・日本人のBF募集!


エチオピアからのラブレター    

  アツィダ/テスファーフネン/フェダイ

エチオピアからのラブレター    

       アツィダのお母さん

エチオピアからのラブレター    

   ほかのボランティアのみんな

エチオピアからのラブレター    

    LemLem小学校の生徒たち

エチオピアからのラブレター    

ミミ  お昼ご飯を毎日作ってくれてありがとう!

エチオピアからのラブレター   

メッシー  LemLem幼稚園の頼りになる主任

エチオピアからのラブレター-LemLem小学校    

 LemLem小学校の元気な男の子たち








    ラリベラで出会った人たち


      ~記事内に載せられなかった写真です~


エチオピアからのラブレター-巡礼に来た女性たち   

    巡礼に来た女性たち

エチオピアからのラブレター-ラリベラの役人   

観光客のチケットをチェックするお役人さん

  
エチオピアからのラブレター-職業訓練校の校長先生   

    職業訓練校の校長先生

エチオピアからのラブレター-ラリベラの家    

        ラリベラの家

エチオピアからのラブレター-ラリベラの街の少年たち    

     街中で遊ぶ少年たち

エチオピアからのラブレター-ラリベラの街の様子    

        街中の様子

エチオピアからのラブレター-アシェトン山で出会った男性    

   アシェトン山で出会った男性

エチオピアからのラブレター-村の男の子    

      家の前で遊ぶ少年

エチオピアからのラブレター-ガイドのアベベ    

  ガイドのアベベ・・・誠実な方でした

エチオピアからのラブレター-トゥクル・ビレッジのマネージャー    

  トゥクル・ビレッジのマネージャー

エチオピアからのラブレター-アシェトン山のふもとで     

 アシェトン山の麓で出会った子供たち

エチオピアからのラブレター-マーケット会場で     

   サタデー・マーケットの様子

エチオピアからのラブレター-マーケット会場    

      マーケットの入口

エチオピアからのラブレター-マーケットへ向かう人たち    

    マーケットに向かう人たち


エチオピアからのラブレター-ラリベラの女性たち    

マーケットで買い物を済ませて帰る女性たち





     ~ 旅を終えて ~


外国に行ってまったく日本とは異なる世界で生活をすると、
これまで考えもしなかったことを考え、感じなかったことを
感じるようになる。
バンコクに着いて、トイレに入って、大きなロットに
たっぷりとトイレットペーパーがあるのを見て、
なんと安心したことか。
エチオピアのトイレには、トイレットペーパーがないのだ。

当たり前だと思っていた生活や価値観が、まったく当たり前では
ない世界もある。

街中に物乞いをする人たちが普通にいるのが当たり前の社会。

巧みに人の弱みに付け込んで、盗みをする少年たちがいる社会。

そしてそれをあたり前のことだと済ませてしまう社会。

「格差社会」だから、と片づけてしまってはそれまでだが、

日本に住んでいては感じなかった様々な違和感。

この違和感を、どう受け入れ、自分の中でどう処理していいのか、
自分なりの結論は出ていない。


しかし、どんなに違う世界でも、変わらないことがある。
同じ人間としての「心」だ。

嬉しい気持ち、楽しい気持ち、悲しい気持ち、辛い気持ち。

やっていいこと、悪いこと、その善悪の価値観――。

これは、全世界普遍的である。

そして人と人が接するときに必要な
相手を思いやる気持ちや、いたわる気持ち。

誰かに何かをしてもらったり、してあげたりすると、

やはり嬉しいという気持ちは変わらない。


どんなに生きる世界が違っていても、相手を知ろうとする心、
分かりあおうとする心があれば、必ず分かり合えるし、その
根底に流れている人としての基本的なものは世界共通だと思う。


今回は私もおばさんになって、遠慮がなくなったせいか、

いろんな人に声をかけて、話をすることができた。

(子どもとはなかなか英語が通じず、残念だったが)

そして、人としての同じ思いを分かちあえたことは本当に嬉しかったし、

大きな財産となった。


私のことを本当の家族のように心配し、接してくれたテスファーフネン一家。

同僚として私を受け入れ、私の提案を快く受け入れてくれて一緒に楽しんで

やってくれたLemLemスクールの先生たち。

ラリベラで会ったガイドのアベベ。そしてヨハネスとトーマス。

最後に私の話を聞いてくれたインターネット・センターのおばさん・・・・・・ect。


エチオピアの人たちは、他のアフリカ諸国のような陽気な人種というより、

どちらかというと、日本人に近い感性を持っているような気がした。

街中で私が困っていると、必ず誰かが声をかけてくれるし(これは善意で)、

何かを尋ねると、親切に教えてくれた。

悲しい思いもしたが、心が優しい人が多いと思う。


アジス・アベバの街の中には、建設中のビルがあちこちに見られた。

インフラも整備され、これからますます発展していくだろう。

これも、10年以上首相としてこの国をリードしてきたメレス首相の功績が

とても大きいようだ。国民からの信頼を得てリーダーシップはあるのは、

どこかの国とは大違いだ。

しかし、この国が今後ますます発展していくには、国民全体の

水準をあげていかなければならない。

そのためには、まだまだ長い道のりが必要だろう。

その第一歩は、やはり教育だと思う。

国民一人一人がしかるべき教育を受け、自分たちの生活設計を

きちんと立てられるようになることがまずは大切だと思った。


          ***


初めて、アフリカの地に足を踏み入れ、

現地の人の生活をともに経験させてもらい、

その生活の大きな違いを感じるとともに、

人としてまったく同じだということも肌で感じた今回の旅――。


2週間も家を留守にし、家のことは夫と末娘にすっかり
任せっきりとなった。

突然「エチオピアに行く!」と宣言し、それを
快く受け入れ、応援してくれた家族には心から感謝している。



次回は、是非ご主人も一緒に! とみんなから言われた。
そんな日がくれば、本当にうれしいのだが……。

でも、我が夫君は、あの生活は耐えられないだろうな・・・・・・。









4月2日  乗継待ち時間:10時間


バンコク    スワンプーム空港


アジスアベバを夜11時55分に出発すると、
ハニーワインが効いてきたせいか
、すぐに寝てしまった。
それから2時間くらいして、夜中だというのに、
起こされて
夕食を食べさせられ、また寝る。


バンコクのスワンプーム空港に着いた時には、
8時間狭い飛行時間でじっとしていたのと、やはり2週間の
エチオピアの疲れがさすがに出てきたようだ。
そこで、タイ式マッサージをしてくれるところがあると
聞いていたので、さっそく行ってみた。


1時間のコースで、フットマッサージと肩から腰までの
マッサージで22ドル。

足はかなり臭いぞと思っていたけど、
きちんときれいにまず洗ってから、オイルでマッサージ。

それから、肩から腰は、椅子に座ってクッションの
前にして、上から下に揉み解してくれる。

甘いマスクのお兄さんで、なんか照れてしまった(照笑)。

ほとんどまともに顔を上げられず、

1時間の間、ほとんどずっと寝ていた。


エチオピアからのラブレター-フットマッサージ
       フットマッサージ


それから、現地では髪の毛をなかなか洗えなかったので、

日本に帰る前にきれいにしておこうと、ヘアーサロンに行った。
シャンプー、ブローで、14ドル。
エチオピアでは、持参したドライヤーがすぐに壊れてしまい、
ドライヤーなしの生活だったので、やっと文明人らしい
すっきりとした髪型になった気がする。



エチオピアからのラブレター-ヘアーサロン
        ヘアーサロン


すっきりとしたところで、腹ごしらえ。
パスタ系はもういい。せっかくバンコクにいるのだから、
タイ風ヌードルをいただいた。
これが、もう美味しくて、美味しくて!
毎日毎日、インジェラ、パスタ、インジェラの生活だったので、
本当に、魚介のだしが効いた、本当に食事をとっている
という気がした。


なんせ、待ち時間が10時間もあるのだ。
この空港はとにかく広いので、見て回るだけでも楽しいが、
タイに在住していたことのある友人に聞いていた、おススメの
お店に行ってみる。
DOITUNGというタイの北の地方の人達の生活を向上させために
始まったプロジェクトで生産された純綿製品のお店だ。
素敵なストールほか、手帳、カード、クッキーなどを購入。


空港のフリーFiwiを使って(ユーザー名とパスワードを
インフォーメーションでもらう)
待ち時間にブログの続きを書き上げる。



それにしても、チェックインができたのが、

搭乗時間の1時間前。

しかも、タイ人のチェックイン女性は、お客さんがいるのに、

平気な顔をしてゲームをしている!

もう、日本だったら考えられない!


サービス産業の質は、日本は世界一だ!

外国に行くと、それを本当に実感する。

日本は、やっぱり、本当にいい国だ~。







4月1日(日)


朝9時半にエルドナとセデス・キーロのガソリンスタンドで
待ち合わせをして、ベルギーのフィリップ夫妻と一緒に
エントットへ。


エントットはアジスの街が一望できる山で、
その昔王様と王妃が住んでいたところだ。
エチオピアで一番古い教会もあり、
なかなかの歴史を感じさせる。



エチオピアからのラブレター-エントット

        エントット山


しかし、そこに行くまでが大変だった。
例の乗合タクシーを乗り継いでいくのだが、
ふつうどうみても多くて定員12名のところ、

20名近くの乗客を乗せているので、
坂道をなかなか発進することができない。
5分くらい頑張っていたが、エンジンがうなるだけで動かない。
仕方なく乗客は降りて、別の車に移った。

なんとも、信じられない光景だ。


エチオピアからのラブレター-乗合タクシー

    これに乗るだけ乗るのである!



昨日は、走行中にタイヤがパンクして、乗客はいったん
降りて、交換の間、外で待つという事態になるし。
それもこれも、ここでは当たり前の光景なのだ。


エントットからの下りは、車で下りるのも恐ろしい
気もしたし、歩いていくことにした。
眺めもいいし、その方が気持ちよさそうだ。


しかし、途中でここでも子供たちが
"Give me money"と言ってくる。
観光客が多いこの地域では、こうして子供たちが
お金を観光客にせびるのも当たり前のことらしい。


エチオピアからのラブレター-Children

         少年たち



昨日のことがあっただけに、私は本当に悲しかった。
エルダナがその子たちに、言って聞かせる。
人にお金をたかることはやめなさい、と。


あの子たちにお金をあげることは可能だ。しかし、
それは彼らにとっては決していいことではない。
ああやってねだれば、すぐにお金をもらえると思えば、
自分で努力をしなくなる。
私の財布を盗んだ昨日の少年のように、大金を盗んでも
平気でいるようになっては困る。
自分でしっかりとお金を稼いでいけるようになって
もらわないと困るのだ。


本当の意味での、支援、援助ってなんだろう、と
考えてしまう。「施し」を受けて生きることに慣れてしまった
人は、楽な道を選んでしまう。
そういう道を選ばせているのは、私たちなのかもしれない。
安易な援助は返って彼らのためにはならない。


エルダナは仕事のできない老人や、子供を抱えた母親などには
施しをすることもあると言う。しかし、子供にはぜったい
あげないと。そして、子供たちには、お金をねだるようなことは
するなとしっかりと言って聞かせると。


エチオピアからのラブレター-エルドナと老婦人

   田舎ら出てきた無一文の女性に

   頼まれて、電話をかけてあげる

   エルドナ。 数セントを渡す。

    



その後、アジス・アベバ大学の民族博物館に行く。
エルダナは、今ここの大学院でエチオピアの文化と歴史を
学んでいる。将来は、もっと観光業を発展させられるような
仕事もしたいと考えているようだ。
できたら、私と組んで、エチオピアに日本からの観光客の
誘致ができないかと、話をもちかけられた。以前オーストラリアの
写真家と一緒にツアーを組んで企画したこともあるらしいのだ。
彼女も今LemLemスクールの仕事もあるし、年に1度くらいの
頻度で自分が考える案内をしたいと思っているようだ。

代理店に払う代金をなくし、安くて質の良いツアーを

計画できると彼女は言う。
確かに、エチオピアのいろんな現地のことをよく知っている

彼女とならうまく行くだろう。



エチオピアからのラブレター-アジス・アベバ大学

     アジス・アベバ大学 

     向うに見える14段の階段は 
     イタリアに占領されていた14年を象徴 


大学の規模、歴史、雰囲気、素晴らしい。

ナショナル・ミュージアムよりずっと展示の施設も

整っていて、見やすい。もっと早く来ればよかった。
クリスマスには噴水が出るというきれいな場所は
「キス・スポット」と言われ、夕方からはカップルで
にぎやかになるらしい(微笑)。
ユニセフの職員たちも見学に来ていた。ユニセフの車は街中でも
よく見かける。ほかの車よりかなりきれいな車なので、目立つ。


フィリップ夫妻とはセデス・キーロで別れた。アジスに着いて
3日目の彼らは、少々この生活に動揺しているようだ。
昨夜から今朝にかけては水道の水が出なくて、貯め水を使って
顔を洗い、体を洗ったらしい。
62歳。すごいよな。


夫妻と別れた後、私とエルダナは、エチオピアのコーヒーの発祥の地
ともいわれる「トモカコーヒー」に行って、お土産用にコーヒー10袋購入。
エチオピアのコーヒーと言えば、日本では「モカコーヒー」として
有名だが、その名前がこの「トモカコーヒー」から来ているのかは
定かではない。


その後、ピアッサで食事をしようと街中を歩いていたら、彼女の
従弟に会い、一緒に食事をすることに。エルダナにはいろいろ
お世話になったので、ここは私のおごりで。



エチオピアからのラブレター-エルダナと従弟

      エルダナと従弟


なにやら彼がエルダナに銀行の手形のようなものを見せて
うれしそうに話している。アムハラ語なのでよくわからない。

どうしたのかと英語で聞いたら、この地方独特の互助会の

ようなしくみで、彼は大金を手に入れたばかりだと言う。
組合のようなものの中で、組合員がそれぞれもらった給料の一部を

出し合い、その出資された全額をひとりの組合員に渡す。

そのお金を受け取った人は、必要なものを購入できる。

今月は、彼にその順番が回ってきたので喜んでいるらしい。

彼はそのお金でタクシーを買うらしい。


次回エチオピアに来た時には、是非専属のドライバーになってね、
とお願いした。



エチオピアからのラブレター-街で会った女の子たち

    街で出会った女の子たち


その後、この辺の土産物屋を見て(値段は交渉次第)、
エルダナも一緒に家に帰る。
家には、テスファーフネンがいた。
長女のエルダナは忙しくてなかなか家に帰れないから、
久しぶりの父娘の時間だ。テスファーフネンもうれしそう。



エチオピアからのラブレター-父と娘

         父と娘



約束していたフルートの演奏を披露。
エルダナも興味を示し、ちょっと吹かせてあげる。


エチオピアからのラブレター
    エルダナ ~初めてのフルート~


テスファーフネンは、先日教えてあげた新聞紙の
箱を自慢げにエルダナに見せていた。
どうも、テスファーフネンは、娘のエルダナには素直なようだ。


今日もまた激しい夕立が降り出した。
最後の晩餐は、エチオピア最後のインジェラだ。
これももう食べられないかと思うと、よく味わって食べた。
エルダナと家で一緒に食事をするのははじめてだ。
ゼライはいないが、家族4人+私の5人での和やかな夕食となった。


エチオピアからのラブレター-最後の晩餐 インジェラ!

        最後の晩餐


0時40分発の飛行機なので、

10時15分前にサミーが迎えに来てくれることになっていたが、
食後、アツィダがエチオピア伝統的な踊りを見せてくれる店に
連れて行きたいと言う。あと2時間はたっぷりある。

空港に行く途中だから、サミーが10時に店に迎えに来ることに。


なんと、うれしいことか! 外はまだ雨が降っていたが、
スーツケースを車のトランクに入れ、食事を作ってくれた
ラッタイとデモスに別れを言う。いいかどうかはわからなかったが、
二人には、20ブルずつこっそりと渡した。アツィダには内緒で。
彼女らは、親戚だとアツィダは紹介してくれたが、

おそらくアツィダは彼女たちの生活の面倒をみながら、
家のことをやってもらっているのだろう。
15歳のデモスはここから学校にも通わせてもらっているようだ。



エチオピアからのラブレター-ラッタイとデモス


その伝統的踊りを見せてくれる店は、外国人も多く、
とてもにぎわっていた。
エチオピアには80以上の部族がいるので、いろんな踊りが
あって、とても興味深い。そして、かっこいい!

肩を震わせるようにして踊る踊りは、テスファーフネンの
出身の村の踊りらしい。彼もなかなか上手い。


途中会場から選ばれた女性と男性が壇上に上げられ、
伝統的なしきたりでの結婚式が始まった。
観客を喜ばせる進行はなかなかなものだ。
私も途中一緒に踊らされ、盛り上がった。


エチオピアからのラブレター-エチオピアのダンス



エチオピアの伝統的なお酒、ハニーワインを飲んでごらんと
言われ、注文してくれたのだが、とても度数が強くて、
かなり酔っぱらってしまった。


エチオピア最後の夜は、こうして家族のみんなが
温かく私を見送ってくれて、空港では思わず
涙がこぼれた。アツィダとも抱き合って、別れた。



いろんなことを感じ、いろんなことを考えさせられ、
いろんなことを経験した2週間だった。
そして、何よりも、私にとって、このアツィダと
テスファーフネンの家族と一緒に過ごせたことが
何よりの財産となった。


ありがとう。
心から感謝……。



エチオピアからのラブレター-my family



     

     ありがとう my family!







エチオピアからのラブレター-アツィダ   

       Astuede(アツィダ)   

          
エチオピアからのラブレター-フェデイ
        Fedawit(フェデイ)

       

3月31日(土)


今日はプロジェクト・アブロードの活動の一環として、
他のボランティアと一緒にNGOが主催するマーケットに行き、
ランチをとることになっている。

集合場所のメキシコのラビ・シェベルホテルに少し早めに行き、
ホテルのワイファイを借りて、メールのチェックとブログの
アップをする。


NGOのマーケットは外国人がとても多く、ここがあのアジスに
いるということを忘れるくらいだ。こんなところがあったのかと
驚いてしまう。白人、中国人、日本人?がこの街にこんなにいたのか
と思うくらいに、きれいな車で乗り付けてくる。
おそらく、大使館やユニセフの職員の家族なのだろう。


なにしろ、ここアジスアベバのイギリス大使館、アメリカ大使館、
フランス大使館などはびっくりするくらい広くて、きれいで、鉄条網
がはられていて、外から見る限りまったくの別世界のような気がする。


それはそうと、このマーケットでは地元でいろんなNGO活動をしている
団体(障碍者団体、子供の就学支援をしている団体、森林保護の活動を
している団体など)がそれぞれブースを出している。
そういう団体ならばと、できるだけ買ってあげることに。
とにかく、外国人向けの値段なので、他よりだいぶお高い気がするが。


他のボランティアに会うのは、今日が初めてだった。

カナダから来た大学生の女性、高校を卒業したばかりのスイスから来た

女の子。あとは昨日会ったベルギー人のご夫婦。そして、ビクセンと
エルダナ。
みんな2,3か月はここで活動をするらしく、本当にすごいなと思う。
正直言って、私は2週間が限界かも…と思った。
確かにもっといれば、生活にも慣れるだろうし、この社会にも馴染めるの
かもしれないが、毎日あの路上生活をしている人たちを見て、物乞い
をする老人や少年たちに接する生活をし続けるのはつらい。
その場でお金をあげて済む問題ではないだけに、とてもむなしくなる。



エチオピアからのラブレター-ほかのボランティアの人たちと


昼食後、エルダナとアラ・キーロまで一緒に行き、別れた。
今夜の夕食ご招待のために銀行でお金をブルに換金しておく。80ドルで1360ブル。
数百ブルを財布に入れ、残りのブルとドルは封筒に入れて、
ウェストポーチにしっかりと収め、チャックをする。


何だか今日は普通の生活が出来が様な気がして、ちょっと気分も
よく、心も浮かれていた。  それが、いけなかったのだ……。


アラ・キーロの交差点を渡っていたら、少年たちがまた
「ティッシュを買って」と寄ってきた。
「ティッシュはあるからいい」と何度言ってもしつこく付いてくる。
明日はこの街ともお別れだと思うと、この少年たちの話を聞いてやっても

いいかと「いくつなの?」なんて尋ねたりした。しかし、通じない。

しまいには少年たちは私を取り囲み、ひとりの少年が私の目の前に立ちふさがり、
ティッシュの箱を突き出して、「マザー、ファザー」とかなんとかずっと

しつこく言って離れない。

横断歩道を渡りきったところで、「悪いけど、急いでいるから」と振り切って

行こうとしてふと下を見ると、ポーチのチャックが開いていることに気付いた!


しまった、やられた!!!
目の前にいたティッシュの箱を持った少年の手をつかんで、
「あんたの友達はどこなの???!!!」
と問い詰めた。あたりを見回しても、ほかの少年たちはいない。

逃げられた!
「どこ行ったの???!!!」

私は大声で叫んだ。
ただ事ではないとみた老紳士が寄ってきた。
「財布が盗まれた!」と言うと、老紳士が少年にアムハラ語で
しかりつけている。


横断歩道を戻ったところで、少年の手に封筒があるのを見て、
ポーチの中を見ると、封筒がない。
「私のお金!」と、ブルとドルの入った封筒を取り返した。
しかし、ポーチの中には財布がない。
「やられたー! なんてこった!」


私はただ絶望して、目の前が真っ白になった。
おそらくかなり取り乱していたのだろう。通行人が大勢寄ってきて、
なんだ、どうしたんだ、とばかりにべらべらと話し出した。
なんといっているのか全くわからなかったので、「この中で英語の
わかる人はいますか?」と聞くと、30歳くらいの男性が片言の英語で
少年が言っていることを解説してくれる。


自分はほかの少年のことは知らない。何の関係もないと言っているらしい。
周りの大人たちは、ここではよくあることだ、気にするな。お金を恵んでやったと

思えばいいじゃないか。おそらく少年と財布を取った少年とは関係はないだろう、

と言う。
とられたのはお金だけかというので、財布ごと取られたんだ。
少年はやってはいけないことをやったんだ。よくあることで済ませては
いけない! 私は財布を取り戻したい! と強く訴えた。

"It's a bad thing to steal the money from others!!!"


少年は、周りの大人たちから責め立てられ、泣き出し、ますます
事態は混乱していった。陸橋の上で、私は男たちに囲まれ、どうしたら
いいか途方に暮れていたら、さっきの英語のしゃべれる男性が
ここで待つようにと言う。
待っていたら、私の財布を持った少年を捕まえて、連れてきた。
しかし、中を見ると、空っぽだった。


「お金はどこなの? どうしたの?」
と問い詰めるが、少年は泣くばかりで、拉致が明かない。
その間も、周りのやじ馬たちが大声で少年に怒鳴りつけ、
もう、何がどうなっているのかわからない。
英語の男性が少年と私に付いてくるように言う。
いったいどこに行くのか?


連れて行かれたところは、警官のところで、婦人警官が
少年にきつく怒鳴りつける。少年はますます泣き出し、
警官は少年を蹴り出す始末。

どうするか? と私は聞かれたが、どうするもこうするも、
私は盗まれた財布を取り戻したいだけだ。
では、警察署に行こうということになり、ガソリンスランドの
横のがれきの中を通って、何とも辺ぴなところにある警察署
まで一緒に行った。


そこで、私はまたカチンとくるのだ。
警察署がなんでこんな辺ぴなところにあるのかもおかしな話だが、
そこにいる若い警官たちが、ことの事態を察知して、へらへらと笑って
いるのだ。大したことじゃないとでもいうように。
"Take it easy!" と言われた時には、本当に殴ってやろうかと
思った。あんたらがそんな態度だから、この街の少年たちが
盗みをしてもいいと思ってしまうんだろうが!


とにかく、話にならない。私が引き下がらないので、ここの
所長と話をすることになった。彼は一応英語は話せるが、なまりが
はげしく、何を言っているのかよくわからない。しばらくやり取りを
してから、どうも少年は財布の中身をとった別の少年の住所を知っている
らしいから、こちらで行ってみて確認をし、連絡をするという。
私は明日日本に帰るのだ。私の携帯に連絡をもらっても、もう
使えないかもしれないし、まずこの人の英語じゃ何を言っているのか
わからない。
そこで、アツィダの連絡先を教えた。
本当に連絡をくれるのだろうか。所長もなんだかにやけた顔で
言っているので、信頼できないが、ここにいてもしようがない。


なんてこった……。
せっかく帰国を翌日に控え、楽しい気分でいたのに、こんなことに
なって……、本当にショックだった。


私は教育省の前の交差点を渡りながら、
この国はどうなっているんだ!!! と怒りが爆発しそうだった。


乗合タクシーに乗ったら、横の男性から声をかけられた。
前にアツィダに朝送ってもらった時に途中で乗ってきた生物の
先生だった。よく覚えていてくれたものだ。
落ち込んだ顔をしている私に「どうした?」と聞いてくるので、
実は…、と話をした。
「それは大変だったね」と言ってくれたところで、家の近くまで
きたので、あわてて「ワラチ!(降りる)」と言って、飛び降りた。


昨日インターネットの使用料を払っていなかったのを思い出し、
支払いに行くと、いつものおばさんがいた。
「昨日の分、払っていないから……」と言うと、
「そんなの、いいのよ」
と、本当に気にしていない。
「いや、そういうわけにはいかないですから」と、30分の使用料
6ブル(36円)を支払う。
やはり、私はすぐ顔に出るのだろう。様子がいつもと変なのを察知して、
おばさんは
「どうしたの?」と聞いてきた。事の始終を話しているうちに、
涙が出てきて、「私は明日日本に帰る。これまで本当にいい思い出が
できたのに、最後にいやな思いをしてしまった。少年たちはもちろん悪いが、
あの警官たちの態度に腹が立つ」ということを話していたら、本当に
涙が止まらなくなり、思いを吐き出してしまった。一緒にいた別の客も
一緒になって、私の話を聞いてくれた。


いつもは、結構クールなおばさんだが、今日は「ほら、そこに座って」と
とても優しく、私の話を聞いてくれた。自分もここでちょっと目を離した
すきに携帯を盗まれたことがあって、こういうことはよくあるのよ、と

彼女にも言われた。
実際に盗みは日常茶飯事なのだろう。それをこの国の人たちは当たり前で

済ませているのだ。本当にそれでいいのだろうか。
彼女は、私に親近感を覚えたのか、メールを書くからアドレスを教えて

ほしいと言う。この国の人はすぐにメール交換をしたがる。


家に帰ると、誰もいなかった。
アツィダの電話番号を警察に教えたことを伝えなければと思い、
彼女に電話をした。一応事の次第を話しておかなければ電話があったときに
びっくりしてはいけないと説明を始めたら、彼女は電話を誰かに代わった。
それが誰なのかわからない。

「え~っと、どちら様ですか?」と聞くと、
「○○だ」と言うが、その名前が聞き取れない。まあいい。関係者だろうから、
話を続ける。しかし、電話だと相手の顔が見えないだけに話しづらい。
私の話を聞きながら、相槌の打ち方と確認の仕方から、これはテスファーフネン
(お父さん)だと分かった。


すぐに帰るから、家で待っているようにと、まるで私の本当の父親のように言う。
彼らが帰ってきて、また説明のし直し。もう、いいよ。カードも、パスポートも
無事だったわけだし、お金だけだから。
それより、今夜は、せっかく私がみんなを夕食に招待しようと思っていたのだから、
夕食に行こうと言うと、
「いや、こういうことは、きちんとしておかないと、夕食に行っても
楽しくない。私はマキのホストファミリーで、彼女はうちのゲストだと
話をしに行く」と譲らない。


また、話がややこしくなりそうだが、彼も一度言い出したら聞かない人なので、
言うことを聞いて(…と言うか、私のためにこうして時間をとってくれることに
感謝をしないといけないのだ)


途中雨が降り出した。どんどんひどくなっていった。土砂降りの中をアツィダが

運転する車は曇って前はほとんど見えない。奥まったところにある

警察署はわかりづらく、やっとの思いでたどり着いた。
また若い警官たちが、また来たのかとでもいうような態度で入口を

ふさいでいるので、中に入ろうとテスファーフネンを促す。
まあ、待て。と彼に言われ、若い警官と何かを話している。


所長はおらず、あの少年は廊下に寝そべるようしてこちらを見ていた。
まだ、ここに拘留されていたんだ。こんな小さな少年なのに。
裸足、服はボロボロ、顔も汚れで黒い肌が白くなり、うつろな目で
じっとこちらを見つめている。お腹も空いているのだろうな。


私は何ともいたたまれない気持ちになり、しゃがみ込んで少年に尋ねた。
"Did you steal my money? Just tell me!" "Look at my eyes"
私はお金語を取られたということより、この少年が嘘を言っているかどうか
が知りたかった。もし本当に取ったのなら、それは絶対やってはいけない
ことだと教えてあげたかったし、もし、彼は中身を取った別の少年から
空っぽの財布を渡されただけなのであれば、彼をすぐにここから釈放して
あげてほしかった。


年を聞くと、8歳だという。もう一人のお金を盗んだ少年は10歳だという。
テスファーフネンが、彼はそういう目で見て、同情を買いたいだけなんだ。
彼は別の少年を知っているというんだから、みんなグルなんだよ。
あまり同情するのはよくない」と私が情に流されようとするのに釘を刺した。


結局、所長とは会えなかった。

おそらく、所長は少年の家に行くこともしないだろう。
所長の言うことも信用できず、お金はもどってはこないだろう。
警察がそういうことだとしたら、この国の子供たちはこれからどうなるの
だろう。
ますます、気が滅入った。


大雨の中、家に帰ると、停電で、家の中は真っ暗だった。この雨の中、
運転をすること自体難しいので、せっかくディナーにご招待しようと思っていたが、

あきらめて、家で食べることになった。
しかし、外食する予定だったため、何の準備もしていない。
あるもので食べましょうと言うことで、蝋燭を立て、
残り物をみんなでつついて、真っ暗な中、キャンドル・ディナーとなった。


本当に散々な一日だった。


"What a day!"






3月30日(金)夜    


今日、LemLemスクールに私と入れ替わりで新しいボランティアの
老夫婦がベルギーから来た。その受け入れでアツィダは忙しそうだ。
8時過ぎても帰ってこないので、テスファーフネン(お父さん)と
二人で夕食ととることにした。


お父さんは、とても真面目な人で、私がちょっと冗談を
言うと、それを冗談と受けとってくれるが、根が真面目なので、
すぐに話が固くなる。


しかし、今夜は私もすべての任務から解放され、
気分も晴れやかだったし、なんだか気持ちにも余裕があった。
不思議なことだが、ここにお世話になるようになって、
この家に帰ってくると、とてもゆったりとした気分になり、
ホッとできる。本当に自分の家のような気持ちになる。
今日一日の疲れが、ここに帰ってくると癒される。


そのようなことをお父さんに話すと、私というキャラクターが
とても内から湧き出すエネルギーがあり、とてもフレンドリーで
すぐに打ち解けてくれて、話しやすいし、ゲストとして
受け入れている気がしないと言う。


本当に不思議なのだが、この家にいると、私自身も時々
自分が「客」であるということを忘れるくらい、自然に
この家に馴染んでしまった気がするのだ。
この年になって、外国で暮らし、その土地の人と交流を
すると、あまり恥とかを感じないのだろうか、私の好奇心の
ほうが先に立って、同じ人間に対する興味の方がが先に出てしまう。


昨日買ってきたリンゴがテーブルに乗っていたので、ここでは
普段はどうやって食べるのかと聞いたら、小さいリンゴなので
かじるらしい。
 (ちなみに、ここではリンゴはとても高価な果物らしい。
  小さなリンゴ5個で87ブル(500円)だった。確かに高価かも)


では、日本式に私がむいてこようと台所に向かった。
1個を4つに切って、皮をむいて出す。
(それにしても、包丁がまったく切れない。そばにあったお皿の
底で包丁を研ぐ。少しは切れるようになったが、お皿をそんなことに
使っていいものか、わからなかったので、黙っていることにした)
こういう食べ方はあまりしないのか、珍しがっていた。
リンゴをむきながら、そうだ、あの広告の紙で作る箱が
あればいいよな…と、お父さんに古新聞はあるか聞いてみた。
(さすがに広告はないだろうと思って)


新聞といっても、こちらの新聞は日本の新聞の半分くらいの
大きさなので、それを半分にしたらちょうど広告の大きさになった。
さっそく箱を折ってみせると、お父さんは自分もやるという。
とても興味を示して、何度も何度も折っている。私にぜったい
口をはさむなと言い、ちょっと「イエス」とか、「ノー」とか、小さな声で
言うと、「シャット ユア マウス」と言われる。
ここまで熱心にやるとは思わず、びっくりした。一度始めたことは
完璧にできるまでやらないと気が済まない性分らしい。そういう教育で
育てたからか、ここの子供たちはみなとても賢い。


そのうちにアツィダとフェダイ(娘)が帰ってきたので、
山のように積みあがった箱を見せて、これ全部お父さんが
作ったんだ、と言うと、彼はそれまで必死で新聞紙と格闘していた
その手を止めて、知らんぷりをしてテレビを観るふりをしている。
私がいくら彼の功績を褒めても、まったく聞こえないふりをしている。


エチオピアからのラブレター-箱を折るテスファーフネン


 嬉しそうに箱を折るテスファーフネン



アツィダが「こういう人なのよ」とでも言っているように、人差し指
を出して横に振りながら、顔をしかめた。
どこの夫婦も同じだな……。
しかし、可愛いお父さんだと思う。会話の話題が自分の箱から逸れると、
また箱作り始める。真面目なんだけど、ちょっとお茶目なところが
ある。できた箱をちょっと得意そうに私に見せる。


私も今日は明日のクラスの準備もないし、夕食後はリビングで
のんびりとさせてもらい、楽しいひと時を過ごさせてもらった。


確かに、私は、誰と話すのもあまり違和感を感じない。街の中でも
家でも、学校でも。
どうしてかな。その人に興味があると、その人のことをもっと
知りたくて、自然と会話が弾むのかもしれない。どこの国も人間は
同じなのだから。興味も関心ごとも似ているのだから。


エチオピアも残り、あと二日だ。






3月30日(金)

LemLemスクール最後の日


今日でLemLemスクールともいよいよお別れだ。
昨夜、お世話になった先生たちへのお礼として千代紙で
20個のTシャツを折った。(初日に先生達はとても気に入って
いたから)


朝、アツィダが一緒に学校に行くからと、車で乗せて行ってくれた。
途中学校の先生たちをピックアップしていく。
あの乗合タクシーに押し込まれて乗っていくのは、正直言って
かなりしんどい。ふう、助かった。


7時45分にはLemLemスクールに着く。
門から入ると、早く来ている子たちが寄ってきて、手を伸ばして
握手をしたがる。


"Good morning! How are you this morning?"
"I'm fine thank you, miss"
と丁寧に答えてくれる。もちろん答えられない子もいるが。


朝の集いが始まるまでは自由に遊べる。
男の子と女の子は別々に遊んでいるのが面白い。
こうしてみると、男の子の数が多いみたいだ。
年長組の女の子は丸くなって、元気に歌って踊っている。
男の子は、「花いちもんめ」に似た遊びをしている。


エチオピアからのラブレター-女の子たち

      年長の女の子たち


年少組の子たちは、私が行くと、すぐに誰が私と手をつなぐかで、
もめるので、大変だ。遊ぶといっても、遊びの形がまだ形成されて
いないので、ごちゃごちゃと固まって遊んでいる。


エチオピアからのラブレター-年少組
        年少さんたち

 

         
朝の集会で、いつものように体操をして、踊りのうまい子が
みんなの前で踊ってくれて、



エチオピアからのラブレター-リトルダンサーズ

"Now, Hocky Pocky time!"と、私が壇上でお手本を踊る。
ホーキーポーキ―の踊りを2回、"One little finger"を2回。



エチオピアからのラブレター-アベル

        アベル 3歳


今日は、私の最後の日だということで、
校長のアツィダから素敵なエチオピアの民族服をプレゼント
してもらった。その場で開けて、さっそく身に着ける。



エチオピアからのラブレター-民族衣装をもらう


本当にみんなから歓迎されて、ここでできる限りのことを自由に
やらせてもらい、それを快く受け入れてくれた。
"Thank you, Maki" "Good bye, Maki" "We are friends forever"
とみんなで歌ってくれた。本当に感激して、涙が出そうになった。


私はそのお礼に、フルートの演奏をプレゼントした。
あまり長い曲は退屈するので、みんなに会えたことを感謝して、
いつまでも友達でいようという意味を込めて、
「今日の日はさようなら」を。
彼らにとって、このフルートの音が少しでも心に残り、
大きくなってからも、あの時聴いた音だと思い出してもらえると
うれしいな。


エチオピアからのラブレター-フルート



最後に、私からお礼の一言を言わせてもらった。
「みんなと一緒にここで過ごせたことはとてもうれしかった。
 これからも、先生の言うことをよく聞いて、たくさん遊んで、
 たくさん歌って踊って、たくさん勉強してください」
といったことを言った。ここを卒業した子供たちは本当に恵まれて
いる。こういった子供たちがこの国の将来をきっと担ってくれる
のだと信じている。


年少組のクラスの担任キディストに、今日は自分のクラスなんだから、
早く早くと急かされる。
一方で、オスカーが私のためにコーヒーセレモニーを準備して
くれている。
キディストのクラスでは、子供たちのブレクファストが9時半ころ
からだというので、30分くらいのプログラムで準備をする。



日本を出る前に友人のあきこさんから借りたCDの"Super Simple Song" は
本当に役立った。あの中の曲を何曲か何度も歌って、かなり覚えてくれた。
折り紙の犬に顔を描くことすら難しいことが昨日わかったので、
今日は、まず丸を描いた紙に、目と鼻と口を描いてもらうことから始め、
折った犬の折り紙に描いてもらった。
この方が達成感があって、よかった。
今日のクラスはとてもうまくいった。


私もだいぶ慣れて、何をどうすれば子供たちに伝わるかやっと
わかったところで、帰らないといけないことが心苦しい。
先生たちも、私が来て一緒に活動できたことを本当に喜んで
くれたし、叱るより、褒めて育てることの大切さを少しは
わかってもらえたと思う。


ブラハムが私を見ると何かを言いたそうにしているので、
思い切って家族のことなども聞いてみた。すると、18歳になる
一人娘がいるが、ご主人は兵士として何年も前に戦死したらしい。
本当につらい思いをして一人娘を育ててきたんだろうな、
「あなたはここで本当にいい仕事をしている。自信を持って
子供たちにハートで接してあげるといい。そしてそういう仕事を
していることに誇りを持ってほしい」
といったことを話したら、抱きしめて喜んでくれた。
もっと彼女とは話がしたかった。
ブラハムが自分のメールアドレスを教えてくれた。私のアドレスも
教えた。必ずメールをすると約束する。
彼女にはこれから励まし続けたいと思う。


ここにいる先生たちも、それぞれにいろんな悩みを抱えている。
教師としてちゃんと教育を受けていない先生もいる。
英語力にもちょと自信のない先生もいる。

幼児教育の大切さをちゃんと認識できていない先生もいる。
ボランティアとしてできることは限られているが、
その先生たちのフォローをしてあげることも大事な私たち
ボランティアの仕事であると思った。


エチオピアからのラブレター-キディストと子供たち

   キディストのクラス


キディストの娘の2歳の誕生日が今日だと聞いたので、
日本から持ってきた紙風船や、竹とんぼなどのおもちゃを
プレゼントした。彼女の娘には父親はいないらしいが、
それがどういう理由でかは聞き出せなかったが、彼女は本当に
子供を可愛がるいい母親だと思う。それはここの子供たちに
接する態度を見ればよくわかる。
22歳の彼女は、高校を卒業してすぐにここで働き始めた
らしい。


子供たちが朝食をとっている間に、私のために特別な
コーヒーセレモニーを開いてくれた。
先生たちの主任のメッシーは、陽気で先生たちを上手に
まとめ、また教師としての資質も素晴らしいと思う。



エチオピアからのラブレター-コーヒーセレモニー


今日は年少組の子供たちが全員帰るまで一緒に残った。
お迎えが遅い子供たちと一緒に部屋で待っていると、
「モコモコ……ニョキ……ツン……」と
言ってくる子がいた。
あの「もこもこ」の絵本が相当印象に残ったのだと、
とてもうれしくなった。あの本の中の言葉を全部覚えていて、
満面の笑顔で、私に何度も何度も語りかけてきたのには、
本当に感動した。
アベル、3歳。彼は日本に連れて帰りたいくらい、可愛かった。



エチオピアからのラブレター-子供たちと


ここでは教育的な絵本はたくさんある。
そして、その文章を子供たちは丸暗記している。
しかし、「もこもこ」のようなタイプの本は
おそらくこれまで読んでもらったことはないだろうし、
ここにはないのかもしれない。


「もこもこ」を読んであげているときの子供たちの輝いた
表情は脳裏に焼き付いて離れない。心の底から絵本を楽しんで
いることがよくわかった。初めて見る絵本の世界だ。
想像の世界を膨らますことの大切さを教えてくれる本だと
主任のメッシーに言うと、心からそう思うと彼女は理解を示してくれた。
この本を是非、年少から年長まで全クラス(7クラス、270名)に読んで
あげほしいと言われ、それができたことは本当にうれしかった!


ミシェリーンとの出会いも、本当に私にとってはとても大きい。
62歳でなお、新しい世界を開拓しようとチャレンジしている姿に
私はとても刺激を受け、彼女のバイタリティには見習いたいと
思った。ホストファミリーとうまくいっていないことが
心配だが、あと1週間の滞在期間にさらに充実した活動が
できることを願う。彼女も私といろんな話ができたことを
とても喜んでくれて、別れるときには涙を流して抱きしめてくれた。



エチオピアからのラブレター-ミシェリーン
         ミシェリーン


LemLemスクールで活動できたこと、
そしてここでのすべての出会いに心から感謝したい。


明日はいよいよ最後の週末。
プロジェクトアブロードのビクセンが他のボランティア達と一緒に
メキシコというところに連れて行ってくれるそうだ。


そして、明日の夜は、お世話になったホストファミリーのみんなを
感謝の気持ちを込めて、ディナーに招待したいと思っている。


エチオピアに来て11日目。ずっと天気が良かったが、
今、外は雷と大雨だ。まるで、私の涙のようだ……。







3月30日(木)夕方


アジスアベバには、路上で物乞いをしている人をよく見かける。
ミシェリーンと早めの夕食をとって別れた後、アラキーロまで
歩いていると、路上に若いお母さんが何か唱えながら、
路上に座り込み、その前には7歳くらいの子供が横たわっている。
おそらく何かの病気なのだろう。子供は横になって目を閉じた
まま、じっと動かない。


もしかしたら、お母さんも目が見えないのではないだろうか。
私が声をかけると(英語はもちろん通じないが)、視点の
定まらない目でこちらを見て、何か言っている。
子供(少年?)の前には、写真が飾ってあった。少年とお母さんの
昔の写真のようだ。きれいな服を着て、とてもきれいな人だった。
もしかしたら……、この子供は亡くなっているのでは……。

私は、やるせない気持ちで、この二人の前に数ブルを置いて、
その場を去った。



エチオピアからのラブレター

     若い母親と子供



落ち込んだ気分のまま、交差点を渡る陸橋を上っていたら、
少年が二人、あとを付いてきて、私のリュックのポケットにある
ペットボトルの水を指さして、「ウォーター、ウォーター」
と言ってくる。もう一人の少年は、「ブル、ブル」と言って

ずっと付いてくる。
私が飲んだ水の残りをこの少年は欲しがっているのだ。
半分くらいしか残っていない水を、私はこの少年に渡した。
彼は、うれしそうにそのペットボトルを受け取った。
少し風邪気味の私は、風邪が移るのではと、余計な心配をしている
自分がおかしかった。この子たちは、そんなことお構いないのに。


もう一人の少年は「ブル、ブル」と言っている。友人が水をもらったので、
自分ももらえると思ったのだろう。私から離れない。
財布を出すのはまずいと思ったので、ポーチのポケットにあった
小銭を少し渡した。
少年はコインを受け取ると、もう一人の少年と一緒にうれしそうに
去っていった。


以前にもこの陸橋で別の少年たちに付いて来られたことがあった。
陸橋を下りると、目の前に"Ministry of Education"(教育省)の
立派な建物があった。
この国の教育省はいったい何をやっているのか!!!





        
3月29日(木) 4:00 p.m.


インターネット・センターのおばさんも顔なじみになったせいか、
夕方行くと、自分はこれから子供を幼稚園まで迎えに行くので、
店番をしていてくれという。誰かが来たらすぐ戻るからと
伝えてほしいと。 


         常連となったインターネットセンター

          (家から3分のところにある)


      エチオピアからのラブレター-インターネットセンター


ちょっと、私も、これからミシェリーと夕食の待ち合わせを
しているんだけど!!! 


明日が最後のLemLemスクールなので、先生たちが気に入っていた
Tシャツの折り紙を折って、プレゼントしよう。


インターネットはまだ家庭には普及していないが、
街のいろんなところに「インターネット」と看板が出ている。
気軽に出入りできるので、とても便利だ。


時間帯によって、来ている客層もまちまちだが、
少年たちがゲームをしに来たり、ビジネスウーマンらしき
女性が仕事をしに来たり、フランス語でしゃべっている男性が
利用していたり…。


なかなか面白い光景だ。