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エチオピアからのラブレター

Loveletter from Ethiopia

3人の子育てにひと段落。
母さんはエチオピアでボランティアをすることにしたよ。

3月29日(木)


        * 断食 *


今朝起きてちょっと喉が痛い。
大したことはないだろう。このアジスアベバの排気ガスは
かなりのものだ。おそらく風邪というより、この大気汚染
のせいではないかと思う。マスクを持ってくればよかったが、
ここではそんなものをしている人はいないので、よけい目立って
よくないな。
持参した喉の薬を飲んで家を出る。


今日はアツィダが車で送ってくれた。7時過ぎにはでるというので、
私だけ急いで朝食をとる。
今は断食の期間で、彼らは朝食はとらない。
私だけのために準備してもらって、申し訳ない。
断食の時は、肉、卵、牛乳も飲まない。
タンパク質は、豆類からとる。
あと2週間くらいで終わるらしい。
終わったら、チキン等の肉類も食べるらしいから、
今は一番食生活が貧しい時なのだ。
私もここに来て、だいぶスリムになったようだ。
フランス人のミシェリーは、5キロやせたと言っている。



     * LemLemスクールの朝の活動 *


7時半にはLemLemに着いた。
ちょっとフルートの音出しと、練習ができる。
曲目を変えて、「星に願いを」と「上を向いて歩こう
(スキヤキ・ソング)」にした。知ってるかな?


全員庭に出て朝の集会が始まる。
"Time to make a circle"を一緒に歌って、
各学年に分かれて丸く円を作る。
先生たちも気に入って、歌を覚えてくれたから、よかった。
何度もやって体で覚えていってくれるみたいだ。


いつものエクササイズをして、Hocky Pockyを踊る。
これが大変な運動…昨日と今日でみんなだいぶ覚えてくれた。
そして、フルートの演奏になった。
2曲とも先生たちはあまり知らなかったが、
みんな静かに聞いてくれたので、よかった。


今日は残りの年少組に行くことになっているが、
年長組からのリクエストがあって、30分だけ
お邪魔することになった。
お花の手袋がとても人気がある。


ここでも、「もこもこもこ」の絵本は大うけだった。
このクラスの担任のメッシーは、先生としては一番
やる気がある気がする。いいと思うことは、どんどん取り入れて
いこうという意欲があり、子供たちを上手に乗せて、
やる気を引き出している。


その後、9時45分。朝食。
朝食の後の年少組の42人のクラスは、とにかく大変。
確かに年少組の42人は多い。これをまとめるのは大変なのは
わかるが、この担任のブラハムは棒のようなものを振り回して、
静かにさせているのだ。これには本当に驚いた。


"Sheee, be quite please sit down"の歌を歌って静かにさせてあげる。
怒鳴るよりよっぽど効果がある。簡単な歌だが、どうもブラハムは
歌が苦手のようだ。
一生懸命練習しても、なかなか歌えない。
どこか、劣等感のようなものを抱いているように見える。
だから、子供たちに大きな声で怒鳴って静かにさせたり、
叩いたりしているのではないだろうか。


ここ2,3日で子供たちに接するときは、怒鳴り散らすのではなく、
逆に静かに語りかけ、何か子供の主張があれば、まずは
受け止めてあげる。食事の時も、動物にエサをあげるように
口に押し込むのではなく、自分で食べられるようにできるだけ
してあげること。その証拠に上手に食べられた子供たちを
褒めてあげると、とても喜んでまた自分で食べる。
お昼寝の時には、静かな歌でも歌ってあげるといい…など、
基本的な接し方を伝えてきた。


年少組の担任のセナフィックは、とても明るくてチャーミングだ。
これまでの叱り飛ばして静かにさせたりするやり方ではだめよね、
とちょっとわかってくれたようだ。


          セナフィックとブラハム


     エチオピアからのラブレター



素直で、かわいい子供たちだ。
この子達が、自分で考えて、自分でどう行動するかを決めることが
できるように、導いてあげる今は大事な時だ。
その大事な土台を作る時で、その大切な仕事をしていることに誇りを
持って、先生たちも頑張ってほしい。

みんないい先生たちだ。ただ、その教えるノウハウがあまりない
ことが問題なのかもしれない。


いよいよ、明日はLemLem最後の日だ…。



         LemLemの愛すべき先生たち


     エチオピアからのラブレター   




3月28日(水)


昨日より早い7時半には家を出た。
いつものように乗合タクシーを乗り継いで。
だいぶ慣れてきたが、やはり、乗るときは緊張する。
少年が「ファランサイに行くの?」と聞いてくれて、
「そうよ、これでいいの?」
「うん、ぼくが降りるときに教えてあげる」
のようなことを言ってくれたので、乗った。


ファランサイの近くに来ると、
少年は、私を目で合図して、ここだよと教えてくれた。
この少年は、学校に行っているようには見えない。
このファランサイで何をしているのだろう。でも、笑顔がかわいい。


LemLemスクールに着くと、早く来た子から丸く輪を作って、
待っている。私の姿を見ると、みんな集まってきて、
我先にと手をつなぎたがる。
"Hello, How are you, this morning"
と聞くと、
"I'm fine thank you"
とちゃんと答える。
朝の集会でフルートを吹くことになっていたので、
軽く音出しをして準備をする。


そして、年少の子供たちの輪の中に行くと、
"Maki, Maki"とまたみんな寄ってくる。本当に可愛い!
シャツを引っ張る子、他の子が握っている手をはずそうと
する子、ワーッと一斉に寄ってきて、もみくちゃにされる。
ここでは、私は本当に人気者だ(笑顔)!



エチオピアからのラブレター-子供たちに囲まれて


エチオピアからのラブレター-子供たちと



一通りのかなりハードな体操が終わって、
今日は"Hocky Pocky"を教えてあげる。
ノリのいい先生たちなので、大いに盛り上がった。
そして、フルートの時間。まず、フルートを見せて、
音を出して見せて、これがフルートだよと教える。


「フルート」「フルート」
と何度も子供たちに言わせて、覚えさせる。
初めて見る楽器に、先生達も念入りに子供たちに覚えさせようと
説明をしてくれる。
私の名前を「フルート」だと思った子もいたようだ。
しかし、残念なことに持参したCDがうまく使えず、
そして、時間がなくなってしまい、演奏は明日に持ち越しに
なってしまった。なんか張り切っていたのに、ちょっとガッカリ。
なんか、すごくアバウトな集会だ。


今日は年少組のひとクラスでアクティビティを担当することに。
昨夜準備をした通りに進める。
今日一日でできることは限られているから、彼らが
知っている英語をできるだけ反復する形で進める。


まず、導入の音楽。
友人から借りたCDを使って、挨拶の歌。
"Knock Knock Hello"


そして、数の数え方を別の友人から借りたお花のフェルトが
ついた手袋を使って見せる。
先生にも手伝ってもらって、10個のお花を数えながら、色も
覚えてもらう。
"Seven Steps"


次に色紙を出して、色を英語で言ってもらい、
折り紙をする。一番簡単な、イヌを作ってもらった。
しかし、三角に折るという作業がまったくできない。
先生たちに協力してもらって、何とか顔を描くところまで完了。


実は、一番子供たちに受けたのは、
日本の絵本「もこもこもこ」だった。
日本の子供たちも大好きだから、絶対受けるとは思っていたが、
一緒に「しーん」とか、「もこ」とか、「にょき」とか、「つん」
とか言って、大いに楽しんでくれた。


"Excuse Me"の絵本も読んであげる。いろんなシチュエーションで
英語で何というかという絵本だ。


あまり絵本を読むという習慣がないようで、こうして絵本を読んで
あげるということを日常の活動に取り入れるべきだと思う。
先生たちも一生懸命だが、あまり、幼児教育と言うことに慣れている
ようには見えない。


この後、ブレクファストで、大騒ぎ。「ベイf、ブラm(食べる)」、
「バッカ(満腹)を覚える。


この後遊んで、
またランチタイムとなる。
あまりお腹すいてないよね。
テーブルの上も下も食べこぼしで散乱し、口から吐き出す子もいて、
自分で食べられるのに、食べさせてもらうのを待っている子もいる。


        はい、あーんして


エチオピアからのラブレター-あーんして



ひとりで食べられた子に、「エクセレント!」「ゴベス!(すごい)」
と褒めると、うれしくてまたいいところを見せようと一人で食べる。
また、写真に撮ってあげると言うと、また張り切っていいところを
見せてくれる。食べさせるのも一苦労。


    「見て、ひとりでも食べられるよ!」


エチオピアからのラブレター-ひとりで食べられるよ


その後は、お昼寝タイム。昨日先生たちに教えた「ね~むれ~」の
歌を覚えていてくれて、子供たちに?独り言?で歌っていた。



エチオピアからのラブレター-お昼寝タイム


子供が寝ている間に、興味のある先生たちに簡単な英語の歌を教える。
子供たちを静かに席に付かせるときの歌、英語の子守唄、
そのほか、簡単な歌を。(…教えるというか、一緒私も歌って覚える)
中には熱心な先生がいて、何度も何度も聞いて覚えようとする。
先生によって熱心さがはやり違うな。
いずれにせよ、持ってきたCDと楽譜はおいて行こうと思っている。


年少組の3クラスが私の担当だが、どうも私が楽しいことを
子供たちにやっているらしいとみて、年長組からも声がかかり、
お迎えの前の1時間、年少組でやったことにちょっとプラスして
やってみた。
さすがに、英語力が少しアップしているので、コミュニケーションが
とりやすい。
年少組は、とにかく英語はまったく通じないので、
こっちがアムハラ語を覚えて、そしてそれを英語に…と大変なのだ。


3時にお母さんたちがお迎えに来るのだが、待っている子たちに
別の絵本を読んであげた。
五味太郎の「きんぎょがにげた」は、にげた金魚を絵本の中から
一生懸命さがしてくれて、なかなかこれも、喜んでくれた。
日本の絵本はやはりすごい。


私のホストファミリーのいい人たちだし、LemLemでも活動も
私は充実しているが、
同じボランティアとして活動しているフランス人のミシェリーンは
どうもホストファミリーともあまりうまくいっていないようで、
ここでの活動もどうも思うようにできないことに、ジレンマを
感じているようだ。
ミシェリーンはとても
いい人で、熱心な人なのだが、熱心なあまり、
先生ともその方針にギャップを感じるのだろう。
確かにここの先生たちは、日本の幼稚園の先生たちのように
子供と接するときの態度にせよ、教え方にせよ、疑問に思うことが
たくさんある。
しかし、ここはここのやり方があって、それを私たちが壊しては
いけないと思う。


彼女たちのやり方を尊重しながら、少しずつこうやったらどう?
とアドバイスをしつつ、彼女たちがいいと思えるように工夫する必要が
あるのだと思う。
先生と言っても、ちゃんと教育を受けている人たちではないので、
英語も使えるが、必ずしも正しい英語を使っているわけではない。
(それは私だって言えることだが)
ただ、幼児教育という点については、改善の余地がたくさんある。


しかし、たった実質1週間しかない活動の間に、それを変えることは
できない。ただ一つ私がここで残していきたいのは、
教育というのは、子供たちを調教するのではなく、あくまでも
子供自身の中にあるものを引き出すこと。


おそらく、ミシェリーンや私を見ると、みんな寄ってくるのは
確かに珍しいのもあるのかもしれないが、絶対叱らないし、
何を言っているのかわからなくても、話を聞いてあげるから
なのかもしれない。いつも先生たちの顔色をうかがっていて、
ちょっと愛情に飢えている感じがする。


今日はプロジェクトアブロードのビクセンが来てくれて、
帰りは彼の車でピアッサまで送ってくれて、エチオピア航空まで
連れて行ってくれた。
(帰りの飛行機の予約の紙が見当たらず、エチオピア航空で
再発行の必要があったので)


ピアッサからの乗合タクシーの横に座っていた、サングラスをかけた
ちょっとちゃんとした服装をした男性に韓国人か?と聞かれたので、
いや、日本人だと答える。この辺では珍しくまともに話せる
エチオピア人のように見えたので、ちょっと話を振ってみる。
すると、IT関係の会社の経営者らしく、エチオピアの貧困の問題
などについても聞いてみると、話をしてくれた。
街中で物乞いをしているたくさんの人達のことがとても気に
なっていたので、聞いてみると、彼らは実際に家もなく、その辺で
過ごしている。本当に街の路上で。
国はまったくその対策も取っていないし、どうしようもない、と
嘆いている。自分はできれば、日本などに留学してもっと勉強
したいが、その奨学金などがないか、今探しているとのこと。
こういう人がもっともっと増えていって初めてこの国は栄えるの
だろう。


少なくとも、物乞いをしないでも生きていける教育制度を
まず、政府は整えてほしい。


家に帰ると、誰もいなかったので、先にシャワーを浴びる。
家の手伝いをしてるラッタイに「夕食にするか?」と聞かれたが、
みんなが帰るのを待つと答える。


デモンス(15歳)と、ラッタイ(50歳くらいだろうか)は親戚
としか聞いていないが、食事の準備、洗濯、掃除すべてをやっている。
聞きづらいので聞いていないが、ビクセンによると、
アツィダが親戚のこの二人を家に住み込みで住まわせて養って
あげているのではないか。
プロジェクトアブロードの家族の紹介には、「メイド」とあったから。


末娘のフェダイが帰って来た。一緒に食事をするか?と聞かれ、
まだ5時。アツィダたちももうすぐ帰るだろうとのことなので、
ここは待つべきだと思い、お茶だけをいただく。
フェダイは韓国映画が好きらしく、学校から帰ると、必ず
韓国の映画を観ている。
エチオピアでは、FOXチャンネルなどを含め、外国の映画などが
ただで観ることができる。パラボラを付けさえすれば、ただらしい。
日本より、ずっと進んでいる。
フェダイは家族の中でも一番英語がうまいように思う。
そして、話していて一番違和感がない。
外国映画をよく見ているからか、感性が私たちと近い気がする。
学校でのこと、友達のこと、韓国映画のことなど、いろいろと
話が弾む。


ついつい話し込んで、このジャーナルを書き上げる時間がなくなった。
インターネットセンターは夜9時に閉まるので、とりあえず、
メールのみチェックしておく。昨日はメールを受信するのに
1時間もかかったが、今日は案外早かった。


実家の母と、夫からメールが届いていた。
やはり、遠くにいて、メールを受け取ると、うれしい。
長い間、家を留守にして、夫には申し訳ない。"Love"の
一言を添えて返信をしておく。この時間だと真夜中だが。
母からは昼間、ここで調達した携帯に英語でメールも届いていた。
日本語ではなく、ちゃんと英語で打ってくれたようだ。
英語の勉強になっていいいかも…。
明日は次女の演劇の大会だ。今回は観に行けなくて残念だが、
頑張るように彼女にもメールを送っておく。


遅くなった。今日はこの辺で。
これをアップするのは、明日の夕方か…。






3月27日(火)


    *アジス・アベバの朝*


先週LemLemスクールはテストだったので、今日からが
本格的な仕事開始だ。


今朝は、アツィダ(お母さん)は別の場所で
仕事があるので、私は一人でLemLemまで行くことに。
フェダイ(末娘)が私ひとりで行けるか心配する。

「乗合タクシーに乗っていくから大丈夫!」
「降りるときには、ワラチ(降りる)って言うのよ」
と教えてくれる。
「大丈夫。アラ・キーロで降りて、ファランサイ行きに
乗り換えればいいんでしょ」


家を出て、すぐ乗合バスが待っているので、
「アラ・キーロ?」と聞くと、そうだと答えるので、
それに乗り込む。それなりの身だしなみの紳士が
私に席を譲ってくれた。



エチオピアからのラブレター-乗合タクシー
           乗合タクシー



それにしても、慣れてはきたものの、この乗合タクシーは
すごい! シートは破れ、中からスポンジはむき出し、
ちょっとそこに座るのもはばかれる。
小さな子供からビジネスマンまでこのタクシーを使うのだから、
そういうものなのだろう。



エチオピアからのラブレター

       靴磨きをする少年たち

エチオピアからのラブレター

      路上生活をする人たち



エチオピアからのラブレター


アラキーロで降りて、少し歩く。ちょうど通勤と通学の時間で
人がたくさん出ている。
その光景は何とも言えない。幼稚園くらいの子がお弁当を
持って一人で歩いているかと思えば、小学生から高校生、
ぶらついている若者達、赤ん坊を背負った若い母親、ビジネスマン…


トイレットペーパーを売っている少年がいた。
ここではトイレットペーパーが足りないので、必ずトイレに
入るときには持参しないといけない。
その少年を警官らしい男の人が注意している。何を言っているのか
わからないが、少年はその場を離れた。


エチオピアからのラブレター-トイレットペーパーを売る少年

      トイレットペーパーを売る少年


ファランサイ行きの乗合タクシーに乗ったら、いつものように
物乞いの老人がやってきて、手を出している。コインをいくらか
渡した。
20人以上の客を乗せて、タクシーは山を上っていく。途中エンストする
のではないかとハラハラだ…。




          *LemLemスクール*


LemLemに着くと、朝の体操が始まっていた。
庭で体操、ダンス、歌…子供たちは先生の真似をする。
私も壇上に上がれと言われ、上がって飛んだり跳ねたりする。
62歳のミシェリーンも頑張っている。これは、負けられないぞ。


その後、年少組は、映画を観るらしい。
全員をホール(と言っても…想像してほしい)にあげる。
それぞれ靴を脱ぐのも大変だ。
できない子には、手伝ってあげるが、きちんと自分の靴を
そろえているところはちゃんと躾られている。


先週はライオンキングを観たらしいが、今日は機械の調子が
うまくいかず、手こずっている。
待っている間に、持参したCDを使っていくつか手遊びをしてあげた。
何の準備もしていなかったので、行き当たりばったりだが、
なんとかわかってくれた。
結局映画は観られず、10時過ぎてしまったので、朝ご飯の
時間になった。


各自持参したお弁当を食べるのだが、これが、大騒ぎ。
そのメニューたほとんどが、インジェラ、スパゲティ、
チャーハンもどきで、スプーンで食べる子もいれば、
手で食べる子もいる。
ちゃんと食べられるはずもなく、はげしくこぼすし、
時間もかかる。



エチオピアからのラブレター


エチオピアからのラブレター


食べながら何かを私に話しかけてくるが、何を言っているのか
わからない。
適当に相槌を打ちながら、聞いている。
べたべたの手で握手を求められると、どうしようか迷ってしまう。
あっちでけんかが始まり、持ってきたお菓子をとられたと
泣く子て、もう、大騒ぎだ。


エチオピアからのラブレター


日本の幼稚園も同じようなものだが、
こちらの先生たちは子供には厳しい。
子供たちにがおしゃべりをしているとかなり厳しく注意する。
なんと言っているのかはわからないが、その口調はとても
怖い。

日本の幼稚園の先生はもっとやさしい。
しかし、それがいいのかどうかはわからないが、
ここの先生たちは子供たちに厳しい一方で、
自分達は携帯をいじったりしているのは、ちょっと理解できない。


家庭では躾を受けることがないので、ここでしっかりと
躾けることが必要なのだと言うが…。


遅めの朝食兼早めの昼食が終わると、例のトイレタイムだ。
このトイレの後で、みんなまた私に握手を求めてくる。
うぅぅ…なんか、手が濡れてるぞ…。


その後、年少組はお昼寝がある。
映画を観た部屋で一斉に寝かされる。
本当に先生の言うことをきくいい子たちだ。


まるで軍隊のように。


子供たちが寝ている同じ部屋で、先生たちは
ペチャペチャとおしゃべりが続く。
ちょっと私には理解できない。
静かに寝せるのが先生の仕事。
子供たちには静かに寝ろと言っている一方で、
どうしてこんなにうるさくおしゃべりをするのか…。


「日本にはね、子供を寝せるときには、子守唄っていうのが
あってね」と、私は歌いだした。


「ね~むれ~、ね~むれ~、は~は~の~む~ね~に~」
これを英語に訳し、アムハラ語に訳する。


日本語の音が面白いらしく、真似して歌う。
そうよ、こうやって子供たちを寝せてあげるの!


お昼寝の後、先生たちのランチタイム、そして
コーヒーセレモニーが始まる。
コーヒーセレモニーは、社交の場としてこの国にはなくては
ならないもののようだ。ここで、また濃いコーヒーを3杯もらう。


若い先生たちから「マンマ」と呼ばれている、子供たちの
トイレの世話のする女性が来て、何やら話が盛り上がった。
何を話しているのか聞いたら、彼女が旦那さんとの喧嘩の
ことをしゃべりまくしているのだ。
どこの国でも同じか…。


62歳のフランスから来たミシェリーンはとても純粋な女性だ。
若い先生たちがこの中では誰が美人で、自分は美人じゃない等
言っていると、
その人の笑顔やその人しか持っていない美しさというものが
あるのだから…と、一生懸命説いている。
この国には、まだマクドナルドがないが、それはとても
いいこと…etc...まあ、とにかく、外国から来た私たちの
話も彼らにとっては珍しいようで、話題が尽きない
コーヒーセレモニーの時間だ。


帰りはミシェリーンと乗合タクシーで帰った。
その車掌の青年がやたらと私たちに話しかけてくる。
アジスアベバのことを一生懸命説明しようとしてくれる
彼に私はそれなりに共感し、
「いいガイドになれるわね」と褒めてあげた。


しかし、タクシーを降りて、ミシェリーンに釘を刺された。
「彼は自分に3ブル渡してお釣りの30セントを渡さなかった。
ガイドだなんて、おだててはだめよ。学校を出てたら
誰だってあのくらいの英語はしゃべれるんだから、
気をつけなさい」


私に先輩として教えてくれたのだろうが、
そのくらい褒めてあげてもいいと思ったし、彼もそれを
励みに頑張るのではないかと思う。おそらく、ミシェリーンは
お釣りをだまし取られたと思っているのだろう。


明日は朝の集会で、フルートを吹くことになった。
ちょっと練習しておかなきゃ。
LemLemに行けるのもあと、3日しかない。






3月26日 夜


夕食後、お父さんに来客があった。
ラップトップのパソコンを持っている。
どうやらこれからお父さんのパソコンの先生らしい。


子供たちは学校でパソコンをかなり使っているが、
おじさんはどうやらまだ苦手なようだ。
どこの国も同じだ。


インターネットエクスプローラ…
グーグル…
ウインドウズ7、ビスタ…
プロパティ…

そんな言葉が聞こえてくる。
お父さんは一生懸命、メモをしている。
頑張れ~!と遠くから応援する。
どこかの国のお父さんみたいだ。


アジスに戻ってきて、感じるのは、
こういう恵まれた家庭と、そうではない家庭が
当たり前に存在して、それをそれぞれが
当たり前に受け入れていることだ。
近所にインターネットセンターもあるし、
そこに来る人たちもいれば、
そのすぐ近くには、とても家とは思えない
トタン板でしきりにしただけの家に住んでいる
人たちがいる。


とても不思議だ。


この家でもそのうち、インターネットが使えるように
なるのだろう。まだそういう家は一握りらしいが。


歩いて5分くらいのところにあるインターネットセンターの
おばさんとも、私は顔なじみになり、私が行くとすぐに
ランケーブルを引っ張ってきてくれる。
今日は、写真をブログにアップさせようと思ったが、
とにかく遅い。とても時間がかかる。
途中で止まってしまって、動かなくなったので、今日は
ここまでにした。また遅くなって心配をかけるといけないので。


明日はいよいよ学校で、活動開始だ!


日本の母から携帯にメールが届いた。
おそらく日本語で書いてあるのだろう。
?????のマークだった。
この携帯は日本語は読めないんだよ





3月26日(月)


ラリベラを発つ朝、昨日の日曜のにぎやかさとは違い、
ホテルの外から子供たちの声は聞こえない。
月曜日。学校があるからな。


しかし、もしかして、今朝、チャオ(さよなら)を言いに
来るといったヨハネスとトーマスが来ているかもしれないと、
外を見たが、いない。
よかった。彼らは学校にちゃんと行ったようだ。


ちゃんと勉強して、立派な大人になって貧困のない国に
なるように頑張るんだよ。約束したからね。



これまで、お腹はなんとか調子を保っていたが、
昨夜からどうも調子があまりよくない。
正露丸を飲んで、コーQ10を飲んで元気をつける。


さすがに日本を出て、今日で1週間。
疲れも出てきたようだ。もう1泊このツゥクル・ビレッジで
ゆっくりしていきたいところだが、これからあの人ごみの
アジスに戻らないといけない。

本来の目的をまだ何もはたしていないので、
よし、心して残りの1週間を過すぞ。


朝食をとりにレストラン(と言っても何ともさびしい雰囲気)
に行って、メールのチェックをして、昨夜書いたブログを
アップする。
娘からメールが届いていた。
彼女も東京から友人の家などを転々としながら
一人旅をして、熊本に住む私の実家まで行って、私に代わって
親戚一同が集まる法事に出席し、今日東京に戻る。


友人からもメールが届いていた。
このブログを読んでくれているそうで、うれしい。
エチオピアという日本から遠く離れたとことにいても、
日本のみんなとつながっていると思うと心強い。


それにしても、さっきからフランス人のおばちゃん軍団が
とてもうるさい。よくしゃべること。
静かな朝食のひとときが台無しだ。
欧米からの観光客がこのホテルはとても多いらしいが、
彼女たちはここに来て、何を感じているのだろう。


カナダから来たピーターといい、他の欧米人の観光客も
自分たちがいかに文明化されたところから来て、あなたたちとは
ちがうのよ、とでも言っているようで(いや、言ってはいないが)
あまり感じがよくない。


この現地の人達はこういった外国からの観光客のことを
どう思っているのだろう。
確かに、私たちのような観光客が来てくれるからこの街は
潤っているのだから、大歓迎だろう。
自分とは住む世界が違う…ただ、そう思って自分たちの
立場をわきまえているのだ。


でも、なんか、もう少しこの「観光客ででござる」欧米人
(に限定はできないが)と現地の人たちの交流のようなものが
あってもいいのではないかと思う。
このホテルの経営者たちも、ラリベラではエリートと言える
人たちだろう。ホテルマンとしては当然なのだが、
どうも、お高く留まっているような気がしてならない。


出発前に、少し近くを見てこようと受付に行くと、
アーティストのテゲーネェが来ていた。
「今あなたのアトリエに行ってみようかと思っていたの」
と言うと、だったら一緒に行こうということになった。


彼のアトリエはホテルから5分くらいのところにある。
2階建てのレンガ造りのちょっとしゃれた建物だ。
これをかれは自分で建てたという。6年前に資材を
手配し、自分でレンガを一つずつ組み立てて。
1階は今制作する場所として、建設中だとか。
見せてもらうと、コンクリートを打ちっぱなしで、
まだ完成していないが、トイレも作り、ちょっとした
ニューヨークのソーホーのような感じだ。
以前、建設中に浮浪者が夜になると、住みつくようになり、
ちょっと不衛生な場所があるから気をつけて、と言われた。


絵描きとして十分才能はあると思う。

しかし、紙や画材がここでは手に入らないのはかわいそうだ。
日本にはいい画材があるので、どうも私に送ってほしいようだ。
娘に聞いてみると答えた。
しかし、彼が日本で売っているものを買える余裕は
あるのだろうか。
いずれにせよ、彼の連絡先を聞いて、別れる。


午前10時15分にホテルを出る。空港までミニバスで20分。
70ブル(420円)。
途中、ラリベラの街を通り過ぎ、空港までの道は
周りには本当に何もない。何か作物を作っているわけでもなく、
荒れた土地がただ広がっているだけだ。
ラリベラの人口、7万人。今郊外からどんどん人が移り住み
始め、人口は増えているという。
いったい、彼らはどんな生活をしているのだろう。


まず、教育が大事なのは言うまでもない。しかし、その後の
生活はどう確保するのだろう。職はあるのか、家族を養う術は
あるのか、もっと真剣に考ればならない。


飛行機は、午後1時発のはずなのに、
12時には出発した。全員が揃ったからなのだろう。満席。
ここでは、出発の時間もあってないようなものだ。
日本人の男性二人組に会う。通信会社の社員で、仕事で
来ているらしい。中国企業に負けるな!


アジスアベバに着いて、さあ、どうやって帰ろうか。
あたりをキョロキョロしていると、必ず親切なおじさんが
声をかけてくれる。

「どこまで行くんだい?」
「アラ・キーロの近くまで」
「だったら、あのイエロー・タクシーに乗るといい」
「アラ・キーロまでいくら?」
「200ブル」
「あら、高いわね。来るときは120ブルだったのよ」
「それはブルータクシーだ。イエロー・タクシーは高いんだ」


ま、その差80ブル(480円)。なんだかこっちのほうが値段が
高いだけあってきれいなな車のようだったので、黄色い車に
乗ることにした。


「こっちだ」と連れてこられた車を見て、びっくりした。
何のことはない、青い車と変わらない、かなりのオンボロ車だ。
そして、この運転手はアラ・キーロの場所も知らない。
おまけに、「250ブル」だと吹っかけてくる。
「200ブルだと言われたから」
と、私は譲らなかった。おばさんをばかにしたら、許さないわよ!


結局、運転手に道案内をして、目的の場所まで連れてきてもらい、
200ブルを渡した。
「チップはないのか?」というので、
10ブルを追加で渡した。


なんだか、家の近くに来ると、ほっとする。
入口のベルを鳴らして、ドアを開けてもらう。


「ただいまー!」
「まあ、心配したのよー」


そうだよね…。だって、電話ができなかったのだから。
携帯電話にすべての電話番号を記憶させていたから、
電話しようにもできなかった。
「サムに私は無事に着いたからアツィダに伝えておいて
とお願いしておいたけど」と言うと、
「連絡はもらったけど、12時過ぎてたからよ。もうちゃんと
ラリベラに着いたか心配したわ」
「本当にごめんなさい」

またもや、心配をかけてしまった。


それにしても、ここの携帯は使いにくい。


アツィダはさっき仕事から帰って、遅めの昼食をとっていた

これからコーヒーセレモニーが始まる。
濃いコーヒーを1杯いただき、撮ってきた写真を見せる。
アツィダのお母さんはラリベラの出身で、そのお母さんは
3000年の歴史のあるアスクムの出身らしい。

そしてそのお母さんはゴンダール。
確かに、アツィダはロイヤルファミリーの出身だから、
そういう大きな都市に住んでいたのだという。


ラリベラでの報告をひとしきりして、ヨハネスからもらった
小さなペンダントを見せて、昨夜ヨハネスとのやりとりのこと、
彼の家に行ったことを話した。
自分で話しながら、なぜか涙が出てきて、自分がやったことが
正しかったのかを聞いた。
自分は観光客としてラリベラに行った。彼らの生活を尊重
しているし、私たちがその生活を壊してはいけない。
でも、彼らにとって大事なことは教育で、それを応援して
あげる何かを自分はしたかった、と。

「マキ、あなたがやったことは間違っていない。いいことを
したのよ」
アツィダはそう言った。
長男のズェレイも大きくうなずいて「そうだよ」と言ってくれた。
同じ人間として、勉強したいと思う子供たちをサポートするのは
私たち大人の責任だ。


よかった。







夕方、アベベと別れてホテルの部屋で休んでいると、
外から子供たちの声が聞こえてくる。
今日はラリベラ最後の夜だし、暗くなるまで
この辺を散歩してみようかと外に繰り出した。



エチオピアからのラブレター
   

      ホテルの外の風景


 

外に出ると、子供たちが寄ってきて、
「靴を磨くよ」と言ってくる。
「今はいいわ。でもいくらでやってくれるの?」
「いくらでもいいよ」
と、答える。
彼の友達がまた寄ってくる。
「名前はなんていうの?」「どこから来たの?」
「マキ。日本からよ」
私はそんな子供たちとの会話を楽しんでいた。


靴磨きの少年の友達が
「僕のこと覚えてる? 昼間会ったでしょ?」
そうかもしれないが、何人もの子供たちに会っているので、
よく覚えていない。
「ヨハネスだよ」
10歳くらいだろうか。
この年にしては、英語もなかなか上手い。


テゲーニェの工房がまだ開いていないかと思い、その方向に
歩きながら、ヨハネスは話を続けた。
「僕の家はすぐ近くなんだ。母さんはコーヒーを入れるのが
上手いんだよ。来ない? ただ母さんにハローって言うだけでも

いいよ。ね、来てよ」
と、しきりに言う。


彼がどんな家に住んでいるのか、ちょっと興味があったし、
どんなお母さんなのか会ってみたい気もした。
「家はすぐ近くなの?」
「すぐそこだよ」
そう言う彼の言葉を信じて、ちょっと行ってみることにした。

後から考えると、これはとても危険なことだったのかもしれない。

しかし、このときは好奇心の方が理性を上回っていたのだ。



大通りから一歩中に入り、すぐだとヨハネスは言ったもの、
なかなか着かない。途中小さな子供たちが遊んでいる。
みんな人懐こそうに、「ハロー」と言ってくる。
「何歳なの?」
「8」
え? 5歳くらいにしか見えないが、ヨハネスが本当だという。
栄養が足りないのだろうか。それにしても、小さいな…。


ヨハネスは話を続ける。
おばあさんは田舎の出身で、まったく教育を受けて
いなかったから、作物を作って生活し、ずっと貧しかった。
お父さんも学校には行っていなくて、教育にはまったく
興味がないから、嫌いだという。
勉強ができないと、貧しいままだし、物乞いをしないと生きて
いけなくなるから自分は勉強がしたいという。

「それは素晴らしい心がけね。勉強はしないとだめよ」と私。
「ぼくも勉強は大好きなんだ。でも、お金がないから
本も買えないし、学校の教科書も数が足りないからなかなか
勉強ができないんだよ」とヨハネス。
家にいる80歳のおばあさんも、今は病気で寝ているらしい。


そんなところにお邪魔していいものか迷ったが、もう
すぐそこまで来てしまったので、すぐ失礼すればいいと思った。

途中、道の真ん中に犬がいたら、ヨハネスは「気を付けて」と
避けて通ってくれ、彼の家の前の坂道を上るときには、私に
さりげなく手を差し伸べてくれた。アベベのように。


「ここが僕の家だよ」
そう言われて、目の前の家を見て、びっくりした。
本当に伝統的な丸い形の土の家だが、その土壁も剥がれ落ち、
扉というにはお粗末な板がかけてあるだけの扉がついている。

その扉を開いて中に入ると、床は土で、広さは6畳くらい。
古い布のかかったベッドが3つ置いてあるだけで、他は何もない。
お姉さんがいるらしいので、ここに家族4人で寝ているのだろうか。
ここに一緒に住んでいた80歳のおばあさんは、病気が悪化して、
隣の母屋で寝ているらしい。


お母さんはそのトタン屋根の壊れかけた母屋でおばあさんと

一緒に寝ていた。中は真っ暗だ。
起こさないように、丸い土の家の中に入ってと言うので恐る恐る入った。
家の中でヨハネスと靴磨きの少年トーマスと友達二人と一緒に
写真を撮った。カメラの電池が切れてしまったので、仕方なく携帯カメラで。

少年たちは日本製の携帯のカメラをめずらしがり、
みんなしきりにカメラを撮りたがった。


外は次第に暗くなり、部屋の中は真っ暗だ。小さな電球が
一つあるだけなので、中の様子がよく見えない。


外に出ると、私の泊まっているホテルがすぐ裏に見えた。
ヨハネスの家と同じ伝統的な丸い形。
この伝統的な家屋を模して造られた高級ホテルと、
実際に暮らしている古い本物の家屋が、目と鼻の先に
建っている。


「ほら、ツクル・ビレッジはすぐそこでしょ」
と明るく言うヨハネスに、私は言葉を失った。


ホテルまで近道があるからと、少年たちはみんなで
私を送ってくれた。
「エチオピアには古い歴史と文化があって、いいところだよ。
僕の将来の夢はガイドになって、旅行で来た人たちを案内
することなんだ」
と目を輝かせて語るヨハネス。
「ぼくはエンジニアになるんだ」
と靴磨きの少年は笑って言う。


「だったら、たくさん勉強しないといけないね」
と言うと、
「でも、学校には本があんまりなくて、英語をもっと
勉強したいけど、できないんだ。うちにはお金がないから

本も買えないし」
何か、私に訴えているようだ。英語の本がどうのこうのと
一生懸命言っているが、よく意味が分からない。


ホテルの近くに来た時に、
「あそこに本が売ってあるんだ。前はたくさん置いてあったけど、
今ではもう5冊しかないんだ」


そういうことか…。


彼は、どうもその本がほしいらしい。
その店は、昨日ミネラル・ウォーターを買った店だったので、
水を買うついでに入ってみた。


ヨハネスはさっそくお目当ての本を手に取って、
「これはね、英語とアムハラ語の辞書で、僕が大学に行くまで
ずっと使えるとてもいい本なんだ。この本があれば、
もっともっとたくさんの言葉を学ぶことができる」

ヨハネスは必死に私に訴える。


4000語が入った辞書。
中身を見てみると、確かにいろんな言葉が入っている。
パラパラとめくって、
"finger print"を指して、
「これ、どういう意味だかわかる?」
と聞くと、
「わからない」と言う。
指紋について、説明し、「この指紋は一人ひとり違うのよ」と
教えると、とてもうれしそうに、うなずく。


勉強したいが、貧しくて本を買うことができない少年。
店のお姉さんにいくらかと聞くと、120ブル(約600円)だと言う。


600円なんて、なんてことない値段だ。
「この本があれば、僕はもっと勉強できる」
と、私に一生懸命懇願する。
買ってあげてもいい。いや、買ってあげたい。
しかし、私がそうすることはこの子供たちのためになるのだろうか。
迷った挙句、


「本当に勉強がしたいのね? この本で一生懸命勉強するって
おばさんと約束できる、ヨハネス?」
「約束する。絶対、ぼく勉強する」
「トーマスも一緒に、この本で勉強するんだよ。いいね?」
「うん、必ず勉強するから」


私は、店の人に120ブルを支払った。
この子たちの目を見ていると、偽りはないと思った。
本を手にして、少年たちは本当にうれしそうに、


"You are my second Mother. Thank you! Thank you very much! "


"Well, I am your second mother in Japan. So, you have to keep
promise with me. You have to study hard, OK?"


"I will. I promise"


店の外に出ると、ちょっと大きい子供たちが集まってきていた。
やばい! この子たちにもたかられるとまずいと思い、
「私に買ってもらったとは、誰にも言っちゃだめよ」
と言って、急いでその場を離れた。


ホテルまで送ってくれて、私のEメールアドレスを教えてほしいと言う。
学校でEメールを使えるから、ぼくがちゃんと勉強しているか
報告したいと言う。


メールアドレスを教えるのはどうかなと思ったので、とりあえず
彼のアドレスを聞いて、撮った写真を送ってあげると言った。


昼間ガイドのアベベに釘を刺されていた。

お金をほしがったり、住所を教えてほしいと言われ子供がいても、

決して言うことを聞かないように、と。
しかし、私はお金ではなく、勉強するための本を買ってあげたのだ。
彼らに必要なのは「教育」であって、「施し」ではない。


ヨハネスが勉強を頑張って、立派なガイドになったら、またここに
来て、ガイドをしてね、と約束をした。


明日朝帰るというと、さよならを言いに来ると言う。
「ぼくは靴を磨きに来るよ」と靴磨きのトーマスは言う。
「明日は学校があるんだから、ちゃんと学校に行きなさい」
と、私は言った。
「ありがとう、ありがとう」
ヨハネスはそう言って、首から下げていた小さな木製の十字架の
ペンダントを私の首にかけてくれた。


私がしたことはよかったのだろうか。
その答えが出るのは、これから何年か後のことかもしれない。
でも、きっとよかったのだ、そう信じたい。



エチオピアからのラブレター

       ヨハネスの家の中で








3月25日(日)


朝食の時に、カナダ人のピーターに会った。
昨日はどうだったかと聞くと、ここのホテルが素晴らしいと絶賛し、
マーケットには言ったかと聞くと、あそこはひどい。とても
いられなかったと答える。
彼は本当に文明化されたところでないと生きていけない人のようだ。
ちょっとオタクっぽい。



エチオピアからのラブレター-ホテルのレストラン

エチオピアからのラブレター-カナダ人のピーター


朝9時にアベベと待ち合わせをして、アシェトン山の登れる
ところまで登ることに。見上げると、かなり高い山だ。
本当にあんなところまで行けるのだろうか。ちょっと不安。


日曜日の今日は、朝から教会に行ってその帰りの人、、
学校が休みの子供たちが、道端で遊んでいる。
やはり日本人は珍しいのか、子供たちは声をかけてくる。



エチオピアからのラブレター-サッカー少年たち



「アンデム・アデレチュ(おはよう)」
というと、ニコニコと
「アンデム・アデレシュ」と答えてくれる。
「写真を撮ってもいい?」と聞くと、ポーズをとってくれる。
その笑顔がなんと可愛いことか。


男の子は声をかけると、すぐに元気に寄ってくるが、
女の子はやはり恥ずかしがり屋が多い。
今日は教会だからちょっとおめかしをしている子も多い。




エチオピアからのラブレター-教会の帰りの子供たち


ここ、ラリベラの街は、ひとえに街といっても、
本当に昔ながらも古い土の家に住んでいる人もいれば、
トタン家の家に住んでいる人もいるし、様々だ。
観光客用の小さな店もたくさんあり、子供たちが
客引きもしている。


山のふもとでたくさんの子供たちに会ったので、
写真を撮らせてもらった。
人懐っこくて、英語も通じる子も多い。
「いくつ?」と聞くと、
「6」
「7」
「8」…とても8歳には見えない小さな子が
そう答えた。たぶん5歳くらいか?
途中、山羊に乗って遊んでいる子供たちがいた。
アベベの知り合いの子らしい。
私にも山羊に乗っていいよ、と言ってくれる。
ちょっと無理そうだけど…。



エチオピアからのラブレター-ヤギ使いの少年たち



アシェトンの山までの道は、かなり険しい。
途中休みながら、水を飲んで、持参した梅干しキャンデーを
なめて元気をつけて、上を目指す。
アベベにも梅干しをあげたら、複雑な顔をしたが、
「これで元気が出た」と言って立ち上がった。


3000メートルの山だ。空気も薄くなり、息が切れて、
そうさっさとは進めない。おい、アベベ、待ってちょうだい。
こう見えても、こっちは、おばさんなんだから!




エチオピアからのラブレター-アシェトン山




途中、見下ろすラリベラの街は、息をのむほどすばらしかった。
頂上は切り立った崖がそびえ、この眺めを見ることができただけ
でも、ここまで登ってきた甲斐がある。
頂上まで行くのはちょっとかなり厳しいので、頂上制覇は
次回主人と来た時のために残し、ダウンタウンのほうに
下山することにした。


山の向こう側に開ける景色は、畑が広がり、山の別顔を
見せて、また素晴らしかった。
こんな山の奥でも、山羊の世話している子供たちがいる。


ラリベラのダウンタウンに行く途中、伝統的な集落を
通っていく。ちょうど昼時とあって、女性たちは
昼食の準備をしていた。
昨夜のスコールをこの家で、どうやってしのいだのだろう。
小さな子供たちが裸足で、お母さんの周りで遊んでいる。



エチオピアからのラブレター-ラリベラの昼食風景


ダウンタウンに着くと、少年たち道端でサッカーゲームを
していた。気軽に私にも「やる?」と聞いてくる。
「いや、遠慮しとくよ」と私。



エチオピアからのラブレター-サッカーゲームに興じる男の子たち


アベベと別れてしばらくダウンタウンの街を歩くことにした。
子供たちがまたまた寄ってくる。今日は学校が休みだから、
ダウンタウンも子供たちでにぎやかだ。



エチオピアからのラブレター-ラリベラ街の少年たち


アベベによると、この辺の学校はパブリックスクールで、
一クラスに60人もいるという。これではなかなか学ぶといっても
難しいだろう。でも、学校に通っているだけでもいい。
子供たちは知っている英語を使って、話しかけてくる。
中には学校に行っていない子たちもいるようで、観光客から
言葉を学ぶこともあるのだという。観光客も立派な先生だ。
ならば、できるだけ英語で語りかけてあげよう。


ダウンタウンのレストランで一休みしていると、何やらスピーカーで
アナウンスをしている。なんと言っているのか、アベベに聞いたら、
今日職業訓練校で、何かの展示会をやっているという。
誰でも行けるようなので、それは是非行ってみたいと思い、
案内してもらうことにした。


家具、機織り、コンピューター、建設のための設計、観光、料理…
あらゆる職業に就くために必要な技術を学生たちは学んでいて、
今日は、日頃の自分たちの成果を披露する年に一度の発表の場らしい。


生徒が案内してくれていると、立派なスーツを来た紳士がやって来た。
校長先生らしい。私が日本から来たと自己紹介すると、中を案内して
くれた。さすが、校長だけあって、英語も上手だし、この学校の
方針なども詳しく話してくれた。1000人の生徒がここで学んでいると
いう。ここを卒業したら、おもに政府の関係機関に採用されて、
仕事に就くことが多いらしい。彼らに必要なのは技術を習得すること
だと、語ってくれた。本当にその通り。


エチオピアからのラブレター-職業訓練校の学生たち


さすがに観光のコーナーでは、エチオピアを外国にも宣伝したいと
みえて、私は生徒たちに囲まれた。自分の専門の分野を説明したくて、
次々に寄ってくる。ホテル部門では、活発そうな女の子がホテルウーマン
さながらに丁寧な英語で、テーブルセッティングやベッドメイキング、
バーでのサービスなど、いかに自分たちはホテルでの接待ができるかを
うれしそうに示してくれた。校長先生にもいいところを見せたかったのかな。


エチオピアからのラブレター-観光PR

伝統工芸、ユネスコの世界遺産のスポットの説明もなかなか上手だ。
よく勉強していて、学生たちの意欲も素晴らしい。日本の学生も
見習ってほしいものだ。
生徒たちに囲まれているうちに、先生とははぐれてしまった。


            *****


今日一日ラリベラの街を歩いて、学校にも通えないような子供たちも
多く見かけたが、最後に見た職業訓練校に通う意欲的な学生たちが
これからこのラリベラの街を引っ張っていくのだろう。
そして、私たち外国から来た観光客が、この街の重要な産業である観光を
盛り立ててあげることが大事なのだと思う。


最後にアベベの友達でこの街の絵をずっと描いているテゲーニェの
工房を訪ねた。独学で絵を学び、ここで絵を売っているらしい。
絵の具を手に入れることが難しいのが悩みの種だという。
セピア色で描いた彼の絵は、このラリベラの街の風景やそこに
住む人たちの姿をありのままに表現されていて、心に響くものがある。
民族楽器のクラーを弾いてくれた。
なかなか観光客相手の商売も大変かと思うが、
彼のような人が活躍できる場所がもっとあればいいと思う。
彼の絵を4枚購入。全部で100ドル支払った。


外に出ると、ニコニコと笑顔のかわいい男の子が
「ぼくの店に寄って行かない?」というので、その笑顔に誘われて、
ちょっと覗いてみることにした。
一生懸命英語で商品を説明してくれる。ちょっと洒落た小さな銀の(?)
ペンダントトップがあったので、いくらかと聞くと
「50ブル(300円)」だという。
「これを5つ買うといくらになる?」
と聞くと、一生懸命計算をしている。友達がやってきて二人で考え、
「250ブル」だとニコニコと答える。
「よくできました。でも、これだけまとめて買うんだから、少し安くなる?」
と聞くと、
「230ブル」にまけると言う。
おばさんは、ここで妥協してあげるべきだったかもしれないが、ここは商売。
「220ブルではどう?」
ずいぶん悩んで、少年は「いいよ」と言った。


そのまま小さな商品5個を渡そうとするので、
「何か包むもの、ない?」
と聞くと、ごそごそと探して大きな汚れた袋を出してきた。
「それじゃ大きすぎるわね。何か紙とかは?」
と言うと、ノートを出してきた。何かぎっしりと字が書かれている。
少年の歴史のノートだという。それを一ページ破ってくれた。
「君、いくつなの?」と聞くと、6年生、つまり小学校6年生らしい。
「頑張って勉強するんだよ」と言うと、少年はニコニコと満面の
笑顔で「イエス」と答えた。


この街のこの素晴らしい文化を守りつつ、彼らの生活の水準を
あげるにはどうしたらいいのだろう。
本当に純粋で、穢れのない心を持った子供たちに接すると、心から
応援してあげたくなった。



明日はいよいよラリベラとも別れて、またアジスアベバに戻る。

週末の小旅行 ~ラリベラへ~


3月24日(土)


朝5時にタクシーがピックアップに来るようにエルダナが
手配してくれていたので、4時半起床。といっても、
一度、3時に目が覚め、4時過ぎに目が覚める。なんだか眠りが浅い。
やはりコーヒーセレモニーのせいだろうか。6杯も飲んでしまった
もんな…。


テスファーフネン(お父さん)も起きてきて、見送りをしてくれた。
忘れ物はないか、お金はあるか…と、本当のお父さんみたい。
ま、私は一度迷子になっているしな。
数日間いると、私がどういう人間かわかってきたのだろう。

アツァダがベールをかぶり、おめかしをして、タクシーに
乗ってきた。

一緒に空港まで来てくれるのかと思ったら、教会に行くのだとか。
途中にある教会で降りた。まだ外は暗いこんなに早い時間に…?
確かにベールをかぶった女性たちが歩いている姿を多く見かける。
信仰の街なんだな。


5時20分には空港に到着。7時半出発なのに、どうして5時半
に来ないといけないのだろう。朝食が機内で出るなんて知らずに
クラブハウスサンドと紅茶をカフェでがっつり注文してしまった。
かなり大きいサンドイッチだったので、半分はテイクアウトに
してもらう。


小さなセスナ機は満員だった。昨日予約が取れたのはラッキーだと
みんなに言われたのは、こういうことか。
いかにも観光客という欧米人が多い。

昨日はヒルトンでホッとするなんて思ったが、なんだかいかにも
観光客ぶっている欧米人の中にいると、ちょっと違和感がある。

40分のフライトでラリベラに到着。

周りには何もない。ただ、ひたすら広い滑走路があるだけ。
空港の中に入ると、いろんなホテルの手作り風のカウンターがあり、
ホテルへの送迎をしているようだ。


ガイドのアベベはすぐにわかった。人の良さそうな物静かな人だ。
同じツクル・ビレッジに泊まるカナダ人のピーターと
バスの中で親しくなる。
彼はたった3日間のエチオピア滞在らしい。
発展途上国に長くは滞在できないのだとか。
舗装されていない山道を走っているうちに、彼は気分が
悪くなった。確かにこりゃ、無理だな。


途中、ロバを連れて山を上って歩いていく現地の人たちを
たくさん見かけた。今日はサタデー・マーケットが開かれるらしく、
6時間もかけて、山を上ってくるのだそうだ。

土でできた家々、裸足で歩く子供たち。
昔ながらの生活がここにはある。
自然の中で生活している人たち。ブラウン管を通してしか
見たことのない人たちが本当にこうして生活している。


ラリベラ――


12世紀、ラリベラ王によって「第2のエルサレム」として
造られて以降、キリスト教国エチオピアの人々の聖地と
なっている。


教会群を観るには350ブル必要で、写真撮影をするには300ブル必要。
結構高い気がするが、観光は
彼らにとっては、重要な収入源だ。

1枚岩を彫りぬいて造られた12の岩窟教会が集中している。


聖救世主教会
…ラリベラで一番大きな岩窟教会。

あの時代に、これだけの建物をどうやって彫りぬいたのか、
信じられない。28本の柱は当時のまま。内部は広く、
女性と男性と入口も座る場所も違う。今でもミサが開かれている。
アブラハム、イサク、ヤコブの空の墓が象徴的に
安置されている。

靴を脱いではいるのだかが、カーペットが敷きつめてあり、
なんとも独特な匂いがする。湿気があり、ダニ・ノミの
温床となっているようだ。


壁に人が入るくらいのたくさんの穴があるが、その一つに
ミイラ化した人骨があった。
かつては僧侶が亡くなった後、墓として使われていたらしい。
現在は修道僧がここに寝泊まりしている。
そういえば、毛布が置いてある穴もあるな。


聖マリア教会
…キリストの昇天やゴルゴダでの受難、三位一体など聖書から
モチーフを得たフレスコ画が見られる。
教会脇にある洗礼を受けるために水を貯めたため池がある。
この水を浴びると子供が授かるとか。


聖ミカエル教会


聖ギオルギス教会
…ほかの教会から離れ、マーケットの近くにある。
十字架の形をした大きな教会で、別名「ノアの方舟」。
一番最後にできたもので、建設のノウハウを生かした建物だ。

チケットの確認をしている老人とアベベが親しげに話を
していたので、誰なのか聞いてみると、政府の職員で
ここが職場らしい。かなり地位の高い政府の高官だとか。
観光産業は大事な国の政策のひとつだからな。


遠くからすさまじい人だかりが見える。
これから目指すサタデー・マーケットだ。


とにかく、人の多さに圧倒される。
ラリベラの人口2万5千人が全員集まっているのではないかと
いうくらいの人、人、人。

ここに現地の人たちが一日がかりで集まってきて、
ありとあらゆるものを買うのだ。
ガイドのアベベがいないと、とても入れる雰囲気ではない。
入口で鶏と卵を売っていた。
(ここで、カメラのバッテリーがなくなる…なんと…とほほ)


小麦、コーヒー、トマト、キャベツ、イモ、マンゴー、
シード(種…ワット用に)、靴(かなり古い)、
副、日用品(電池や石鹸も)など。

写真を撮れなかったのがとても残念だが、この人ごみの
中で息苦しくなるほど、押し流されるように外に出た。
アベベからはぐれないように、必死だった。


山道の近道を使っていったんホテルに戻る。
途中、谷のところでロバが言うことをきかずになかなか
進まず、ロバの尻を叩いて前に進ませようとする老人がいた。
こんな山道を上り下りするのはただでさえ大変なのに、
荷物を積んでロバも大変だよな。


高地なので、空気も薄い。ちょっと上っただけで息切れする。
水をたっぷりと飲まないと。生水は飲めないが、
ペットボトルの水がいろんなところで売っている。
観光客用に店が出ている。冷たい水1リットル24ブル(144円)…高いな。


ツクル・ビレッジは伝統的家屋を模したものだが、中は
最新の設備が整っている。エチオピアに来て、こんな
ゆったりした気分になれたのは初めてだ。
朝テイクアウトしたサンドイッチと、途中で買った1リットルの
水で昼食。ちょっと休憩。


3時半(エチオピア時間で8時間)に再びアベベと待ち合わせして、
次の教会群に。


*エチオピア時間とは…
 朝の6時をスタートに、0~12時、
 夜の6時からまた0~12時となる。
 そしてエチオピアの暦では、今は2004年。8歳若返った気分!


3時半にアベベとまた待ち合わせをして、第2グループと呼ばれる
教会群を見にホテルを出る。

とてもいい天気だが、アベベが雨になりそうだと、雨具があれば
持ってくるようにとのこと。
こんなにいい天気なのに…。

山道を登って行く。マーケットがちょうど終わって、大きな荷物を
持って家に帰る人たちに出くわす。
これからまた6時間かけて帰る人もいるのだ。


聖ガブリエル・ラファエル教会
聖アバ・リバノス教会、
聖エマニュエル教会


それぞれが狭い通路のような、迷路のような道でつながっている。
真っ暗な洞窟のようなところを通っていくところもあった。
巡礼に来ている女性のグループと一緒になった。
かなりの年配の人たちが山登りをするようなところを、
ハアハア言いながら登ったり下ったりしている。

私が下をのぞいていると、
「危ないわよ」と声をかけてくれたが、どっちが危ないかわからない。
ベールをかぶった「おばちゃんたち」といったところ。

アベベが言ったとおり、本当に急に雲行きがあやしくなり、
ザーッと降り出した。


山の中の村を通って帰ってきたが、あの雨をどうやってしのいで
いるのだろうかという家も多く(屋根がないのだ)、それでも
子供たちは走り回って遊んでいる。


山を下りてくる途中、学校があった。大学進学のための
プレップスクールもあった。
幼稚園もあったが、どれくらいの人が通っているのだろう。
とても学校に通っているとは思えない子供たちも大勢いるような気がするが。

アベベによると、小学校の高学年になると、学校に行かなくなる
子も多くなる。
それでも近くに学校があるのはいいことだ。
一応ここはラリベラでも都会というのだろうか。
ここでも格差社会があるようだ。


*ガイドのアベベをここで紹介。

38歳。10歳年下の奥さんと5歳の子供と9か月の双子の赤ちゃんの
5人家族だ。今、ラリベラの街でも少子化が進んでいるらしい。
3人子供がいるのは多いほうだとか。
奥さんは政府の警察の管理の仕事をしているらしい。仕事の間
子供たちは幼稚園と9か月の赤ちゃんは親に預けているとのこと。

彼はガイドを専門に仕事をしていて、今回の私の支払いは
二日間で45ドル。(約3500円)かなりの稼ぎなのだろう。

とても礼儀正しく、物静かに、適切なガイドをしてくれる。
なんだか日本人と話しているような気になる。
時々冗談を交えながら、話をする。


ホテルまで私を送ってから、歩いて家に帰るらしい。
夕立が上がるまで、お茶を飲んで一緒に待つことにした。
家族のことから、教育のことに話も及び、私立と公立学校の
問題、高齢化の問題など、日本と共通の問題も抱えているようだ。
ここではNHKも受信できるようで、よく見るらしい。
日本のことも、かなり詳しい。


WFPの活動、特に赤いカップのストラップを見せて、
学校給食の話をした。
そういう活動をしてくれるのは、本当にありがたいことだと
いう。女の子の就学率は確かに低く、小さいころは家の手伝い、
12歳くらいになると、すぐに結婚させて子供を産むが、
若い母親としていろいろ問題もあるが、死亡率も高いようだ。
だからこそ、学校に行って給食を食べさせ、食料の持ち帰りもあると
なれば、親は娘を学校に出すだろう。子供を産み、育てる役割のある
女の子の教育の必要性は彼もまったくの同感だった。


日本人には、エチオピアというと、あまり馴染みがないが、
こうして、実際来てみて、現地を見て、土地の人たちと話を
してみると、本当にいいところだし、人たちだだ。
もっともっと日本人も、来るべきだ。
こんな素朴で、真面目に生きている人たちがいるということを
知ってほしい。

しかし、実際に単なる観光ではなく、ここでの生活のことや
いろんな話を聞いてみたいのなら、アベベのようなガイドと
一緒に回ったほうがいい。

特に、マーケットはぶらっと行ってみるのは少し怖い。

アベベの案内は本当に安心して任せられるし、
物静かで日本人にはとても向いている。
もっと日本人にも知ってもらうために、宣伝をしてあげるというと、
喜んで、連絡先を教えてくれた。写真付きで、このブログで紹介して
あげるよというと、さっそくどこで写真を撮ろうかと張り切っている。
今日は雨なので、明日、格好いい写真を撮ってあげると
いうことになった。


 ラリベラに来られる方は、是非アベベのガイド、おススメです!
    Abebe Kassie
Kassieabebe@yahoo.com
phone: 0911532650



明日はいよいよ山の頂上まで行くぞ!







試験も終わり、一息ついたところで、先生たちの
コーヒーセレモニーが始まる。
エチオピアの人は暇さえあれば、コーヒーセレモニーを
楽しむ。

小さなコーヒーカップにかなり濃いめのコーヒーを3杯飲むのが
しきたり。しかし、こちらに来てなかなか眠れないのは、
そのせいだろうか、この日も合計6杯のコーヒーを飲むことに
なった。


コーヒーセレモニーの間、おしゃべりに花が咲く。
とにかくこちらの人はおしゃべりが大好き。
先生たちも子供たちは放っておいて、コーヒーを飲みながら
いろんなおしゃべりをする。


ジャマイカから来たボランティアの青年(高校を卒業して、
大学に行く前に1年休学をしていろんな国を旅しているらしい)
がこれまでに行ったことのあるエチオピアのいろんな所の
話で盛り上がった。私も是非この週末には行くべきだと強く
勧められた。


それなら是非ラリベラに行くべきだと、エルダナ。
でも自分は今週末は一緒に行けないけど、アレンジしてあげるから、と。

飛行機の手配、宿泊先、現地でのガイド…その場で電話で

交渉してくれた。

翌日のことなので、一緒に行けるほかのボランティアもいなかったが、
一人で行っても、まったく問題ない。安全なところだし、信頼できる
ガイドに案内してもらえれば、大丈夫と太鼓判を押してくれた。


これは、もう行くしかない! 宿泊先は、日本から持参した
「地球の歩き方」に紹介されていたツクル・ビレッジが最高の
ホテルと勧められ、そこに決めた。写真を見る限り、エチオピアの
伝統家屋を模した2階建ての素敵なホテルだ。値段も、本によると、
300ブル(1800円)と、信じられない値段だ。


3時間以内に飛行機のチケットをヒルトンホテルで購入しないと
いけないということで、いったん家に帰り、お金を持って、
ヒルトンホテルに向かった。

乗合タクシーににもだいぶ慣れてきたので、乗り換えもスムーズだ。
わからなければ、英語が通じそうな人をつかまえて聞けばいい。
ドアが半分壊れていようが、車のシートが破れていようが、
車体がかなりへこんで、錆びていようが、動けば車だ。
「車」という概念を変えればいいのだ。


ヒルトンホテルにはエチオピア航空のカウンターがあって、
そこで予約したチケットを購入。
絵葉書も購入して、家と実家にハガキを投函。

ラウンジで一休みする。
なんだかほっとする。久しぶりに緊張感から解きほぐされ、
欧米人が周りにいるだけで、なんだろう…ここ数日間の別世界から
文明社会に戻ってきたような…。
初日にビクセンが、このヒルトン/シェラトンホテルに連れてきたのは
こういうことだったのか。


トイレを探してラウンジをうろうろしていたら、“WFP Meeting”
という看板が目に飛び込んできた。

まさか、ここでWFPのミーティングをやっているのか???
なんて、ラッキー!

中をのぞくと、ミーティングは終わったところで、片づけをしていた。
ホテルの従業員に尋ねると、会議は今終わったところだが、パソコンを
置いて行っているので、誰か取りに来るだろうとのこと。
では、せっかくだから待たせてもらうことに。


しばらく待ってもWFPのスタッフは誰も来ないので、

ホテルのマネージャが、ホテル内にいるはずのWFPのスタッフを探してくれ、
会うことができた。日本人女性職員は別のところに異動になった
らしいが、彼女に連絡してくれるとのこと。


なんて、ラッキー!
今日は、週末の小旅行も準備できたし、
WFPの職員にも会えたし、ヒルトンでリフレッシュもできたし!


また乗合タクシーで帰ろうとホテルを出たが、さすがにこの辺で乗る人も
少ないのか、なかなか来ない。(つまり、乗合タクシーに乗るような人は

このホテルには来ないということだ)
仕方なく、プライベート・タクシーに乗ることにした。
値段の交渉も最初は100ブルとぼられ、それは高すぎると言うと、
少しずつ安くしていく。結局アラ・キーロまで20ブルでもいいという。
最初の100ブルはなんなの?

ならば、家まで送ってもらおうかと交渉成立。

「おれの車はきれいだから」
と言うので、これまで乗ってきたポンコツ車から少しはましな車に
乗れるのかと楽しみにしていると、彼が奥に停めていた車に乗ってきた。
現れた車は、シートは破れ、ドアもかろうじて閉まるかといった
か・な・り・の年代物の車だった。


ここで、いややめとくとも言えず、仕方なく乗った。
すると、自分はJICAのコジマという日本人を知っている。名刺も
持っていると自慢げに話し出す。
人のよさそうなおじさんで、街中の案内をしてくれて、

まあ、プライベート・タクシーもたまにはいいな、と思った。
ところが、途中で行先を間違って伝えてしまったのに気づき、
値段の交渉をやり直さなければならなくなった。
結局彼は、私が行きたかったバカラ・ベリアを
知らないと言うし、近くに来たら教えろと言う。
記憶を掘り起こし、「そこー!」
と言って、降ろしてもらう。
これからまたタクシーが必要になったら呼んでくれと
名刺をもらう。


近くのインターネットセンターでメールのチェックと送信、
ブログのアップをした。
1時間半回線を使って、25ブル(150円)。オフラインでやれば
もっと安かったかもしれないが、場所を使わせてもらうのも
申し訳ないので、ま、いいか。


ついつい夢中になって、パソコンに向かっていると遅くなってしまった。

家に帰り着くと、あたりはうす暗くなっていて、

「どこに行っていたの~?心配したじゃない」と言われた。
家の人に心配をかけてしまった。遅くなる時にはちゃんと連絡を
しなければ。
そう言えば、電話番号を聞いていなかったので、さっそく私の携帯に登録。

でも、心配してくれるなんて、ちょっと嬉しい。

翌日の旅行のために、今日は早めに就寝。


さ、明日はいよいよ、ラリベラだ!








エチオピアの教育



Lem Lem というのがここのホストマザーが経営する学校で、
私が活動する場所だ。

学校の設立は16年前。貧しくて教育を受けることのできない
約150名の子供たちを集めて、無料でスタートしたらしい。
とにかく国を反映させるには教育しかない、特に人間の土台と
なる基礎を作る時期の教育はとても大事だという。
小さいころに育てた心は大きくなって必ず芽が開く。


街には、物乞いをする子供たちがたくさんいる。
お金ばかりでなく、今日はトイレットペーパーを頂戴と
要求された。
路上で生活している人たちもたくさんいる。この人たちは
いったい夜はどこで寝ているのだろう。
食事はどうしているのだろう。
しかし、こうした人たちがこの街にはたくさんいることが
当たり前なのだ。


日本にいては、まったく感じない感情がここにいると、
芽生えてしまう。

LemLemのような学校で勉強できる子供たちは本当に
恵まれている。
路上にいる子供たちにも教育を受けさせてあげたい。
彼らにとって、当たり前だと思っている今の生活が、
当たり前ではない
ということすらわからないのかもしれない。




エチオピア2日目。


朝10時にビクサンが迎えてきてくれる。
近所のインターネットを使える場所を教えてもらい、
乗合タクシーに乗って、LemLemへ。


エチオピアからのラブレター-学校の周辺

     LemLemスクールの周辺


エチオピアからのラブレター-LemLem小中学校の入口

     LemLem小・中学校の入口


エチオピアからのラブレター-LemLem幼稚園の入口


      LemLem幼稚園の入口




幼稚園の各クラスで紹介され、質問攻めにあう。

名前は?
どこから来たの?
年は?  いくつに見える?と聞くと、
27歳!と答えてくれた。いい子たち!


エチオピアからのラブレター-年少組の教室

        年少組の教室


とても純粋で、目がキラキラしている。
各クラスで歌のプレゼントをしてくれた。


エチオピアからのラブレター-年中組の教室

        年中組の教室



ここの先生たちは皆とても陽気だ。
生徒の前では結構先生をしているが、
授業が終わると、コーヒーセレモニーがはじまる。
パンを食べて、コーヒーを3回飲む。
とても濃いコーヒーだ。
コーヒーを飲みながらおしゃべりに花が咲く。



エチオピアからのラブレター-昼休みのコーヒーセレモニー
    昼休みのコーヒーセレモニー



昼食をとった後に、1週間前から来ている
フランス人の女性――62歳だがとても活動的――が
フランス語のレッスンを先生たちにしているというので、
私も参加させてもらうことに。



エチオピアからのラブレター-ミシェリーンのフランス語講座
     ミシェリーンのフランス語講座


フランス語の挨拶から、数の数え方…まさかエチオピアに
来てフランス語の授業を受けるとは思わなかったが、
それも面白い。笑いの絶えない授業だ。


ひときしりフランス語の授業が進むと、飽きてきたのか、

日本語ではなんていうの? と、彼女たちの好奇心が
こっちに向いてきた。
よし! 日本語の簡単な挨拶と数の数え方を教えることに。


彼女たちには体で教えたほうがいいだろう。


ICHI, NI, SAN, SHI, GO! GO, Yeh!


これはフランス語より
簡単とみえて、日本語のほうに彼女たちは興味を示し始め…。

フランス語は難しい…らしい。


その後は、クラフトの授業…持参した折り紙をやりたいという。
子供たちに教えようと思っていたので、まずは先生たちに
教えておくと楽だろう。
覚えはいいとは言えないが、意欲はある。
ノリのいい先生たちに教えるのはとても楽しい。




エチオピア3日目、


LemLemの学校での活動開始初日。
張り切って活動の備品を持って行ったが、今日は試験で
午前中で終了だった。
普段は陽気な先生たちも、今日はちょっと怖い。

試験はペーパーの試験だ。…幼稚園の子供たちに!

アルファペットの大文字と小文字を線で結ばせたり、
同じ数字を線で結ばたり…。


終わったら、ちゃんと点数もつける。
一人ひとり先生がついて、確認していく。
待っている子供たちには、"Be quiet!" "Silent"と
静かにすることを学ばせる。
みんな先生の言うことをきちんと聞いて、日本の園児より
ずっと言うことを聞くようだ。


"Maki" Maki!"と、名前を呼んでくれて、握手を求められる。
自分の答案が返ってくると、うれしそうに見せてくれる。

試験が終わると、トイレタイムだ。

3歳児のトイレ…。

一列に並んで、トイレの前まで来ると、5人ずつ中に入る。
中にはトイレのお世話をしてくれる先生が一人いて、
やるのだが、小さな洗面器のようなものが並んでいて、
女の子はしゃがんで、男の子は立って、洗面器をめがけて
噴射する。

もちろん、外すわけだが、そんなの構わない。
とてもワイルドだ!
ちょっと濡れている指で、また握手を求められる。


その後、おやつの時間となる。
今は断食の時なので、朝から食事をとっていない。
各自持ってきた食べ物を食べて、親が迎えに来るのを待つ。
何か一生懸命私に話しかけてくれるのだが、アムハラ語が
わからないのが何とも悲しい。


なんたって、3歳児だ。何をしてもかわいい。
隣の子に何かをされたと訴えてくる。
"That's OK"と言って頭をなぜてあげるとそれだけで安心して
笑顔になる。


とにかく、かわいい!


  新聞紙で作った兜がお気に入り!


エチオピアからのラブレター