スピンオフ編~東京都板橋区加賀地区・国の指定史跡となった負の遺産『陸軍板橋火薬製造所跡』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は、東京都板橋区加賀地区の

『陸軍板橋火薬製造所跡』です。

 

『陸軍板橋火薬製造所』は

50万㎡(東京ドーム10個分強)の広さだったため

最寄駅はいくつかあります。

 

今回は

都営地下鉄三田線

『板橋区役所前』から歩いてみます。

 

駅から徒歩10分ほど

『加賀西公園』に最初の遺構があります。

 

『圧磨機圧輪記念碑』

 

1865(慶応元)年

江戸幕府のオランダ留学生として渡欧した

澤太郎左衛門がベルギーで

黒色火薬を製造する機械

圧磨機を購入し船で日本に送りました。

 

明治維新による倒幕で

幕府によって使われることはありませんでしたが

1876(明治9)年から30年間

『陸軍板橋火薬製造所』で使われました。

 

黒色火薬の製造が終了した後

1922(大正11)年に

澤太郎左衛門の功績を顕彰するため

記念碑に形を変えて伝えられています。

 

『加賀西公園』から5分ほど歩くと

『加賀公園』に至ります。

 

江戸時代

この辺りには加賀藩前田家の下屋敷があり

広大な土地に石神井川を利用した

池泉回遊式庭園がありました。

 

明治維新後の廃藩置県により

加賀藩下屋敷は板橋金沢県邸となりますが

1871(明治4)年

政府の兵部省がこの土地の一部を接収し

1876(明治9)年に火薬製造所を設置しました。

 

『加賀公園』とその周辺には

『陸軍板橋火薬製造所』の遺構が散在し

2017(平成29)年に

国史跡『板橋陸軍火薬製造所跡』として指定されました。

 

板橋区はそれ以前この地区を

『東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡』と呼んでいましたが

国による史跡指定に伴い

『板橋陸軍火薬製造所跡』と名称変更し

2024年に史跡公園としてオープンするため

整備を進めています。

 

『加賀公園』内にはフェンスで囲まれ

一般の立ち入りが禁止されている一角があります。

 

この建物は『燃焼実験室』で

爆薬の性能実験などが行われていました。

 

『燃焼実験室』からは

長さ十数メートル、内径688mmの

コンクリート製の管が延びています。

 

弾道検査管と呼ばれるもので

火薬の種類や量を変えて

弾丸の速度などを測定・観測する装置です。

 

弾道検査管の先にあるこの構造物は

『射垜(しゃだ)』と呼ばれるもので

発射された弾丸の的になるものでした。

 

『燃焼実験室』の脇には

石神井川が流れています。

 

火災が伴うおそれのある燃焼実験には

この川の水利は不可欠だったようです。

 

石神井川を挟んで『燃焼実験室』の向いには

火薬製造所時代の建物が2棟現存しています。

 

向かって右は『愛誠病院』

左側は『理化学研究所板橋分所』跡です。

 

第二次世界大戦後

この建物は空家の状態で国が管理していましたが

1946(昭和21)年に

理化学研究所宇宙線研究室が借り受けました。

 

1907(明治40)年に

煉瓦造りで建てられましたが

関東大震災でほとんどが倒壊し

中央の煉瓦壁部分だけが残りました。

 

西側部分(画像奥)は1931(昭和6)年

東側部分は1938(昭和13)年に

鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。

 

現在は使用されておらず

建物内部は通常非公開ですが

板橋区による文化財講座に参加し

見学することができました。

 

配管がむき出しになった天井

史跡公園の整備に際しては

改装されるのでしょうか?

・・・このままのほうが良いのですが。

 

床の一部にレールのようなものがあります。

 

火薬製造工場時代には

画像正面が扉になっていて

外部に貨物を運ぶトロッコが走っていたそうです。

 

会議室だったところです。

 

写真の中央の人物は

日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士

ここで研究されていたとのことです。

 

『理化学研究所板橋分所跡』を出て

西の方に100mほど行くと

ここにも火薬製造工場の遺構があります。

 

かつてはボイラー室などとして使用され

戦後は愛歯技工専門学校として利用されていましたが

同校は2019(令和元)年に閉校し

現在は空家になっています。

 

更に北東に10分ほど歩くと

帝京大学板橋キャンバス4号館の前の歩道に

ちょっと気になるものがあります。

 

ただの石ころのように見えますが

『陸軍』と刻まれています。

 

『陸軍板橋火薬製造所』の外周部にあった

敷地の境界線を示す標柱です。

 

上部だけが何故横になって

ここに残っているかは不明ですが

数年前に付近の住民の方が偶然に見つけたそうです。

 

付近には遺構とみられる建物などが

まだまだありますが

ガイドマップがないので詳細が分かりません。

 

史跡公園が完成すれば

全体像が見えて来るのでしょうが

どこまで原状を保存できるのか

少々不安があります。

 

負の遺産として後世に伝えるには

できるだけ原状に近いままの方が良いと思います。

 

加賀西公園

東京都板橋区加賀1-10ー2

 

加賀公園

東京都板橋区加賀1-8

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都千代田区神田神保町です。