スピンオフ編~東京都中央区日本橋小伝馬町・牢屋敷跡にある区立公園『十恩公園』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は、東京都中央区日本橋小伝馬町の『十恩公園』です。

 

最寄駅は

東京メトロ日比谷線

『小伝馬町』。

 

北千住方面ホーム先頭の改札を出て

エレベータで地上に出ると

すぐ隣が『十恩(じっし)公園』になります。

 

ごく普通の区立の公園に見えますが

実は興味深いものがいくつかあります。

 

園内に入りまず目にはいるのが

この2層の建造物。

 

『石町時の鐘』

東京都の指定有形文化財です。

 

江戸で最初の時の鐘は

本石町三丁目(現在の本町4丁目辺り)に設置された

この『石町時の鐘』と言われています。

 

時の鐘は最初江戸城に置かれていましたが

1626(寛永3)年に

鐘撞き役だった辻源七が本石町に鐘楼を建て

移設したと伝えられています。

 

初代の鐘は

1710(宝永7)年の火災で破損し

現在のものは1711(宝永8)年に鋳造されたものです。

 

時の鐘の制度は

明治に入って廃止されましたが

本石町の鐘はその後も残され

1930(昭和5)年

『十恩公園』内に完成した鐘楼に移設されます。

 

第二次世界大戦中の『金属類回収令』からも免れ

東京大空襲でも罹災することなく

現在に至っています。

 

以前は前掲の画像のように

1階部分には立ち入ることができましたが

現在は何故か立入禁止になっています。

 

『石町時の鐘』の反対側には

石碑がいくつか建っています。

 

こちらは『杵屋勝三郎歴代記念碑』。

 

杵屋勝三郎は

長唄三味線方・杵勝会の名跡で

江戸時代末期から続き現在は八代目になっています。

 

初代の記念碑は

1944(昭和19)年に戦火で損失し

現在のものは1956(昭和31)年に再建されたものです。

 

 

対の燈籠とともに建つ3基の石碑は

吉田松陰関係のものです。

 

『吉田松陰先生終焉之地』と刻まれた石碑。

 

1875(明治8)年まで

この辺りには『伝馬町牢屋敷』があり

吉田松陰は『安政の大獄』に連座して投獄され

1859(安政6)年、30歳の時に

牢屋敷内で処刑されています。

 

こちらは日露戦争で戦没者のための忠魂碑

揮毫は日露戦争の英雄と言われている乃木希典。

 

公園の隣には

東京都選定歴史的建造物に指定されている

レトロモダンな3階建ての建物があります。

 

1928(昭和3)年に竣工した建物で

かつては中央区立十恩小学校の校舎でした。

 

1990(平成2)年に

十恩小学校が廃校になった後は

中央区の出張所などとして活用されていましたが

2000(平成12)年に

公共複合施設『十恩スクエア』が開設され

保育園や訪問看護ステーションなどが入居しています。

 

十恩小学校時代の体育館は取り壊され

跡地には別館が建てられました。

 

別館2階には2014(平成26)年に

銭湯『十恩湯』が開業し

地元住人だけでなく銭湯マニアにも人気を博しています。

 

『十恩湯』入口の前には

『小伝馬町牢屋敷展示館』があり

牢屋敷のジオラマが展示されています。

 

ジオラマの要所要所には小さな人形が配されています

こちらは雑居房でしょうか

4人の囚人が正座して向かい合っています。

 

こちらはトゥインルーム(?)。

 

独居房にはゴザが敷かれています。

 

私が海外の旅の際に宿泊する

安ホテルの部屋よりも良いように思えます

・・・と言って利用はしたくありませんが。

 

屋根に千両箱を持った盗人

牢屋敷に盗みに入るとは

文字通り『盗人猛々しい』奴ですね。

 

近隣のサラリーマンやOLさんの

憩いの場所になっている『十恩公園』ですが

ちょっと視点を変えると

面白いものが多々あります。

 

十恩公園

東京都中央区日本橋小伝馬町5-2

常時開放/入園無料

 

次回は、本日15:00。新シリーズ始めます。題して『街角アート編』。第1回目の今日は、東京都中央区日本橋本町です。