MUSIC編~カルメン・マキ&OZ『午前1時のスケッチ』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は『MUSIC編』。私の好きな楽曲をご紹介しようと思い始め、今年の元旦にこのシリーズをスタートしました。これまでに115曲をご紹介してきましたが、今回は初めて日本の楽曲を取り上げます。邦楽が嫌いというわけではないのですが、洋楽を聴く比率が高く、邦楽についてあまり知らないというのが事実なのです。

 

今日は、そんな中で私が最も敬愛する日本のアーティストであるカルメン・マキ&OZの『午前1時のスケッチ』をご紹介します。

 

カルメン・マキは、1951年にアメリカ人の父と日本人の母の間に神奈川県鎌倉市で生まれました。生まれて間もなく父が帰国しましたが、母は肺結核を患っていたため日本に残り、マキは東京都の大田区で育ちます。1968年に香蘭女学校高等学校を2年次で中退し、寺山修司が主宰していた劇団『天井桟敷』に入団します。同年8月に『書を捨てよ町に出よう』で初舞台を踏むとCBSソニー関係者の目に止まり歌手契約。翌1969年に寺山修司作詞、田中未知作曲の『時には母のない子のように』でデビュー。曲は大ヒットし、同年のNHKの『紅白歌合戦』にも出演しています。この曲の後にも『山羊にひかれて』などをリリースし、個性派のフォーク歌手として人気を得ます。

 

1970年、Janis Joplinに感化されたカルメン・マキは、突然のロック転向を表明し、ブルース・クリエーションとのコラボレーションを経て、1972年にギタリストの春日博文などとともにカルメン・マキ&OZを結成します。結成当初は順風満帆とは行かず、キャバレー回りなどを所属事務所に強要されていましたが、1974年にシングル『午前1時のスケッチ』でデビューし、翌1975年にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリースします。このアルバムは、当時のロックアルバムとしては異例の10万枚以上のセールスを記録しました。

 

カルメン・マキ&OZとしての『午前1時のスケッチ』の映像は存在していません・・・私が知る限りですが。このMVは、タイトルにはカルメン・マキ&OZとされていますが、かつて新宿にあったライブハウス『日清パワーステーション』で1995年に行われたカルメン・マキ&Mosesのライブの模様で、OZのギタリストだった春日博文がゲストで参加しています。

 

こちらはオフィシャルではありませんが、どなたかがカルメン・マキ&OZの音源に映像を被せたものです。

 

次回は、明日9月8日(木)に番外編。東京都葛飾区立石の『ゑびすや食堂』をテーマにします。