スピンオフ編~東京都墨田区両国・鼠小僧次郎吉の墓がある『回向院』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は、東京都墨田区両国の『回向院』です。

 

最寄駅は

JR総武線、都営地下鉄大江戸線の『両国』。

 

JR駅から徒歩3分

京葉道路(国道14号線)に面した浄土宗の寺で

正式名称を『諸宗山無縁寺回向院』といいます、

 

創建は1657(明暦3)年

この年、江戸には『振袖火事』の名で知られる

明暦の大火があり市街の6割以上が焼土と化し

10万人以上の尊い人命が奪われました。

 

亡くなられた人々の多くは

身元や身寄りのわからない人々で

当時の将軍家綱は

このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと

隅田川の東岸に土地を与え

無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。

 

この時に念仏を行じるために建てられた御堂が

回向院の歴史の始まりです。

 

山門は2018(平成30)年から

仁王像を安置するための改修が始まり

翌2019(令和元)年に完成しました。

 

『回向院』には関東大震災前まで

仁王像がありましたが震災で焼失

これを復元すべく仏師・村上清氏に依頼し

残っていた元の仁王像の絵を基に

構想から10年以上の歳月を掛けて

新しい仁王像が完成しました。

 

木曾檜を使った立派な像で

セオリー通り右側には口を開けた阿形が。

 

左側には口を閉じた吽形

小心者で後ろめたいことの多い私は

この吽形を見ると『お前は入っては駄目!』

そう言われているように思ってしまいます。

 

山門をくぐると参道が続いていますが

寺院と言うよりは大学構内のような感じです。

 

参道の左側には

1936(昭和11)年に建立された『力塚』が。

 

『両国国技館』のある墨田区は相撲との関係も深く

その関りは1768(明和5)年に行われた

『回向院』での初めての興行に始まり

1833(天保4)年10月からは

『回向院』境内に掛け小屋が設けられ

定場所として年2回の興行が行われるようになります。

 

『力塚』の裏手には『木遣塚』があります。

 

『木遣り』は木を遣り渡す(運ぶ)という意味で

重い木や石を大勢で運ぶ際に

息をあわせるために唄ったものです。

 

江戸では、町火消しの鳶たちのたしなみとして発展し

棟上や祝儀、また祭礼などの練り唄に転用されるに至り

江戸独特の木遣り唄が生まれたと言われています。

 

『木遣塚』は木遣り歌の伝統を後世に伝えるもので

地元の町火消が寺社に奉納しています。

 

こちらの『木遣塚』は

この辺りを受持ち区域としていた町火消

第六区五番組により奉納されたものです。

 

『木遣塚』の片隅には

お釈迦様の足跡を刻んだ『仏足石』があり

触って拝むと足腰に良いとされています。

 

『木遣塚』の隣には

母の如き慈愛の眼差しで子どもたちの幸せを祈る

『慈母観音像』があります。

 

参道の突き当りにある本堂は近代的な建物で

1970(昭和45)年に再興されたものです。

 

本堂に入りホールのフロアに目を向けると

このようなマークが施されています。

 

天井を見上げると立派な龍の絵があります

いわゆる『鳴き龍』で

マークの処に立ち手を叩くと

龍の鳴き声が聞こえる仕組みになっています。

 

本堂に入ると向かって左側正面に

本尊の阿弥陀如来坐像がありますが

撮影は禁止されています。

 

こちらの画像は配布されている絵葉書からのスキャン。

 

初代の阿弥陀如来像は

1675(延宝3)年に造立されましたが

1703(元禄16)年に焼失してしまいました。

 

1705(宝永2)年に再鋳され

露仏として境内に置かれていましたが

1970(昭和45)年の本堂再興の際に

本尊として堂内に安置されました。

 

本堂に併設されている寺務所には

可愛らしい大黒天が飾られています。

 

本堂を出て右手に向かうと

『馬頭観音堂』があります。

 

『馬頭観世音菩薩像』は

徳川第四代将軍家綱の愛馬を供養するために

回向院二世信誉貞存上人が堂を建て

自らが鑿をとって刻して安置したものですが

当時のものは焼失してしまいました。

 

回向院は

人、動物を問わず全ての生あるものを供養する理念から

境内には動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓も多数あります。

 

『馬頭観音堂』内にも

愛犬・愛猫などを霊が祀られています。

 

『馬頭観音堂』の先には墓所があり

西洋風のデザインの門柱が印象的です。

 

墓所の外側には『犬猫供養塔』など

数々の供養塔や著名人の墓があります。

 

『犬猫供養塔』の近くでは

眼光鋭い猫(本物)が

『俺はまだ行かないぞ』と主張していました

・・・いつまでもお元気で。

 

こちらは『塩地蔵』

経年による風化が激しく建立年代は分かりませんが

相当古いものだと思われます。

 

願い事が成就した参詣者が

塩を供えたことが名前の由来とのことです。

 

『塩地蔵』の背後にあるこの建造物

何だと思われますか?

 

近づいて見ると

参詣の女性が石を削っています。

 

江戸時代後期の盗賊『鼠小僧次郎吉』の墓です。

 

『鼠小僧次郎吉』は

大名屋敷のみを狙って盗みに入り

盗んだ金を貧しい人達に施したとされることから

後世に義賊として伝説化され

歌舞伎の演目にもなっています。

 

10年間にわたり屋敷100か所余りで

800回以上の盗みを働いた末

1832(天保3)年5月に捕縛され

3か月後に市中引き回しのうえ

小塚原(現在の荒川区南千住)の刑場で

獄門の刑に処せられました。

 

墓の前に置かれた石は『お前立ち』と呼ばれ

長年捕まらなかった運にあやかろうと

墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで

現在も石を削って願掛けをする人が後をたたないそうです

・・・何か趣旨が違うような気もしますが。

 

特に受験期になると

合格祈願に来る受験生などが多くなるとのこと

・・・盗人にすがるというのも如何なものなのでしょうね。

 

面白いのは

『鼠小僧次郎吉』の墓のすぐ隣に『猫塚』があります。

 

猫が鼠を睨んでいるというブラックジョークでしょうか

訪れるたびにニヤついてしまいます。

 

『回向院』にはご紹介したものの他に

『万人塚』、『水子塚』『鳥居清長の墓』など

興味深いものがまだまだありますが

長くなりますのでこの辺にしておきます。

 

回向院

東京都墨田区両国2-8-10

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都内随所です。