スピンオフ編~兵庫県神戸市垂水区・八角三層の素敵な洋館『移情閣』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、兵庫県神戸市垂水区の『移情閣』です。これまで『旧武藤山治邸』『旧木下家住宅』とご紹介してきた舞子の歴史的建造物シリーズの最終編です。

 

 

最寄駅は

JR神戸線『舞子』

または

山陽電車『舞子公園』。

 

 

駅から徒歩5分

『舞子公園』の中にある

3階建ての洋館です、

 

 

明石海峡大橋と淡路島を取り込んだ

3ショットがとても素敵な建物です。

 

 

移情閣は旧称で

現在の正式な名称は

『孫文記念館』です。

 

孫文は

19世紀半ばから20世紀初頭を生き抜いた

中国の政治家・革命家で

台湾・中国の双方から

『国父』として崇められています。

 

 

1915(大正4)年に

神戸在住の華僑で

貿易商だった呉錦堂が

舞子にあった『松海別荘』内に建てたもので

八角三層の楼閣は

日本最古の木骨コンクリートブロック建築として

国の重要文化財に指定されています。

 

呉錦堂の没後

1928(昭和3)年に

国道2号線の拡幅に伴い

松海別荘の本館は取り壊されましたが

移情閣は

船舶航行上の目印になるという理由で

保存されました。

 

 

第二次世界大戦後は

呉家から神戸中華青年会に寄贈され

華僑の集会場として使用されていましたが

1965(昭和40)年に台風で甚大な被害を受け

建物の管理が行き届かなくなり荒廃しました。

 

 

孫文は移情閣そのものには

縁はありませんが

1913(大正2)年に孫文一行が神戸を訪れた際

松海別荘で歓迎会が開かれたことから

1980年代に入って

移情閣を孫文記念館にしようという動きが現れました。

 

1983(昭和58)年には

移情閣が兵庫県に寄贈され

翌1984(昭和59)年

孫文の誕生日である11月12日に

『孫中山記念館』として開館しました。

 

『中山』は孫文の別名で

日本亡命時代に

東京の日比谷公園近くの

中山家の玄関に掲げられていた表札の字を気に入り

以降『孫中山』と号するようになったと言われています。

 

現在でも

台湾や中国では

孫中山の名称のほうが一般的で

『孫中山先生』と呼ばれています。

 

 

明石海峡大橋の建設に伴い

移情閣を舞子公園に移転する

話が持ち上がりました。

 

しかし

コンクリートブロック造り3階建ての建物の移築は

建築基準法上不可能で

解体し外観だけを復元するということになりました。

 

ところが

1993(平成5)年に

兵庫県の有形文化財に指定されたことから

法律上の問題がクリアされ

翌1994(平成6)年から解体が始まり

6年後の2000(平成12)年に

200m離れた現在地への移築が完了し

『孫文記念館(移情閣)』として再開されました。

 

 

実は私は

孫文が好きではありません。

 

稀代のペテン師であり

大ぼら吹きだと思っています。

 

しかし

中国、台湾はもとより世界各地で

『孫文』という名の施設があると

何故か自然に足が向いてしまいます。

 

移情閣もその一つで

これまで3回訪問しています。

 

自分自身の思考回路が

どのようになっているのか

我ながら不思議に思います。

 

 

入口を入ったすぐの部屋から

孫文の革命に捧げた(?)一生に関する

詳細な展示がなされています。

 

 

宮崎滔天、頭山満、犬養毅、渋沢栄一、南方熊楠など

日本の多くの政治家、思想家、経済人が

孫文を支援しました。

 

 

私が何回もこの建物を訪れるのは

展示物ではなく

建物自体と窓外の光景の

素晴らしさに惹かれているからです。

 

 

特にお気に入りは

天井の意匠です。

 

 

一階の天井は龍

物凄い迫力のデザインです。

 

 

二階の天井には

花を取り巻く鳳凰が。

 

 

一階の天井とは異なり

優しさにあふれたデザインです。

 

 

もう一つ注目すべきは

壁に施された『金唐紙』です。

 

和紙を重ねた上に

漆を塗って金箔を押す

日本独自の手法による壁紙です。

 

明治時代の製法により

金唐紙が文化財として復元されたのは

1984(昭和59)年の

北海道小樽市の『旧日本郵船ビル』が初めてで

その後、広島県呉市の『鎮守府長官舎』を経て

移情閣が3例目となっています。

 

 

このほかにも

呉錦堂に関する

興味深い展示もありますが

長くなりますので

今日はここまで。

 

移情閣

兵庫県神戸市」垂水区東舞子町2051

078-783-7172

10:00-17:00

月曜日休み

 

旧武藤山治邸

旧木下家住宅

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国広東省広州市です。