隠し子問題④ | イギリス・フランス・レトロビンテージ雑貨コレクターの日記。

イギリス・フランス・レトロビンテージ雑貨コレクターの日記。

1960〜70年代初期の音楽、映画、ファッション、雑貨が大好きです。
所有(&販売)しているビンテージ食器の紹介を中心に、同じく60年代好きの夫との日々のこぼれ話も含めて日記に綴っています。
(通算10年近く住んだイギリスから永久(?)帰国しました。)

 

懲りずにSteveの隠し子の話の続きです。

 

もはや誰のために何のために書いてるのかという次元なのですが笑い泣き帰国して英語の文章をちゃんと読む機会が殆どなくなってしまった今、ゴシップ記事とはいえ、人に読まれることを前提に長文を訳す、という作業を久しぶりにするのはなかなかよい勉強になりました。

 

さて、前回の話の続き。

Steveの娘フランチェスカさんの生い立ちやどんな風に育ったかという話でした。

 

自分の生みの父親がSteveと知ってから、FranchescaはまずSteveのマネージャーとお兄さんに連絡を取ったのですが、返ってきたのはSteveはFranchescaについて関与する意思がないという返事でした。

 

「それから私はSteveに手紙を書いたりメールを送ったり、自宅に自分の子供(Steveの孫)の写真も送ったの。彼から何かが欲しいなんて気持ちは微塵もない。

ただ、私がここに存在する事を知って欲しい、そして彼に会ってみたいだけなの。」(Franchesca)

 

「私がそこまでするのは彼が有名人だからだっていう人達もいるんだけどそうじゃない。ただ、自分の人生で欠けている部分と繋がりたいだけ。

私の人生の他の全ての部分は、生みの母に会ってからすっかり辻褄があってうまく収まったの。

母と会って精神的にも繋がれたように、父ともそうなりたい。

彼から全く反応がないのは彼自身の意思なのかそれとも他の誰かに連絡を拒まれるようにされているのか…?

わからないからこうして世間に公表する事にしたの。

もしここまでしても本当に彼が私に興味がないならそれを受け入れて自分の人生を歩んで行かないとダメだけどね。」

 

2004年にFranchescaはバーミンガムであった彼のライブのチケットを買って観に行ったそうです。

 

「それが、私が彼の近くに行ける唯一の方法だった。

彼はライブの最後に奥さんと子供達全員をステージに上げたの。

私は・・・すごく悲しくなって落ち込んだ・・・」

 

彼女は一度、Steveに直談判しようと車で彼の自宅近くまで行きかけたこともあったのですが途中で躊躇してやめたそうです。

 

「決して彼の家庭を壊したり波風を立てたいわけじゃない。

何度ももうあきらめて忘れようって思った。

でもいつも何かの拍子に蒸し返してしまうの。

彼には一度も会ったことがない孫が3人もいるのよ。」

(この時点でSteveの他の子供達にはまだ子供がいなかったのでFranchescaの子供達が彼の唯一の孫)

 

彼女がSteve側から受け取ったのはマネージャーからの素っ気ない文章のメールのみでその内容は

「Winwood氏から、貴方からのメールを読んだ事ととても衝撃を受けた事を伝えて欲しいと言われました。彼は貴方の探究心と貴方の今の気持ちを理解できると言っています。

彼には18年来の妻と4人の子供達がいて、その家族を動揺させるような事は一切したくないのです。

貴方を落胆させるような返事だったら申し訳ないですが、彼はこれ以上この事について何かするつもりはなく、貴方には彼の気持ちを理解して尊重してほしいのです。」

 

F母さんはこのSteveの対応について

「最初に彼が立ち去った事、それは自分達が若くて無知だったせい。あの時の事については私は一切、恨んでいない。

それは娘も同じ気持ち。だけど、今は違う。言い訳なんかできない。

私は娘に再会できて本当に幸せだから彼にも娘と会ってみてほしい。」と言っています。

 

記事の最後にSteveが(おそらく取材に対して)こう言ったと締めくくられています。

「私と妻は(その年の)12月にFranchescaに連絡を取る予定です。

その際に私が本当に彼女の生みの父親かどうか確認し、もしそうなら私と家族は彼女に会う事をとても楽しみにしています。」

 

いや、、、Steve、、、どう贔屓目に見てもこれは酷いよ、、、

 

F母さんの言う通り、、、最初はともかく、、、実の娘を2度も捨てるつもりだったの?(暴露されてなかったら)

 

自分の子供を宿している、と伝えられたその日以来、お腹の中にいる姿すら一度も見た事がなかった娘に、会いたいと思った事は一度もなかったのでしょうか?

 

17歳の少年に、しかも一度も見た事がない子に愛情を持つほどの父性を求める方が間違っているのかも知れませんが・・・

 

でも、SDGから抜けたあとの20歳前後や最初の結婚をする前の20代後半、そんな時も娘に一目会いたいと思ったことはなかったのでしょうか・・・(もし、あったとしても彼からは何も行動は起こせなかったかもしれませんが・・・)

 

 

 

Steve17歳の時にリリースされたシングルB面「Stevie’s Blues」

Steve作詞作曲。曲を作ったのは14~16歳くらいの頃でしょうか・・・まだFranchescaさんが母のお腹に宿る前でしょう。

 

「俺のBaby(あとから聴くと恋人のことにも、文字通りの赤ちゃんのことにも聴こえる真顔)が立ち去ってしまった。

とてつもなく悲しくて孤独だよ・・・」

 

 

 

 

・・・

 

 

お前が言うなー!!!

 

 

 

(F母さんとFranchescaさんの心の声を代弁いたしましたDASH!

 

でも15,6歳でこんな曲作るなんてやっぱりSteve神童ねラブラブドキドキ爆  笑

 

 

このブログを書いていた時にたまたまYahooトピックスに赤井英和の長女(前妻との子)の事が出ていて、そこから飛んだページで彼女のインタビュー記事を読みました。

 

赤井英和については大まかな経歴くらいしか知らなかったのですが(映画「どついたるねん」は観た事あります。あとTVドラマ「東京エレベーターガール」もリアルタイムで観ていました。)記事中の娘さんの一文を読んだらあまりにもFranchescaさんの心情と重なり過ぎて…またまた切なくなりました…

 

「英和が日本テレビの『24時間テレビ』でマラソンランナーを務めたことがある。「このゴールを誰に伝えたいですか?」と聞かれた英和は家族の名前を挙げた。しかしその中に、沙希の名前はなかった。私にとってお父さんはこの人だけだけど、この人にとって私は子供じゃないんだ......。ショックを受けたが、母にその姿を見せたくない。布団の中でひとり、泣いた。」

 

 

 

そして、つい先日もYahooニュースでも「「母をたずねて10年」、大人になった特別養子が捜す生みの親」というタイトルのトピックがあったので読んでみました。

 

 

Franchescaさんの記事を読んでいなかったら目にも止まらなかったかもしれない記事ですが、こちらもやっぱり彼女の気持ちと被るところがあってすごく興味深く読みました。

 

 

もう少し、続く・・・