【「何があっても前向きでいる」虐待】 | 繋ぐ命、育む愛。魂意識革命®︎

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愛と育みと安らぎの居場所の専門家/家族、家系、遺伝的体質、遺伝的運勢、意識と現実化の最高峰メソッド魂意識革命®︎創始者/魂意識革命協会代表/人権力子育て®︎/Polaris Core®︎スキンケア創設者

何があっても底なしに明るく前向きでいる人は、
魂が傷付きすぎてしまい、
原型を留めていない人だけです。
 
真に底なしに明るく前向きな人と、
魂が傷付きすぎて原型を留めていないだけの人の見分け方は、
 
「好き」に妥協しないこと。
「嫌い、不快、生理的に無理」が明確であり排除できること。
「世間で多様性」と言われていても
「自分にとってどうか」がいつでも明確判断でき
取捨選択をして「好き」だけを選び、それ以外を回避していること。
 
これができている人だけが
「真に底なしで明るく前向き」ができるんですよ。
 
ではそれとは逆に、
魂が傷付きすぎているだけの人の場合は何かというと、
 
どんなに嫌なことがあっても
そこから「いい部分」を見出そうとする。
 
どんない嫌なことがあっても
そこから「感謝できる部分」を探そうとする。
 
相手の99%が自分にとって害でしかないのに
1%のキラキラした「いいところ」を見つけて
害する相手を愛そうとする。
 
というようなことをします。
 
はい、
これはかつての私ですね。
 
他人からは、私は底なしに明るく
どんな時も前向きに前進する人として見られ
そして「自分でもそう思っていた」し、
「実際にそうしてきたことで常に幸せだった」ので、
 
「幸せを見出せるかどうか」が
幸せな人とそうでない人の違いなんだな!と思い
 
それすらも前向きに捉えていたし
常に誰かに感謝され、希望にされる人生でした。
 
つまり
「うまくやっていた」んだと思います。
 
※あえて言葉にするならです。
いちいち認識しておらず、
常に前進あるのみで進んでいたので、
そもそも「前向き」とか「ポジティブ」だと
自分をそう思ったこと自体がありませんでした。
逆に言うと、前進する以外のゆとりがなかったんです。
 
しかし、
何が欠落していたのかというと
 
「本心の不快」「生理的な嫌悪」
「傷ついていることを感じる」ことが
 
全くできていなかったんですよね。
 
これを総じて「立ち止まること」と言います。
 
立ち止まることは、感じること。
感じることは、自分の「今」と「本当」を受け止めること。
 
これが全くできていなかったので、
人生にチグハグな人が登場しまくっていました。
 
自分が自分を知らないので、
自分が認識していないスペースには、
 
「こんな私でも受け入れてくれるよね」という人が
常に登場していたんですね。
 
自分を見ない、感じられないというのは、
自分の存在の放棄、譲渡と同じです。
 
自分の存在の放棄、譲渡をしていると
 
「放棄された自分を取り込みたい人」
「譲渡された生命を取り込みたい人」が
 
パズルとして現実化します。
 
だから、
常に浮遊霊みたいなすがりつく人や
常にエネルギーを奪いたい人が集まってきていたんです。
 
人間の魂の場合、
例え自己犠牲が強い人が傍にいても
それを「奪おう」としないので、
 
当然、寄ってくるのは魂違いの存在です。
 
わかりますか?
 
「好き」に妥協しないこと。
「嫌い、不快、生理的に無理」が明確であり排除できること。
 
「世間で多様性」と言われていても
「自分にとってどうか」がいつでも明確判断でき
取捨選択をして「好き」だけを選び、それ以外を回避していること。
 
これができている人だけが
「真に底なしで明るく前向き」ができるんですよ。
 
そしてこれができたとしても
「他人を害すること」「誹謗中傷」とは
イコールではないので、
 
「自分の人生に取り入れない」で
「自分の人生に必用なものは自分で選ぶ」というだけで、
 
別にどんな人がいても「自分の圏外」であれば、
これといって言及しないで済むというだけです。
 
自分の人生に必用なものは自分で選んでいるから
それ以外は関与しない。
 
これが真の意味で
「多様性を受け入れる」ということ。
 
私が完膚なきまでに間違えまくっていた、
「どんな時にも明るく前向きだった頃」は、
 
不快を不快だと感じることを怠っていました。
それを回避した上で好きを選ぶことを
怠っていました。
 
相手から好かれれば、
別に恋人じゃないんだから「別れよう」とかでもないし
好かれてしまった好意に関して
どう対応していいかわからずに
 
そのままスルーして
自分に集中していればいいと思っていました。
 
だからワラワラいたんです。
受け入れてほしい人が。
 
断ってないから。
 
でも、違ったんですね。
 
「私はこれが嫌いだから断る」
「私はそういうの興味ないから違うところに行くね」
「私とあなたは感覚が合わないからラインをやめるね」
「私はあなたみたいな人が好きだから友達になりたい」
 
というように
 
いつでも自分の1面体の管理者でなくてはいけない。
 
家の中に余計なものは
入れてはいけない。
 
余計なものを入れた瞬間から
気が乱れるから、
 
そこから隙が生まれて、
そして邪魔ばかりが入るようになるのですよ。
 
タイトルから少しズレたような
感じがしたかもしれませんが、
 
全部同じことです。
 
「何があっても明るく前向きに」
 
これは、「自分にとって」という
選択基準をいつも管理して満たしている人だけが
できることで、
 
それ以外は全部自分への虐待です。
 
最初はうわ、、と思ったのに、
愛そうとするとかはとくに魂の「禁忌」。
 
犯罪者に囚われた人が
恐怖が振り切れてしまって
やがて愛そうとする。
 
というのと同じレベルで「ヤバい」んだと
認識したほうがいいです。
 
「何があっても前向き」なわけないじゃないですか。
 
その「何か」がある時に
「自分は何を感じているか」「どう感じているか」
「好きか、嫌いか」「良いのか嫌なのか」
 
これを明確にしないとダメなんですよ。
 
これが「自己管理」で「自立」です。
 
「何かがあった時」
ものすごく辛いなら「こんなの絶対に嫌だ!!!!」と
叫んで泣かないといけないし
 
「何かがあった時」
ものすんごく歓びなら「やった――――!!最高!!!!これこれ!!」と両手を上げて喜ぶくらい
 
それくらい「自分の感覚」を
正しく感知していることが重要です。
 
本当は嫌なのに愛そうとする
本当は嫌なのにそこから幸せを見出そうとする。
 
これは
私自身も間違えていた
究極の自己犠牲、自己不在、命の譲渡ですよ。
 
絶対にしてはダメなことです。
 
私はさんざん愛の使い方を間違えてきたから
だから「魂の権利」のことを
伝えているんです。
 
「嫌だ!!!!」と心から叫ぶ時
道が開かれます。
 
「嫌だ!!!!!」を封じ込めて
前向きで明るくある時
 
あなたの人生は地獄になるでしょう。
 
これが事実で、真実ですよ。
現実化はいつも
 
あなたの「御霊の感覚」通りに
創造されています。
 
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