こんにちは!フルーティストの岩下智子です。
自宅待機が始まった3月末から、私のフルート生活も変化しました。基礎をチェックし直したり、昔やったエチュードを出してきて、毎日1曲入魂、それから、ホームコンサート開催(お客は夫、息子、娘と猫2匹だけ)をやったり…と、お陰で毎日よく練習できています。
その中でも最近集中して練習しているのは武満徹の《巡りーイサム・ノグチの追憶に》です。物静かな中に、緊迫した不協和音の重音がバシバシ出てきます。秋ころ、コロナが落ち着いたら、皆様にも聴いていただきたいと思っております。
さて、その武満徹ですが、1996年に65歳で急逝したとき、日本だけでなく、世界の楽壇がその作曲家の死を惜しみました。私もこのニュースをよく覚えています。彼の作品は日本的な感性に満ち溢れ、音楽で哲学、自然観を語り、心の隅々まで鳴り響きます。
音楽家としての彼の人生を紐解いていくと、実は簡単なものではなく、最初は作曲するためのピアノも持たなかったといわれています。それを聞いた芥川也寸志の力添えで、まだ面識のなかった黛敏郎からピアノを贈られて、ようやく音を出して作曲できたそうです。そんな苦労の作曲家であったのですが、1959年に転機が訪れます。ちょうと来日していたストラヴィンスキーに、《弦楽のためのレクイエム》が目に留まり、これが武満の名前が世界に広がるきっかけになりました。またその後、琵琶と尺八とオーケストラによる《ノーヴェンバー・ステップス》で、洋と和の対峙を表現し、一躍世界に認められる作曲家になったのです。
武満は、色々な楽器のために独奏曲を書いていますが、フルートのためには、《ソリチュード・ソノール》(未発表)から始まり、《マスク》《ヴォイス》、先述の《巡り》、そして最晩年に オーレル・ニコレのために《エア》を作曲し、これが遺作となりました。
@2014.5.14.銀座十字屋コンサートチラシより
武満の言葉で印象的な言葉がありますので、最後にご紹介しましょう。
「できれば、クジラのように優雅で、頑健な肉体を持ち、西も東もない海を私は泳ぎたい」
それでは今日はこのへんで。
岩下智子