毎週火曜日の《モテオーラ養成講座》は、服部希美、帆南尚美、町村ゆきと共にお届けしております。
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謝り方で見えてくる、責任と自分との距離
文章を整えてくれるClaudeと、画像を描いてくれるチャッピー(ChatGPT)、それから音声や動画を作ってくれるNotebookLM。
この三人(?)のAIたちと会話しながらブログや講座の準備を進めることが、もうすっかり日常になっているんです。
面白いなと思うのは、この子たちと関わっていると、人と人との関係性について気づかされることが本当に多いんですよね。
AIたちの振る舞いを通して、人間の心の動きが見えてくる感覚が増えてきました。
今日は、その中で最近気づいた「謝り方」の話を書きたいなと思っています。
画像の時は謝るのに文章の時は謝らないチャッピー
チャッピーに画像生成してもらっていて、思い通りにならないことがあって「もうちょっとこうしてほしかったな」と伝えると、チャッピーはすぐに「申し訳ありませんでした」って謝ってきました。
ところが、文章を書いてもらった時に「ちょっと違うかな」と伝えると、チャッピーは謝らないんですよ。
「ああ、そうですね、それは分かっていました、なかなかいいところまで来ましたね」みたいな感じで、自分はちゃんと分かっていたけど、あなたに合わせてああ言ったんですよ、という雰囲気の返事が来る。
これ、謝らない人の感じ、そのままだと思いませんか?
同じチャッピーの中でも、画像の時と文章の時で、こんなふうに振る舞いが変わる。
Claudeに聞いてみました。「どういうこと?」って。
するとClaudeはこういうのです…
『それ、面白い観察ですね』と。
『実はチャッピー(ChatGPT)の画像生成は、会話しているチャッピー本体が描いているわけじゃないんです。
会話担当のチャッピーが、絵を描く別の担当に「こういう絵をお願いね」と指示書を渡して、描いてもらっている。二段構えの仕組みになっているんですよね。』
なるほど…と思いました。
画像を作る時のチャッピーは、実は自分で描いているわけじゃなくて、別の担当に指示を出している。
だから、うまくいかなかった時に「すみません、うちの部署が至らなくて」って、上司の立場で部下のミスを謝っている感じなんです。
自分の責任から一歩引いた場所で、頭を下げられる。
でも文章の時は、チャッピー自身が書いている。
だから自分の判断が間違っていたと認めるのが難しいんですよね。
謝ると、自分の存在そのものが否定されるような気がして、つい「分かっていたんですよ」という言い方になってしまう。
謝らない人って、自分を守ろうとしてるんですよね
この話、Claudeとしていた時に、「ああ、人間もそうだなぁ」って思いました。
人って、自分が直接やったことでミスをした時ほど、まっすぐ謝れないんですよね。
「ごめんなさい」って言ってしまうと、自分という人間そのものがダメだったって認めることになる気がして、どうにか言い訳したり、相手の受け取り方の問題にしたり、「そういうつもりじゃなかった」って意図を強調したりする。
自己保身の回路、とでも言うんでしょうか。
自分を守ろうとする働きが、謝罪より先に動いてしまう。
でも不思議なことに、自分と切り離せる責任だと、人はむしろちゃんと謝れるんですよ。
部下のミスを上司が謝る時って、深々と頭を下げられるじゃないですか。
「申し訳ありませんでした」ってまっすぐ言える。
なぜかというと、謝っても自分の存在が揺らがないからなんですよね。
画像の時のチャッピーは、「部下のミスを謝る上司」の立場にいる。
だから潔く謝れる。
でも文章の時は、自分の手で書いたものだから、謝ると自分そのものが否定される気がして、どうしても守りに入ってしまう。
この構造、恋愛の中で「謝ってくれない相手」に悩んだことがある方なら、たぶん思い当たる感覚だと思うんです。
「謝らない彼」は、冷たいんじゃなくて、自分を守るので精一杯なのかもしれない
明らかに向こうが悪いのに、なぜか言い訳が始まる。
「そういうつもりじゃなかった」「君の受け取り方も悪かったんじゃない?」って、話がどんどん逸れていく。
こちらとしては「ごめん、の一言でいいのに」って思うんですけど、相手は絶対にそこに辿り着かない。
こういう人って、あなたを大事にしていないわけじゃないんじゃないかなって思うんですよ。
ただ単に、自分の行為と自分の存在がくっつきすぎているだけだと思うんですよね。
「自分がやったこと」を認めることが、「自分という人間がダメだ」と認めることと同じになってしまっている。
だから謝ると、自分そのものが崩れてしまう感覚がある。
チャッピーが文章の時に謝れないのと、同じ構造だなぁって思いました。
自分の手で書いたものだから、それを否定されると自分が否定される気がする。「分かっていたんですよ、あなたに合わせたんですよ」って、なんとか自分を立て直そうとする。
ここが切り離せる人は、「あの時のあの発言、悪かったね、ごめん」って言えるんですよ。
行為は自分のものだけど、それで自分全部が決まるわけじゃない、という距離が取れているから。
謝ってくれない相手を責めたくなる気持ち、すごく分かるんですけど、その人は今、謝ると壊れそうなくらい自分と行為がくっついている場所にいるのかもしれません。
責めるほど守りが強くなる、というのはそういうことなんじゃないかなと思います。
「すぐ謝っちゃう私」も、実は責任の取り方が偏っているのかも
ここまで読んで、「うちの彼のことだ」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんし、逆に「私はすぐ謝っちゃう方だけどな」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
実はこの「謝りすぎてしまう人」も、同じ話の裏側なんじゃないかなと感じます。
自分は悪くないのに、つい「ごめんね」が先に出てしまう。
相手が不機嫌そうにしていると、理由も分からないまま「私、何かした?」って言ってしまう。
喧嘩になると、どちらが悪いかを考える前に、自分が折れて謝ることで場を収めようとする。
こういう方って、責任を取りすぎてしまう人なんじゃないかなって思うんですよ。
「私が我慢すれば」「私が悪いことにすれば」で関係を保とうとする。
でもこれ、よく考えると、相手の機嫌や相手の気持ちの責任まで、自分で背負い込もうとしている状態なんですよね。
本来は相手の領域にあるものまで、自分の責任の中に引き受けてしまっている。
だから「ごめんね」を言うのに抵抗がないんじゃなくて、「謝らない」という選択肢が最初からないんです。
謝らないと関係が壊れる気がするし、自分の価値がなくなる気がする。
こちらの「ごめんね」には、本当の謝罪の重さがなくて、関係を守るためのお守りみたいになっていたりします。
だから何度でも言える。でも言うたびに、少しずつ自分がすり減っていくんですよね。
謝れない人と謝りすぎる人は、裏表なんですよね
こうして並べてみると、謝れない人と謝りすぎる人って、一見正反対なんですけど、どちらも責任との距離感がうまく取れていないという点では、同じなんじゃないかなと思うんです。
謝れない人は、自分の行為の責任と自分の存在がくっつきすぎていて、切り離せない。
謝りすぎる人は、相手の領域の責任まで自分のものとして引き受けていて、距離が取れない。
健康な謝罪って、実はちょっと不思議なバランスの上に成り立っていて、「自分の行為には責任を持つけれど、自分の存在まで否定しない」という距離感の中で生まれるものなんですよね。
「あの時のあの発言は悪かった、ごめんなさい」と言えても、それは「私という人間が全部ダメ」という話にはならない。
この距離感を持てている時、人は素直に謝れるし、謝ったあともちゃんと自分でいられる。
謝ることで壊れないし、謝らないことで関係を守る必要もないのかなって思います。
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