二人の髭の殿下 ~姿勢がすべてを表す~ | love-3025のブログ

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      興奮の二日間が過ぎ、週末はお天気が荒れそうです。

      ラブの毛が伸びてきました。毛が伸びるのが早いということは、若いんで

      しょうね。狂犬病の予防接種の案内も来ましたから、その前にシャンプー

      をしようと考えています。

 

敬宮様に沸き立っていた陰で、秋篠宮家やご隠居ご夫婦は比較的に

静かでしたね。

一寸、美智子様の記事が出てたようですが、敬宮様に便乗した記事で

あまり気にもならなりませんでした。

私にとって、気になるのは秋篠宮のご家族で目を離せないと思ってます。

 

先日、面白い秋篠宮家の節約の記事が出てましたね、笑いました。

大根の葉の話は、紀子さんの子供時代の思い出でしょうか?

昭和風でしたねえ。

秋篠宮さんの鉛筆の話、年に何回鉛筆を持つでしょうか?

公的場面では万年筆や筆でしょう。私的な場面で書くことが多い方だとも思えませんしね。

鉛筆より電卓を持つことが多いのでは、なんて突っ込みたくなりました。

 

今更、この宮家の方たちは自分たちの立ち位置をどう思ってるのだろうかと考えてみても、

宮家としての立場より、天皇に収まることしか考えてないようなので

無駄といえば無駄のようにも思うのですが・・・。

 

宮家の大きな役割は、天皇陛下を支えることと言います。

どのように支えるのか?

 

目に見えない支え方としては、天皇の血脈を守るということもあるでしょう。

皇位継承順位は、そのためのものでしょう。

天皇陛下の相談役や諫言役、という役割もあるのではないでしょうか。

高円宮様は、そういう意味で非常に大切な存在でしたが、惜しいことです。

また、国民との乖離を防ぐためのスポークスマンのような役割もありますね。

 

秋篠宮が慕って真似て髭を蓄えていたという、三笠宮家の寛仁親王殿下。

髭の殿下として有名で、破天荒な皇族の印象が私にはあります。

遠慮のない発言をされる殿下は、スポークスマンとしては最適だったかもしれません。

今、生きておいでなら、秋篠宮家のこの状況をなんと発信されたか聞いてみたいものです。

 

 

寛仁親王殿下は、お勉強はからっきしダメというよりはしない方だったようですが、

皇族や人間としての修養はされていたようで、魅力的な面をお持ちだったようです。

テレビやラジオ、雑誌などにもよく登場し談話は数多くありますね。

その談話から感じるのは、皇族としての分をわきまえておられたうえでの自由な発言

だなあということです。

寛仁親王殿下は男系男子派の先駆けのような方ですが、

この時代は皇統の危機というにはまだ余裕があったのでしょうね。

 

寛仁親王殿下の育った環境を簡単に言うなら、放任主義でわりに日和見的な父親である

三笠宮の背中を見て育ったように思います。

そして傍系の父親と同じ立場でありましたので、好きなことだけはするという方だったように

思えます。皇族という枠の中で傍系であることから、ある意味、自由な選択ができない

立場でもあったわけです。

そうしたことが、アルコール依存の遠因になったかどうかはわかりませんが・・・

留学中もスキー三昧だったようですし、帰国してからはスキーを楽しみだけでなく

スキーやスポーツの普及にも尽力されたとのことです。

とことん突き詰めるご性格でしょうか。

寛仁親王殿下に大きな影響を与えた方は、伯父の高松宮様だったということです。

父親の三笠宮様と違い、戦争には懐疑的で平和的な解決を模索した高松宮様は、

天皇の名代として、1年半も欧州を奥様と周りながら見聞を広げたことが大きかったようです。

 

傍系の宮家として分をわきまえ、天皇を支え厳しい意見も伝えるという姿勢の高松宮様の影響は、その後寛仁親王殿下が皇籍離脱騒ぎを起こしたときに、思いとどまる一助になったのではないでしょうか?

 

同じ髭を蓄えていながら、秋篠宮とは比ぶべくもないでしょう。

 

皇族としての意識、立場を守ることについてはきちんとしたお考えをお持ちだったようです。

当たり前でしょうがこの考えは、身位、序列につながるものです。

 

2001年(平成13年)12月に行われた長女(第1子)の彬子女王成人に伴う記者会見において全国紙が彬子女王を「三笠宮寬仁さまの長女彬子さま」と記載したことに関し、親王は自身が総裁を務める日本職業スキー教師協会の広報誌の「総裁コラム」において、「私は、『三笠宮』(父の宮号)では無く、『寬仁親王』であり、彬子は身位が『女王』で、敬称は『殿下』でなければなりません。従って正しくは、『寬仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下には……』となるべき」と記した[9]。また、柏朋会の会報『ざ・とど』でも冗談を交えつつ、「『三笠宮寬仁親王』でなく『寬仁親王』が正しい」と書いている。】ウイキペディアより

 

秋篠宮の考える皇族としての意識、立場は

人より偉いというおかしなプライドから来てるということが、その行動から

透けて見えていますね。

 

皇族としての姿勢は、すべてに現れてくるでしょうが、

秋篠宮が真似られたのは髭とアルコールと好き勝手だけと分かります。

私には男系男子派に媚びたようにしか見えません。

本当に慕ってまねたのなら、人間性やその方の矜持としていることに影響されると

思うからです。

 

今日はここまで

 

     今日も読んで頂きありがとうございます。パー