寛仁親王家の女性たち~断絶を生んだもの~ | love-3025のブログ

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      春の嵐でしょうね、一日中の暴風雨でした。

      ラブは、今日は雨だわ。というと理解したらしく散歩をねだることもなく

      窓際でうたた寝。私は敬宮様の映像で余韻に浸り、静かな一日でした。

 

昨日は寛仁親王殿下のお話を書きましたが、病についてはあまり触れませんでした。

 

寛仁親王殿下を語るときに決して避けられないアルコール依存症の問題があり、

私には、この問題がその後の親子関係にも影を落としているのだろうと思えます。

 

アルコール依存症の患者を抱える家族もまた、病んでいることが多いのです。

 

寛仁親王殿下と結婚した信子妃は、麻生元総理の妹さんということは知られています。

信子妃の両親や祖父、曾祖父には吉田茂元総理、大久保利通、元伯爵などの

そうそうたる面々で、まさに名家の血筋でもあります。

 

 

信子妃が16歳の時に寛仁親王からプロポーズされ、まだ高校生ということで8年後の

結婚になったということです。

この8年の間に、留学や幼稚園での英語教師などのお仕事も経験されています。

 

この結婚は、当時の名家なら普通でしょうがある意味、政略的なものも感じます。

戦後復興から日本は高度経済成長期に向かっており、一方で各宮家の経済的な内情は

決して豊かではなくなっていたでしょうから、

宮家側は経済的な後ろ盾を得、麻生財閥は、皇族の縁戚に連なるという名誉があります。

 

信子妃は、名家のお嬢様として素養を身に着けられてのご結婚だったでしょう。

お料理が得意で本も出されているそうです。

信子妃を考えると、家を守り夫を立て子供を育てる、という昭和の女性の姿が見え、

そして心優しい方でもあるのだろうとも感じます。

また結婚後の生活からは、耐えるという姿も感じられます。

 

寛仁親王殿下のアルコールの問題が表面化したのは1990年頃です。

この時、二人のお子様である彬子女王は9歳、瑤子女王は7歳です。

しかし実際はその数年前から家庭内では問題が起きていたと思われます。

 

単なる酒好きの夫という認識は問題行動が起きるようになっても、

身近な家族ほど依存症に気づき憎いことが多いようで、問題行動に振り回されながら

家族も病んでいくということが多いようです。

問題行動には、暴言や暴力、モラハラ、パワハラなどもあります。

宮家にDVがあったとは思いませんが・・・。

そして、家族の陥る最初の間違った対処が、隠蔽です。

 

皇族という守るべき体面があることを考えると、信子妃も子供たちも

この問題を口にすることはできずにいた時期が長かったのではないかと思います。

 

信子妃は耐えることで夫の体面を守っていたのではないでしょうか。

 

子供たちは、最初は母親に同情し支えようとしますが、思春期に差し掛かった頃からは両親へ

批判的な目を向けるようになっていったのではないでしょうか。

父親のアルコールの問題は、やがて親子断絶状態に発展してしまいます。

 

精神的に追い詰められていった信子妃には、身体的な症状が現れるようになります。

2004年頃から夫や子供たちとも離れて、長い療養期間が始まります。

 

この頃、彬子女王は23歳になっており、オックスフォードに留学をします。

2010年にはオックスフォード大学で博士号を取得し論文発表や大学での教鞭、

皇族としての活動など積極的に活動されていますね。

 

瑤子女王は21歳で学習院在学中でしたが、2006年には赤十字社に常勤の嘱託職員として

就職され、皇族としては史上初でした。

 

敬宮様と重なりますね。

 

2012年に寛仁親王殿下が薨去されましたが、喪主は彬子女王が務められました。

信子妃の本格的な公務復帰は2015年になりますが、療養期間中の別居は続いており

ご家族との同居は2004年以降はありません。

 

寛仁親王殿下がアルコール依存症に翻弄されながらも望むように生きられたのでしょう。

しかしご家族は、翻弄されながら今もその影響を受けているように私には思えます。

 

母娘の関係が外側からはわからないことが多いのですが、

健全な家庭環境になかったことが溝を作ったと思われます。

少しでも早く母娘の関係が、元通りになることを祈るばかりです。

 

信子妃が守ってきた寛仁親王の家は薨去後、三笠宮家本家に吸収されました。

信子妃は今後も宮内庁分室で、寛仁親王妃として暮らされるのでしょう。

 

彬子女王、瑤子女王は宮号はありませんから、三笠宮家の百合子様に万が一のことがあれば

三笠宮家はなくなり寛仁親王殿下の長女、次女としての女王の称号のみが残ります。

 

皇族数の確保が必要だと政府は言いますが、であれば女性宮家の話は

もっと前に結論が出されてなければなりませんでした。

今になって、旧皇族の復帰などと目度もないことを掲げることに大きな疑問を感じますよ。

 

今日はここまで

 

      今日も読んで頂きありがとうございます。パー