今冬初の屋根の上からこんにちは。

雪が降ったと遊んでいる間にさらに積もりまして、屋根の雪おろしをせねばならなくなりました。
遠く霞むは、吹雪かもやか。

降り始めの雪はべたべたっとして重たく家の中のふすまが開かなくなってしまったのです。
腰よりちょこっと多いくらいの積雪でした。

集落のほかのおうちでも、屋根に登っていました。
雪が降れば山に行きたい(降らなくても?)わけですが、降り過ぎれば雪の片づけをしないといけないので山に行かれません。里にはほどほどに、山にはまあまあに降ったらよいなあと思うものの、そういうわけにもいかないようです。

母屋を済まして、あとは車庫と小屋とあります。農機具やあれこれを納めておくのに小屋が要るわけです。
小屋があったらあったで潰れないようにしないといけないので手間がかかります。
だんだんとめんどくさくなりますが、体力づくりと思えばまあ、まあ、ね。
冬は上半身が丈夫になりますね。

時折青空などが見えていました。

振り返れば山の神様が見ていらっしゃる。

山の神様はぼくの住む町には47ほどあり、稲荷さまに次いで二番目に多いのだそうです。(稲荷様は103ほど)。
山の神様は、集落によってちょっと扱いというか、捉えられ方にバリエーションがあるようなのです。
12月12日は山の神様のお年越で、とある集落では、その日は山に入っていけない日とされているそうです。というのも、その日には山の神様が山を巡って見回りをし、木を数えるのだそうで、その先に、うっかり見つかると木に変えられてしまうのだとか。怖ろしいですね。(うちの集落では、まめごはんを供える、というのがかつてあったそうです)
そんなわけで、その集落ではその日は山に入らず、昼からお酒を飲んだりするのだとか。
そういった言い伝えは、うちの集落には無く、すぐ近くなのにこの違いが不思議なことです。
きこりにとっての山の神、狩猟採集する人にとっての山の神、農業にとっての山の神、山岳信仰としての山の神、とおなじようでちょっとずつ違うのか知らん?と考えていました。おそらくは、これらのそれぞれが入り混じってもちゃもちゃなのですね。
その木に変えられるというのと似たようなものに、ひいじいさまから子どものころに聞かされた「さけのおおすけ」のはなしがありました。
今の時期の時雨れ吹雪くような夜に、最上川を遡って「さけのおおすけ」がやってきて、そういう夜に出かけていると「さけのおおすけ」の叩く太鼓や声が聞こえてきて、それを聞くと死んでしまうということなのです。子ども心に「さけのおおすけ」はほんとうに怖ろしいものだと思ったものです。
今になって思えば、「さけのおおすけ」の太鼓や声は、雪を降らす雲のカミナリ(雪おろしとも呼ばれます)のことではないか、そういう日にわざわざ出かけなさんなという戒めでないかと思っているのでした。いや、あるいは、かつてサケは特別な魚(けもののうちのクマみたいな)ものであり、採り過ぎを抑えるためそんなことを言ったのかもわかりません。
同じような時期に、出かけてはいけない、という言い伝えが、山と川にまつわってそれぞれあるものだなあと思うのでした。
雪おろしの作業は単調なものでございまして、屋根から雪を落としたら次はその落とした雪を片付けないといけない、それをこんなふうにいろいろ思い出しながらやっておりました。

雪が降ったと遊んでいる間にさらに積もりまして、屋根の雪おろしをせねばならなくなりました。
遠く霞むは、吹雪かもやか。

降り始めの雪はべたべたっとして重たく家の中のふすまが開かなくなってしまったのです。
腰よりちょこっと多いくらいの積雪でした。

集落のほかのおうちでも、屋根に登っていました。
雪が降れば山に行きたい(降らなくても?)わけですが、降り過ぎれば雪の片づけをしないといけないので山に行かれません。里にはほどほどに、山にはまあまあに降ったらよいなあと思うものの、そういうわけにもいかないようです。

母屋を済まして、あとは車庫と小屋とあります。農機具やあれこれを納めておくのに小屋が要るわけです。
小屋があったらあったで潰れないようにしないといけないので手間がかかります。
だんだんとめんどくさくなりますが、体力づくりと思えばまあ、まあ、ね。
冬は上半身が丈夫になりますね。

時折青空などが見えていました。

振り返れば山の神様が見ていらっしゃる。

山の神様はぼくの住む町には47ほどあり、稲荷さまに次いで二番目に多いのだそうです。(稲荷様は103ほど)。
山の神様は、集落によってちょっと扱いというか、捉えられ方にバリエーションがあるようなのです。
12月12日は山の神様のお年越で、とある集落では、その日は山に入っていけない日とされているそうです。というのも、その日には山の神様が山を巡って見回りをし、木を数えるのだそうで、その先に、うっかり見つかると木に変えられてしまうのだとか。怖ろしいですね。(うちの集落では、まめごはんを供える、というのがかつてあったそうです)
そんなわけで、その集落ではその日は山に入らず、昼からお酒を飲んだりするのだとか。
そういった言い伝えは、うちの集落には無く、すぐ近くなのにこの違いが不思議なことです。
きこりにとっての山の神、狩猟採集する人にとっての山の神、農業にとっての山の神、山岳信仰としての山の神、とおなじようでちょっとずつ違うのか知らん?と考えていました。おそらくは、これらのそれぞれが入り混じってもちゃもちゃなのですね。
その木に変えられるというのと似たようなものに、ひいじいさまから子どものころに聞かされた「さけのおおすけ」のはなしがありました。
今の時期の時雨れ吹雪くような夜に、最上川を遡って「さけのおおすけ」がやってきて、そういう夜に出かけていると「さけのおおすけ」の叩く太鼓や声が聞こえてきて、それを聞くと死んでしまうということなのです。子ども心に「さけのおおすけ」はほんとうに怖ろしいものだと思ったものです。
今になって思えば、「さけのおおすけ」の太鼓や声は、雪を降らす雲のカミナリ(雪おろしとも呼ばれます)のことではないか、そういう日にわざわざ出かけなさんなという戒めでないかと思っているのでした。いや、あるいは、かつてサケは特別な魚(けもののうちのクマみたいな)ものであり、採り過ぎを抑えるためそんなことを言ったのかもわかりません。
同じような時期に、出かけてはいけない、という言い伝えが、山と川にまつわってそれぞれあるものだなあと思うのでした。
雪おろしの作業は単調なものでございまして、屋根から雪を落としたら次はその落とした雪を片付けないといけない、それをこんなふうにいろいろ思い出しながらやっておりました。

























