1月10日のことです。
近くの集落のおさいとうのお手伝いに行っておりました。
子どもたちも集まっていて、吹雪いていても元気なものですね。雪の子たちですね。
おさいとう準備

夏の間にちょうどよい長さに切っておいた木材を積みました。
おさいとうはこれに点火して豊作の祝いとするのです。
本来は、木一本を立て、周りにたくさんのわら束を積んで燃すものですが、今は調達できた木材などを燃すのが多くなったようです。
おさいとう着火前

時間帯もそうですね。ほんとうは夜にするものですが、高齢の方が多くなっていて、夜の冷え込んでからでは足元が凍るなどすると転倒するので、ここでは昼に催しておりました。
おさいとう着火後

すぐ近くの山神社(ここのものはさんじんじゃと読むそうです)にいろいろな奉納を。
奉納

だんごを焼いたもの。
これも本来はミズキの枝に刺してあぶるのですが、現代風?にアレンジしてアルミフォイルを用いておりました。
だんご

ついでに焼きいも。
焼きいも

穴の中から。
穴の中から

この穴は、ここの集落でたくましく育つふたごの男の子たちが掘ったものでした。
実は、前年のおさいとうで、イグルーと雪洞の作り方をレクチャしたのを覚えていて、自分たちで掘ったようなことでした。すっぽりと二人とも入れるくらいの大きさになっていて、これなら雪の山で日が暮れても生き延びられることでありましょう。
ふたごちゃん

もこもこと出てきました。
穴から出てきた

翌日は、消防団の活動で消防車の入っている車庫の雪かきでした。
作業開始直後の様子。
ポンプ庫雪かき

いろいろなスコップが並んでおりますね。
いろいろなスコップ

ここの車庫のほか、各集落の状況や消火栓の確認をして半日が過ぎました。
雪かき完了

雪国の田舎の暮らしというのは、おうちの中にじっとして時間などいくらでもありそうなのんびりしたイメージをもたれるかもわかりませんが、実のところは、体をいくつか欲しいくらいにすることがいろいろとあるものなのでありました。
今年の冬もこんなふうに過ぎていったのです。
皆様、たいへんご無沙汰しております。

私事ですが、ロッキーチャックの中の人(当ブログを書いている人物)が、長年の相棒というか友人と言うか、と4月のはじめに入籍などしましたためにばたばたとしておったのでありました。
さておき、新しい生活も落ち着きつつあり、新しい季節もはじまりましたからブログのほうもまた書き連ねてまいりたいと思います。

年末年始の旅から、いつもの日常へ戻り、お正月の2日、3日はずっと屋根の上と屋根の下におりました。(それはそうですね、いつだって屋根の上か屋根の下いずれかにおりますね)
旅に出ている間に集落はまた一段と真っ白に埋まりました。
2日の雪の様子

屋根のつらら。
おうちがつぶれてしまっては困るので雪をおろすのです。
屋根のつらら

ぼくが自宅の屋根にて作業中。父は集落の集会場の雪おろしです。
集落のとうちゃん方が集まって作業しておりますね。
集落の集会場雪おろし

午前中に母屋を終えて次は車庫。
母屋を終えて次は車庫

翌日は、農作業の機械の入った小屋を。
翌日は小屋

小屋は二階建てになっており、上に登るとなかなかの高さなのです。
下から見上げているのは母でございます。
小屋の上から

天候はころころと変わっていた記憶があります。
なにせ4月も前のことですからよく覚えておりません。(やはりすぐに書かないといけませんね)
吹雪くと前が見えないほどであったように思います。
吹雪

作業後に、これから降りるところ。
上り下りの瞬間は、なんどやっても怖さがあります。
階段の上から

自宅の周りの作業を終えると、消防の設備の点検に。
消火栓、ヨシ。
消火栓

消防の小屋、ヨシ。
・・・。
いや、これはよくないな。
消防の小屋

これでヨシ。
消防の小屋作業後

消防の小屋の雪おろしを終えておうちへ戻る途中。
近くのおうちのおばあちゃんもがんばって雪かきしておりました。
おばあちゃんもがんばる

雪の壁はおばあちゃんの背丈をとうに越えておりますが、元気なものですね。
毎日ちょっとずつやっておればそのうちに春が来る、というものです。

明日よりまた、季節を追いかけて書き連ねてまいりたいと思います。
お久しぶりでございます。
このところ、公私共にあわただしく過ごしており、家のパソコンにも向かわないような日が続いておりました。
山に行くのが好きなものですから、このブログを見ていただいている方からは、「ロッキーチャックはどこかの山で雪に埋もれてしまっているのでないか」と思われる方もあったかもわかりませんですね。

さて、旅ははじまったらどこかに着かなければなりません。
終わりの無い旅もロマンティックではありますが、帰られるおうちのあることは幸せなことでございます。
特急いなほは、余目駅へ到着しました。
余目駅

余目駅では乗り換えに数時間の待ちがあったのですが、元旦のこの日は駅前のお店は軒並みお休みしておりました。まだ初詣をしていないことに気が付いて、せっかくだからと神社を探してみました。
神社

境内にはちいさな「元」雪だるま、のようなのがありました。年末の学校がお休みの日などに、近所の子どもたちがこしらえたのかもわかりませんね。
雪だるま

誰もいない神社へ詣で、余目の駅の待合室のストーブで手を温めながら過ごしていると新庄行きの列車がやってきました。
列車 新庄行き

新庄へは、陸羽西線で向かいます。
車窓からは遠くに風車が見えました。
ここは今は庄内町という名前になりましたが、かつては立川町といって日本で初の商業用風車の出来た風の町でありました。
月山と鳥海山にはさまれ、最上川の削った峡谷を風の抜ける立地なのです。
遠くの風車

暮れ行く車窓からは最上川がずっと近くへ見えておりました。
徐々に暮れ行く車窓から最上川

雪は徐々に深くなっていきます。
雪深く

とある駅の看板。これでは駅名が読まれません。
雪と駅の看板

新庄駅へ着く頃には、すっかり日暮れた時間帯となっておりました。
新庄駅

新庄から山形までの様子は、列車のヒーターがおしりばかり温かく、ほかは寒く、うとうとと眠気を誘うようであって、途切れ途切れの意識のうちに山形へ到着してしまいました。
北山形駅でこの旅最後の乗り換えでした。
乗り換え

そこからは、いつもの見慣れた車窓からの風景。いつもの車内。そして出発をした駅のホームへ再び降り立つことができました。
おうちへ帰る

これにて今回の旅はおしまいです。

さて、いつのまにか4周年(でしたかね?)を迎えてしまったこのブログでありますが、年明けから、やや身辺があわただしくなっており、幾度も不調法するかもしれません。
ぽつぽつと綴ってまいりたいと思っておりますので、ああ、まだ生きているようだなあ、と訪れていただくと幸いでございます。