お久しぶりでございます。
このところ、公私共にあわただしく過ごしており、家のパソコンにも向かわないような日が続いておりました。
山に行くのが好きなものですから、このブログを見ていただいている方からは、「ロッキーチャックはどこかの山で雪に埋もれてしまっているのでないか」と思われる方もあったかもわかりませんですね。
さて、旅ははじまったらどこかに着かなければなりません。
終わりの無い旅もロマンティックではありますが、帰られるおうちのあることは幸せなことでございます。
特急いなほは、余目駅へ到着しました。

余目駅では乗り換えに数時間の待ちがあったのですが、元旦のこの日は駅前のお店は軒並みお休みしておりました。まだ初詣をしていないことに気が付いて、せっかくだからと神社を探してみました。

境内にはちいさな「元」雪だるま、のようなのがありました。年末の学校がお休みの日などに、近所の子どもたちがこしらえたのかもわかりませんね。

誰もいない神社へ詣で、余目の駅の待合室のストーブで手を温めながら過ごしていると新庄行きの列車がやってきました。

新庄へは、陸羽西線で向かいます。
車窓からは遠くに風車が見えました。
ここは今は庄内町という名前になりましたが、かつては立川町といって日本で初の商業用風車の出来た風の町でありました。
月山と鳥海山にはさまれ、最上川の削った峡谷を風の抜ける立地なのです。

暮れ行く車窓からは最上川がずっと近くへ見えておりました。

雪は徐々に深くなっていきます。

とある駅の看板。これでは駅名が読まれません。

新庄駅へ着く頃には、すっかり日暮れた時間帯となっておりました。

新庄から山形までの様子は、列車のヒーターがおしりばかり温かく、ほかは寒く、うとうとと眠気を誘うようであって、途切れ途切れの意識のうちに山形へ到着してしまいました。
北山形駅でこの旅最後の乗り換えでした。

そこからは、いつもの見慣れた車窓からの風景。いつもの車内。そして出発をした駅のホームへ再び降り立つことができました。

これにて今回の旅はおしまいです。
さて、いつのまにか4周年(でしたかね?)を迎えてしまったこのブログでありますが、年明けから、やや身辺があわただしくなっており、幾度も不調法するかもしれません。
ぽつぽつと綴ってまいりたいと思っておりますので、ああ、まだ生きているようだなあ、と訪れていただくと幸いでございます。
このところ、公私共にあわただしく過ごしており、家のパソコンにも向かわないような日が続いておりました。
山に行くのが好きなものですから、このブログを見ていただいている方からは、「ロッキーチャックはどこかの山で雪に埋もれてしまっているのでないか」と思われる方もあったかもわかりませんですね。
さて、旅ははじまったらどこかに着かなければなりません。
終わりの無い旅もロマンティックではありますが、帰られるおうちのあることは幸せなことでございます。
特急いなほは、余目駅へ到着しました。

余目駅では乗り換えに数時間の待ちがあったのですが、元旦のこの日は駅前のお店は軒並みお休みしておりました。まだ初詣をしていないことに気が付いて、せっかくだからと神社を探してみました。

境内にはちいさな「元」雪だるま、のようなのがありました。年末の学校がお休みの日などに、近所の子どもたちがこしらえたのかもわかりませんね。

誰もいない神社へ詣で、余目の駅の待合室のストーブで手を温めながら過ごしていると新庄行きの列車がやってきました。

新庄へは、陸羽西線で向かいます。
車窓からは遠くに風車が見えました。
ここは今は庄内町という名前になりましたが、かつては立川町といって日本で初の商業用風車の出来た風の町でありました。
月山と鳥海山にはさまれ、最上川の削った峡谷を風の抜ける立地なのです。

暮れ行く車窓からは最上川がずっと近くへ見えておりました。

雪は徐々に深くなっていきます。

とある駅の看板。これでは駅名が読まれません。

新庄駅へ着く頃には、すっかり日暮れた時間帯となっておりました。

新庄から山形までの様子は、列車のヒーターがおしりばかり温かく、ほかは寒く、うとうとと眠気を誘うようであって、途切れ途切れの意識のうちに山形へ到着してしまいました。
北山形駅でこの旅最後の乗り換えでした。

そこからは、いつもの見慣れた車窓からの風景。いつもの車内。そして出発をした駅のホームへ再び降り立つことができました。

これにて今回の旅はおしまいです。
さて、いつのまにか4周年(でしたかね?)を迎えてしまったこのブログでありますが、年明けから、やや身辺があわただしくなっており、幾度も不調法するかもしれません。
ぽつぽつと綴ってまいりたいと思っておりますので、ああ、まだ生きているようだなあ、と訪れていただくと幸いでございます。