シンポジウムのあとに、街のなかを散歩しました。
最上川の屈曲点。
右の奥から流れて来て、左のほうへ流れていきます。
真ん中は、東のほうから岬のようにつきだしたところです。

昼の時間が短くて、もう夕方の雰囲気になっております。
駅にクルマを停めて、日本一公園と呼ばれるところ(以前に載せた最上川のぐるっとまがるのが見える公園で、一枚目の写真の背中側の山の上)に向かいました。
線路沿いのフェンスの根元にはカキドオシがありました。
垣根を通り越してランナーを伸ばすのでカキドオシなのですが、これだとフェンスドオシですね。
人の生活が変わって垣根がフェンスになっても草たちはかわらず生えておりますね。

こちらは、ヤブマメのさやかもしれません。
フェンスの様子とあいまってなんだか懐かしい淋しさのあるようなそんな光景になりました。
なんとなく都会の雰囲気が感じられますね。どういったわけでしょうか?

線路には、踏み切りのないちいさな散歩道でのぼれるようになっており、線路のすぐそばの看板には、立ち入ってはいけませんと書いてありました。
オオウバユリの実がありました。

オオウバユリの実は、タネを飛ばし終えていましたが、かぱっと口の開いたのが面白い様子でした。開いたところに開いた両方から糸のようなのが出ています。
なんとなく、こんなおばけの口がありそうです。

線路に立ち入ると危険なので看板の手前から撮りました。
なんとも不思議な形の屋根が見えますが、あれが駅のとなりの建物です。

さてさて、寄り道していると日が暮れます。
日本一公園に向かう道。
このあたりには、高校のころに授業を受けた先生のおうちがあります。

ちいさな石の祠のお稲荷さま。
背景の小屋は土壁になっていてそれもまた夕暮れ時に似合う雰囲気がございました。

もう少し進むと、やがて道が登山道のようになって、道の横の崖にはつららが下がっていました。
足元は雪になり、しまった、スニーカーで来てしまった。
でも、もうちょっと進みます。

向かっているこの公園は、かつて山城があり、そこが公園になっています。
ヤダケが生えていました。
節の間が皮でほとんど覆われているのが特徴だそうです。葉もチマキザサなどよりも細くぺろんとした雰囲気です。
ヤダケの名の通り、矢の材料にしたそうで、城址や武家屋敷のあったところなどに残るそうです。
工作にもいろいろと使いやすい太さなので、うちにも一株あったらよいなあと思いました。

日本一公園と看板がありました。
楯山公園というのが、一応ね、正式な名前になっているようなのですが、みんなが日本一公園と呼び慣らしているのです。
過去にたいへん真面目なかたがあり、「日本一と呼ぶのはさすがにおおげさなのではないか?」などということがあって、楯山公園と呼びましょうということがあったそうなのですが、それでも誰しもが日本一公園と呼ぶものだから、今も日本一公園です。看板は新しいものですが、日本一公園と書いてありますね。

「日本一公園」という名前が記録に出てくるのは、昭和のはじめのころに、ここの街のひとたちで道路の掘削作業(当時は公共事業という感じでなく、みんなが自力で作業して道を作ったようです)をした際に、作業のために山に登っていたところ、最上川のぐいらと曲がる景色がやはりすごいだろう、これは日本一の景色だろう、というので、みんなで「今日も日本一のところに行こう」と出かけたのがはじめと書かれています。
ほんとうに日本一なのかわかりませんが、「これが日本一だろう」と自分のところの景色を称する気概の大きさは作業のやるきになったことでしょう。
久しぶりにオレンジ色の西の空を見ました。
ほんのちょっとだけ朝日連峰のあたりが見えています。

日暮れ近く、寒くなってきて、スニーカーでは足元が危ういために、公園のしたのほうが見えたところで帰ることにしました。
帰りは列車が通りました。

列車の窓にも、西のオレンジ色が少し映えておりました。
最上川の屈曲点。
右の奥から流れて来て、左のほうへ流れていきます。
真ん中は、東のほうから岬のようにつきだしたところです。

昼の時間が短くて、もう夕方の雰囲気になっております。
駅にクルマを停めて、日本一公園と呼ばれるところ(以前に載せた最上川のぐるっとまがるのが見える公園で、一枚目の写真の背中側の山の上)に向かいました。
線路沿いのフェンスの根元にはカキドオシがありました。
垣根を通り越してランナーを伸ばすのでカキドオシなのですが、これだとフェンスドオシですね。
人の生活が変わって垣根がフェンスになっても草たちはかわらず生えておりますね。

こちらは、ヤブマメのさやかもしれません。
フェンスの様子とあいまってなんだか懐かしい淋しさのあるようなそんな光景になりました。
なんとなく都会の雰囲気が感じられますね。どういったわけでしょうか?

線路には、踏み切りのないちいさな散歩道でのぼれるようになっており、線路のすぐそばの看板には、立ち入ってはいけませんと書いてありました。
オオウバユリの実がありました。

オオウバユリの実は、タネを飛ばし終えていましたが、かぱっと口の開いたのが面白い様子でした。開いたところに開いた両方から糸のようなのが出ています。
なんとなく、こんなおばけの口がありそうです。

線路に立ち入ると危険なので看板の手前から撮りました。
なんとも不思議な形の屋根が見えますが、あれが駅のとなりの建物です。

さてさて、寄り道していると日が暮れます。
日本一公園に向かう道。
このあたりには、高校のころに授業を受けた先生のおうちがあります。

ちいさな石の祠のお稲荷さま。
背景の小屋は土壁になっていてそれもまた夕暮れ時に似合う雰囲気がございました。

もう少し進むと、やがて道が登山道のようになって、道の横の崖にはつららが下がっていました。
足元は雪になり、しまった、スニーカーで来てしまった。
でも、もうちょっと進みます。

向かっているこの公園は、かつて山城があり、そこが公園になっています。
ヤダケが生えていました。
節の間が皮でほとんど覆われているのが特徴だそうです。葉もチマキザサなどよりも細くぺろんとした雰囲気です。
ヤダケの名の通り、矢の材料にしたそうで、城址や武家屋敷のあったところなどに残るそうです。
工作にもいろいろと使いやすい太さなので、うちにも一株あったらよいなあと思いました。

日本一公園と看板がありました。
楯山公園というのが、一応ね、正式な名前になっているようなのですが、みんなが日本一公園と呼び慣らしているのです。
過去にたいへん真面目なかたがあり、「日本一と呼ぶのはさすがにおおげさなのではないか?」などということがあって、楯山公園と呼びましょうということがあったそうなのですが、それでも誰しもが日本一公園と呼ぶものだから、今も日本一公園です。看板は新しいものですが、日本一公園と書いてありますね。

「日本一公園」という名前が記録に出てくるのは、昭和のはじめのころに、ここの街のひとたちで道路の掘削作業(当時は公共事業という感じでなく、みんなが自力で作業して道を作ったようです)をした際に、作業のために山に登っていたところ、最上川のぐいらと曲がる景色がやはりすごいだろう、これは日本一の景色だろう、というので、みんなで「今日も日本一のところに行こう」と出かけたのがはじめと書かれています。
ほんとうに日本一なのかわかりませんが、「これが日本一だろう」と自分のところの景色を称する気概の大きさは作業のやるきになったことでしょう。
久しぶりにオレンジ色の西の空を見ました。
ほんのちょっとだけ朝日連峰のあたりが見えています。

日暮れ近く、寒くなってきて、スニーカーでは足元が危ういために、公園のしたのほうが見えたところで帰ることにしました。
帰りは列車が通りました。

列車の窓にも、西のオレンジ色が少し映えておりました。
















