彗星のよく見えた日の昼のことです。
昼に朝日連峰を眺めに行った先で、カラスがクルミを割っているところに出会いました。
クルミ割りの様子は、よく見かけるのですが、クルマで移動中にみかけるのが多くてなかなか撮れませんでした。
カラスは道路わきの雪の上にいて、くちばしの先にクルミをくわえています。

ここから朝日連峰を背景にバサバサバサっと飛び立って、

クルミをある程度の高さから落下させ、一緒に舞い降りて割っていました。
クルミの落ちる先をじっと見て降りてきていますね。

このときには上手く割れないようでした。
また定位置にクルミを持っていって、検分しております。

クルミの検分が済んだら、また舞い上がりました。

かなり垂直に近いくらいの舞い上がり方です。

ばっさばっさと力強いですね。

ある高さまでくると、クルミをくちばしからぽいっと離して、

クルミと一緒に舞い降りる。

残念ながら着地の場所が、道路わきの棒と重なってしまいました。
この回で割れたようで、道路わきに割れたクルミを持っていってつついて食べているようでした。
なんでも、クルミを割るのに適切な高さを把握していて、その高さでもってくちばしから放すようです。
クルミを割るのは、カラスのうち、ハシボソガラスと呼ばれるくちばしのしゅっと伸びている小柄な感じのカラスだそうです。田んぼで地面をつついたり、てくてく歩くのもハシボソガラスですね。
これはうちの前のスギの木に来ているカラス。
カラスは割合に警戒心が強いようで、レンズを向けると飛んでしまう場合が多いのですが、うちの近くのカラスはぼくを見慣れているためか、結構近い距離で望遠レンズを向けてもあまり逃げなくなりました。
これもくちばしなどから、ハシボソガラスだろうなと思いました。
カアカアカアと鳴くのが、ハシブトのほう、カーと長く鳴くのがハシボソのほう、かなあ、と思っています。

別な日に見つけた川原での様子。
雪に顔をつっこんで何か探しているのでしょうか?
こうやってクルミを見つけてくるのかもしれません。

翼をばさばさ

しっぽまでぶるるる。

カラスたちの動いている様子は、可愛らしく見ていて飽きることがありません。
カラスは賢い鳥なのだと言われたりします。特にハシボソガラスは、雪の上や屋根の上で遊んでいるような行動をしたり、こうやってクルミを割ってみたりといろんな面白いことをしてくれます。昔はアスファルト舗装の道路というのはありませんでしたでしょうから、ハシボソガラスがこんなふうにクルミを割るのを覚えたのは割合に最近のことなのではないかと思っていました。
先日に面白く読んだ本に、「カラスの教科書」(松原始 雷鳥社)というのがありました。
そのなかに書いてあることでは、クルミを割って食べるというのは、カロリーを採るという点では、クルマにはねられたりする危険性も加味するとどうやらあまり効率がよろしくないようだとありました。
また、カラスの行動は「賢い」と言えるものなのか、ヒトから見て「賢く見える」のか、どっちなんだろうということも書かれてありました。
たしかにそうですね。そんな気がしてきました。
数日前に、雪の上をたくさんのセッケイカワゲラの仲間や、トビムシがうろうろしているのを見かけました。
果たして彼らはどこから来て、雪の上でなにをして、どこに行きたいのか、いくら眺めていてもさっぱり見当がつきません。
そのカワゲラもトビムシも、現に幾世代もそうやって生きていて繁栄しているのだから、「賢い」というのを、生きていく知恵がある、というように捉えるのだと、ぼくから見て、なにをしたいのかわからなくても間違いなく「賢い」のでしょう。
カラスの場合には、ヒトから見た際に、なにをしたいのかぼくらにも推測できるような行動をしている、というのが賢く見えるポイントなのだろうと思いました。クルミを割っているのも、賢く見えて、実は効率そのものはあまりよくないのではないのだ、というのもその一例なのですね。(ぼくがカラスだったら、きっとクルミを割るのに夢中になると思う。楽しそうだもの)
そこでヒトを振り返ってみると、たとえばぼくの好きな山に登るという行動などは実に無駄なような気がしてきました。山に登って帰っても、おなかがふくれるわけでなし(逆におなかがへります)、家から出発して、また家に帰るのならば、でかけなければ良かったじゃないか・・・という始末です。
そうかそうか、ならば、そのなにをしたいのかわからないけれど確実に代を重ねている不思議なトビムシの行動の秘訣を探りに行かねばなりますまい。
というわけで、またそそくさと山へでかけるのでしょうね。
昼に朝日連峰を眺めに行った先で、カラスがクルミを割っているところに出会いました。
クルミ割りの様子は、よく見かけるのですが、クルマで移動中にみかけるのが多くてなかなか撮れませんでした。
カラスは道路わきの雪の上にいて、くちばしの先にクルミをくわえています。

ここから朝日連峰を背景にバサバサバサっと飛び立って、

クルミをある程度の高さから落下させ、一緒に舞い降りて割っていました。
クルミの落ちる先をじっと見て降りてきていますね。

このときには上手く割れないようでした。
また定位置にクルミを持っていって、検分しております。

クルミの検分が済んだら、また舞い上がりました。

かなり垂直に近いくらいの舞い上がり方です。

ばっさばっさと力強いですね。

ある高さまでくると、クルミをくちばしからぽいっと離して、

クルミと一緒に舞い降りる。

残念ながら着地の場所が、道路わきの棒と重なってしまいました。
この回で割れたようで、道路わきに割れたクルミを持っていってつついて食べているようでした。
なんでも、クルミを割るのに適切な高さを把握していて、その高さでもってくちばしから放すようです。
クルミを割るのは、カラスのうち、ハシボソガラスと呼ばれるくちばしのしゅっと伸びている小柄な感じのカラスだそうです。田んぼで地面をつついたり、てくてく歩くのもハシボソガラスですね。
これはうちの前のスギの木に来ているカラス。
カラスは割合に警戒心が強いようで、レンズを向けると飛んでしまう場合が多いのですが、うちの近くのカラスはぼくを見慣れているためか、結構近い距離で望遠レンズを向けてもあまり逃げなくなりました。
これもくちばしなどから、ハシボソガラスだろうなと思いました。
カアカアカアと鳴くのが、ハシブトのほう、カーと長く鳴くのがハシボソのほう、かなあ、と思っています。

別な日に見つけた川原での様子。
雪に顔をつっこんで何か探しているのでしょうか?
こうやってクルミを見つけてくるのかもしれません。

翼をばさばさ

しっぽまでぶるるる。

カラスたちの動いている様子は、可愛らしく見ていて飽きることがありません。
カラスは賢い鳥なのだと言われたりします。特にハシボソガラスは、雪の上や屋根の上で遊んでいるような行動をしたり、こうやってクルミを割ってみたりといろんな面白いことをしてくれます。昔はアスファルト舗装の道路というのはありませんでしたでしょうから、ハシボソガラスがこんなふうにクルミを割るのを覚えたのは割合に最近のことなのではないかと思っていました。
先日に面白く読んだ本に、「カラスの教科書」(松原始 雷鳥社)というのがありました。
そのなかに書いてあることでは、クルミを割って食べるというのは、カロリーを採るという点では、クルマにはねられたりする危険性も加味するとどうやらあまり効率がよろしくないようだとありました。
また、カラスの行動は「賢い」と言えるものなのか、ヒトから見て「賢く見える」のか、どっちなんだろうということも書かれてありました。
たしかにそうですね。そんな気がしてきました。
数日前に、雪の上をたくさんのセッケイカワゲラの仲間や、トビムシがうろうろしているのを見かけました。
果たして彼らはどこから来て、雪の上でなにをして、どこに行きたいのか、いくら眺めていてもさっぱり見当がつきません。
そのカワゲラもトビムシも、現に幾世代もそうやって生きていて繁栄しているのだから、「賢い」というのを、生きていく知恵がある、というように捉えるのだと、ぼくから見て、なにをしたいのかわからなくても間違いなく「賢い」のでしょう。
カラスの場合には、ヒトから見た際に、なにをしたいのかぼくらにも推測できるような行動をしている、というのが賢く見えるポイントなのだろうと思いました。クルミを割っているのも、賢く見えて、実は効率そのものはあまりよくないのではないのだ、というのもその一例なのですね。(ぼくがカラスだったら、きっとクルミを割るのに夢中になると思う。楽しそうだもの)
そこでヒトを振り返ってみると、たとえばぼくの好きな山に登るという行動などは実に無駄なような気がしてきました。山に登って帰っても、おなかがふくれるわけでなし(逆におなかがへります)、家から出発して、また家に帰るのならば、でかけなければ良かったじゃないか・・・という始末です。
そうかそうか、ならば、そのなにをしたいのかわからないけれど確実に代を重ねている不思議なトビムシの行動の秘訣を探りに行かねばなりますまい。
というわけで、またそそくさと山へでかけるのでしょうね。




























