台風が去って後、晴れている夜が多くなりました。

夕闇迫る工場前の通り。
山の草とか花とか虫とか-夕暮れの工場前の通り

もう実が落ちているのはキンエノコロでしょうか。
穂には毛だけが残っていました。
山の草とか花とか虫とか-夕暮れのキンエノコロ

夕暮れの美しい日も幾日もありました。
残照、オレンジ色の雲がの西の空に浮かび、大朝日岳にかかっておりました。
山の草とか花とか虫とか-オレンジ色の雲

その上空は夜の紺色に帰ろうとしております。
山の草とか花とか虫とか-オレンジ色の雲かかる朝日連峰

中秋の名月の前夜のことです。
大朝日岳に星の軌跡がかかった写真の撮影に再び挑戦しましたが、名月の前の夜は月が明る過ぎて水蒸気が照らされているためか、透明度がよくありません。
もっと大朝日岳へ近い地点へ行かないと思うように撮れないのでしょうか。
山の草とか花とか虫とか-星降る大朝日岳

中秋の名月の夜は、星の教室としてお月見をしておりました。
お月見はおだんごを作ってみんなでおそなえして食べるのがここ数年(5年くらい?)の内容です。
山の草とか花とか虫とか-だんご

おそなえもしました。
会場は、山の奥の集落から移築した民家を民俗資料館として使っている建物をお借りしました。
広い縁側がありました。
南東の月の方向には消防の火の見やぐらがあってお月様はその中でしたが。
それもまあ風情のうちとしましょう。
ススキは星好きな本屋さんが採ってきてくれました。
山の草とか花とか虫とか-おだんごおそなえ

おそなえした後に、みんなでだんごを食べました。おいしゅうございました。
おだんごとあわせて、昔話の得意な方からうさぎと月のおはなしともうひとつ(内容を忘れてしまった)をお聞きしたり、記念写真を撮ったりしました。

その後、みんなでわいわいと望遠鏡で月を眺めました。
今回は、携帯電話やスマートフォンでも月が撮れるようにセッティングしておいたので、ご自分で撮ってみましょう、というのをやりました。
山の草とか花とか虫とか-星の教室

そんなこんなしているうちに、近くを通りかかった方なども、なにをしてるんだろう?と集まってきて参加者と同じように撮影したりしはじめてにぎやかになりました。ちょっと行列になったり。(駐車場の一角を借りてやっております)
ちいさなカメラでも驚くほどに綺麗に月が撮れるんですね。
山の草とか花とか虫とか-月を撮る

ぼくの携帯電話で撮った月。
最新のスマートフォンならもっと綺麗に撮れるのかもしれませんね。
山の草とか花とか虫とか-月 携帯電話

この日は、屈折望遠鏡の口径が13cmの望遠鏡も出ておりました。(本屋さんが持ってきてくれました)
デジタル一眼を持ってきた方があり、せっかくなので、と直焦点撮影(カメラと望遠鏡を直接接続して撮影)もしました。屈折望遠鏡の13cmで直焦点撮影するのは、なかなか機会があるものでありません。この方、たいへんな幸運でしたね。
山の草とか花とか虫とか-月の撮影

ぼくも7.7cmの自分の望遠鏡で撮影してみました。
ここに載せるサイズだと、露出の設定での全体の明るさはともかく、上の携帯電話で撮った写真とあまり変わらないような感じもします。
拡大したり、ふちの辺りなどを見るとやはり望遠鏡で撮ったほうがずっと鮮明なんですが。
山の草とか花とか虫とか-満月

と、こんなふうに今年の中秋の名月もわいわい楽しく過ごさせてもらいました。
おだんごを食べたり、月を撮ったりするのはひとりでやってもそれほど楽しいというわけではありませんが、みんなでやるとやっぱり違うものですね。
撮った写真をさっそくインターネットに載せているかたもあったようです。
これは秋祭りの前の日の午後、杭を立てていた日に撮っていた花です。

今までもあったのかどうなのかあまり記憶にありませんが、ヤクシソウが咲いていました。
ニガナそっくりの花、茎を深く抱く葉。特徴的ですね。ずいぶん背の大きくなる草のようで1m以上の高さがあったかと思います。
山の草とか花とか虫とか-ヤクシソウ

こちらの花壇に咲いているような色合いの花もこれまで見た記憶がありません。
コシオガマです。
淡いピンク色に繊細な造形の葉。
山の草とか花とか虫とか-コシオガマ前から

茎がすっと立って、葉と花がおなじところから出ていました。
山の草とか花とか虫とか-コシオガマ

下の方の葉は、紫色になりつつありました。
山の草とか花とか虫とか-コシオガマ葉

お祭りの翌日は台風がやってきて山形県付近も通過し、雨と風の一日になりました。
時折強く降りました。これでは田んぼの仕事ができません。
山の草とか花とか虫とか-台風の雨

仕方が無いのと、時間が出来たのでちょっと遠くの街へお買い物に出かけました。
川はまた水かさが多くなり、濁りも強くなっています。
この時間帯ではもう雨は弱まっていましたので、川の水はこれ以上多くはならないだろうなと思いましたが、しかし今年は濁りがとれません。魚たち、どのように過ごしているものでしょう。
山の草とか花とか虫とか-川

お買い物に行って、帰り道。
台風は通過していったようです。
奥羽山脈にかかる雲。
その上は、青空が見えてきていました。
山の草とか花とか虫とか-台風のあとの奥羽山脈

台風の直後は、空の色がいつもと違ったりすることがありますね。
なんというか、彩度の高い鮮やかな青色です。
山の草とか花とか虫とか-青い空

買い物の先は、カメラ屋さんでした。
中古でちょうど欲しいレンズがおいてありました。
山の草とか花とか虫とか-EFS18-55mm

これはEFS18-55mmというキヤノンのレンズです。
初めてデジタル一眼レフカメラを買う場合、レンズと本体のセットで買う方が多いのかなと思うのですが、このレンズはそのセットによくあわせてあるレンズです。
あまり望遠にならないし、明るく撮れる(F3.5-5.6)わけでないのであまり使わずに手放してしまう方が多く、中古でも程度のよいものが出回っています。
このレンズの特徴は、とにかく軽いのと特徴はないけれどクセもない、というようなところです。
レンズはいくつか持っているのですが、キヤノンのカメラのほうは18-135mmというのを最初に買っていたので、こちらは持っていませんでした。

カメラのレンズには、18-300mm(数字は焦点距離のことです。大きい数字ほど望遠で撮れます。)というような高倍率ズームのレンズもありますが、そういったものはたいてい画質があまりよろしくなく、重く長くなってしまいます。画質のよいのは単焦点(ズームできない)のものなんですが、それだとレンズを交換しないと広い範囲を撮ったり、望遠にしたりはできません。

山で写真を撮るのに、キヤノンのカメラも使いたいけれど、レンズも重いしどうしたものかと思っていたところに、このレンズが思いのほか手ごろなものだから買うに至ったのですね。

どんな道具もそうですが、性能が立派でも重かったり面倒だとあまり持ち歩かなくもなってしままうものですね。レンズが良かろうがなんだろうがそもそもカメラを持っていかないと、一枚も撮られない、という・・・。

ここから数日間、実際に使ってみていましたが、ううむ、画質そのものはちょっと不足というか撮れ具合は単焦点レンズや大口径レンズに比べれば淋しい感じがしてしまうのは否めません。
でも、とにかく軽いので、ああ、山に持って行きたいなという感じがたしかにしております。
田んぼの近くのメナモミです。
オナモミはとげとげで服にくっつきますが、こちらはぺとぺとして服にくっつきます。
山の草とか花とか虫とか-メナモミ

近くにはエゴマの赤紫蘇っぽいものもありました。
シソなのかエゴマなのかもうわからないのですが、うちの畑に今年植えられたシソ(いえ、エゴマ)は、道ばたに生えているこれらのうち、より青紫蘇っぽいものをじいさまが選んで、畑の耕したところに植え、こやしをやると食卓に上がるシソになる、と。
野草なのか野菜なのか、その境界をあいまいにしているものであります。
うちではこれを、シソと思って子どものころから食していましたが・・・。
山の草とか花とか虫とか-エゴマの赤じそっぽいもの

スギの枝の先には、来春の雄花がもうスタンバイしておりました。
山の草とか花とか虫とか-スギの雄花

こちらはスギの実です。
マツの実はまつぼっくりですが、スギの場合にはすぎぼっくりになるのでしょうか。
山の草とか花とか虫とか-スギの実

田んぼの上をパトロールするオニヤンマ・・・、ではなくこちらはルリボシヤンマでありました。
オニヤンマに見間違うくらいに大きなヤンマで、でも、飛び方がオニヤンマと違っています。
オニヤンマは決まったルートをくるくる巡回しますが、こちらは田んぼの一角でぴたっと停止して、時折、縄張りに入ってくるほかのオスを追いかけたりしています。
山の草とか花とか虫とか-ルリボシヤンマ
いえ、写真ばかり撮っているのでなく、作業も着々と(ほんとですかね?)進んでおるのです。

金曜の夜には、お月見の日(昨日の19日の夜ですね)の星の教室の打ち合わせをしたりしていました。そちらのおはなしは後ほど。
星好きの本屋さんは、先月のスピカ食(おとめ座のスピカが月の向こう側に隠れる現象)を観測されて、打ち合わせの間に見せてくれました。パソコンのソフトで高度を計測して、グラフにしてくれたりするのです。
いえ、打ち合わせも着々と(ほんとですかね?)進んでおりました。
山の草とか花とか虫とか-観測記録

わが家の田んぼ。
段々ですね。
元々沢のある地形を生かして段々の田んぼにしてあるところです。
山の草とか花とか虫とか-段々の田んぼ

稲穂は黄金色に輝いております。
一段上のところの杭には、ちいさな木が2本、水平に結びつけてあります。
それに刈ったイネを束にしたものを井桁のように積んでいくのです。
山の草とか花とか虫とか-横木の付いた杭が見える

刈り取り前の田んぼの地面を見てみましょう。
田んぼのふちの日当たりの良いところには、日向を好む草たちが育って茂っております。
大きくなるヒエなどは手作業で刈ったりするのですが、小さな草などはなんにも支障がない(余分の肥料を吸ってくれ、虫の種類が増えます)のでそのままです。
山の草とか花とか虫とか-田んぼの草

地面がひび割れておりますね。
稲刈りの際に作業しやすいようにと、倒伏しないように干してあります。
草は、田んぼの一枚一枚が状況が違っています。
今年は春先に水不足になったことがあり、その先に水を深めにできなかったところでは早くから草が生えました。逆に水を深くしてあったところでは、草の芽生えが遅く(おたまじゃくしが相当食べてくれたと思っておりますが)あまり生えていませんでした。
山の草とか花とか虫とか-田んぼの草2

今年は、ちょっと倒伏してしまったところもありました。
こやしは、入れれば入れるほど良いのでなく、量が多すぎると食味は悪くなり、草丈が大きくなってこんなふうに倒れてしまいます。こやしはなるべく使わずに最低限ぎりぎりで使うことと、じいさまの教えです。(あまりに少ないと、穂ももみも少なくなるのでこれもいけません)
倒れてしまったところは、時間が経過すると腐ってしまったり、機械では刈れないので、手作業で鎌で刈ることになってしまいます。
山の草とか花とか虫とか-倒伏してしまったところ

さて、こないだの日曜には、秋祭りがありました。
台風の来る前日のことでした。
秋祭りは、このところは雨の降らない年が続いていたんだそうですが、10年以上ぶりに雨になってしまったとのことでした。
山の草とか花とか虫とか-秋祭り、雨

この日は、午後からお仕事だったので午前中のみ秋祭りのほうへ参加しておりました。
今年はぼくはご祝儀集めのクルマ(会計さんが乗っているのです。あと、みなさんの飲み物も)の運転手で、お祭りの列の最後尾を追いかけておりました。
山の草とか花とか虫とか-進む囃屋台

御神輿も出ておりました。
ぼくが見かけたので3つの御神輿でした。
もうちょっと離れた集落でも御神輿が出ていたそうなので、全部で4つでしょうか。
山の草とか花とか虫とか-御神輿1

こちらは別な御神輿。わっしょいわっしょい。ですね。
山の草とか花とか虫とか-御神輿2

この日の秋祭りは、この囃屋台が二台、御神輿が4つ(多分)、シシ踊り(獅子舞でなく、ちょっと違ったものです)が2つ、相撲甚句というのがひとつ、あとはダンスのチームがひとつ。出ていました。このほかに、山のほうの集落のお祭りもあったようです。
ここの1万人に満たないちいさな町なのですが、なかなかの数の屋台や御神輿があるものですね。どのくらいの数があるのが普通なのかわかりませんがかなりの参加率でないと成り立たないのでないかと思っておりました。

今年は雨のなかをしょんぼりと帰るように見えてしまいますけれども。
山の草とか花とか虫とか-雨の囃屋台

秋祭りがこないだの日曜であったのは、八幡神社のご縁日であったからだそうです。
ぼくは子どものころからのこの時期には、もちろん稲刈りのシーズンなので、このお祭りに顔を出すようになったのはここ数年のことです。(それ以前は見に来たこともありませんでした。だって稲刈りしているのですもの)

いろんな地域に古くからのお祭りや行事が残っておりますね。
最近は、農村の活性化のイベント、というので新たに仕組まれるものも多くなっているように思います。

このところ、かつてからあったお祭りと新たに仕組まれるイベントの違いについて考えておりました。

古ければよいというものではありませんが、かつてから催されて、今に残るお祭りや行事を見ていると、季節の進み具合や農作業、あるいは生業の様子にあわせてされているという感じがしています。
冬には冬の間の行事(雪国では雪の時期にはお祭りでもしないと顔を合わせることが少ないからではないか、と。)、春には田植え踊りや虚空蔵様(「高い山」という名前で呼ばれております)、8月の末にあったのは台風シーズン前の風祭、またこの秋祭りなどは、収穫祭にあたる時期でしょうか。詳しく書き連ねるともっとありますが長くなるのでやめておきましょう。

で、「農村の活性化のイベント」のほうです。
「ノウソンガカッセイカ」したのはどういった状態なんだろうか、としっくりこなくているのです。
インターネットで「農村活性化」と検索してみると、「地域イベント」「地域住民のコミュニケーションを高める」「グリーンツーリズムによる都市と農村の交流」「6次産業化」とキーワードはとにかくたくさん出てきます。

うちの近くに住まいしている人が、都会に行くと、たくさんの人が歩いているのを見て、「どこでお祭りしているのかな?」と思ったら、いつもの様子であったということを幾度も聞きます。
ぼく自身も東京などに行くと、ほんとにお祭りみたいだと思います。

「ハレとケ」ということについて、数年前に書いたことがありました。

ハレは「ハレの舞台」のハレ。めでたいこと、お祭り、非日常の状態であること。
ケは普通の状態、日常。

このハレとケというのはぼくが学生自体に授業を受けた中で聞いたこと(当時の流行だったのだと思います)ですが、あわせて、都市というのは、「ハレ」の常態化したもの、ではないか、というようなこともあわせて聞いた記憶があります。普段は農村で暮らしている人が都会に行って、お祭りかな?と思うのはまさにこの実例のようなものですね。

「農村の活性化」を考えるなら、こういったことをふまえて、を自分なりに整理してみなければならないだろうと思っております。
どの様な状態になったら「活性化」しているということなのか。
これから「活性化」するということは、現状は不活性なのか。
そもそもなぜ「活性化」しないといけないのか。

「農村の活性化」というフレーズの強迫観念のような勢いの蔓延の背景にあるのはなにかと考えてみると、現代の農業政策をこしらえているのが都市部からの目線であるということが一つとしてあるのではないかと思っているのです。経済が活発なのは良いことだ、という理念が先にあるのでないか、と。

指数化できる金銭の動きの「経済」を捉えれば、都市部のほうがもちろん経済は活発に動いているわけです。
では、なぜ都市部の経済が活発なのかといえば、「経済(金銭の動き)」が、そもそも海の幸、山の幸を行き来させ、全体に分配するのが目的で、都市はその流通往来の故に出来上がるものだからです。自分で作ったり採ったりしたもので自給自足しておれば、金銭の動きなどは生じません。物産を流通往来させ分配するために、経済が要るのですね。物事の順序を問い直してみる必要があるかもしれません。
経済が先にあるのではない、海や山の幸が先にあるのです。

活性化が悪いと言いたいのでないし、都市がよくないのでもないし、なにかを批判したいわけでもありません。
稲穂の垂れるころに、秋のお祭りがあり、そのタイミングが重なることに、両方に関わったぼくとしては身体の実感として、たしかにこれはめでたい、お祭りしなくちゃ、という感覚があるのです。
自らへの問いかけの次数を上げ下げしながら、地面に足のついたように、「ああ、たしかにそうだ」という実感を伴うところに着地しないといけない、そのように思う秋の夜長でありました。