尊敬する方も大好きな方もいっぱいいるけど…
一番大好きだった麻雀プロ。
小島武夫プロ。
最高位戦とプロ連盟。
20数年前、当時どちらを受験しようか悩んでいた自分が、小島先生の背中を追いかけようって思った事を思い出しました。
初めてトッププロにお会いしたのも小島先生。
初めて同卓したトッププロも小島先生。
プロテスト受験中に、地元浜松に小島先生がゲストとして来店されました。その時の麻雀大会で優勝したのが自分。小島先生と清水香織プロ、浦田和子プロと一緒に写真を撮ってもらいました。
それが自分の麻雀プロのスタートです。
初めての映像対局で同卓したのも小島先生。
映像対局での緊張よりも、小島先生との同卓にワクワクしたのを覚えています。
小島先生が同卓してくれたからこそ、普段の自分の麻雀を打つ事が出来ました。
そんな私の憧れだった小島先生が、5/28にお亡くなりになりました。
体調が悪いのは伺っていましたが、実際に訃報を聞いた時には何とも言えない哀しみに包まれました。
今日、正式に発表がありましたが、ここ数日は魂が抜けたように過ごしていたように思います。
それくらい、小島先生の存在は自分の中では大きなモノでした。
私のこのブログの題名。
『望月雅継の負けちゃう麻雀』
はね、
小島先生の、
『小島武夫の負けない麻雀』
をもじったものでした。
負けちゃう麻雀なんてやめなよ!って周りに強く反対されましたが、それでも自分には小島先生への憧れがあったんでしょうね。そして敬意があったんでしょう。
自分が“負けない”だなんて、おこがましい。
だから“負けちゃう”にしよう!
こんな安易な発想だったけど、それでも小島先生の背中を追いかけているんだって勝手な思いで、このブログを続けてきました。
十数年前、スタイルチェンジを模索している時も小島先生の存在が私の心を決めました。
結果を出しきれない自分は、麻雀プロの在り方を模索する中、何度も何度も色々考え抜きましたが、最後に出た答えは小島先生のように、『魅せて勝つ』スタイルを追求することだったんです。
数年前、何かのインタビューで、
『自分は小島武夫になりたいんだ!』
って言った事がありました。
それを聞いた森山会長が、
『望月、おまえ小島武夫になりたいんだって?(笑)』
笑顔でそう言った森山会長に続いて、小島先生が、
『おまえには無理だ!ガハハっ(笑)』
そう笑ってくれた小島先生の優しさが、今でも心に沁み渡ります。
2011年。
東日本大震災が起こったこの年に、小島先生は浜松に来てくださいました。
自粛ムードが漂う中、震災で深く沈んだ皆さんの心を明るくしてくれたのは、小島先生のその笑顔でした。
これは宇都宮。
ねんりんピックのゲストにいらっしゃった小島先生。この時は宇都宮でいっぱい麻雀をご一緒させてもらいました。
『美しく魅せて勝つ』
これはいつも私が色紙に書かせてもらう言葉。
小島先生のスタイルを少しでも継承出来ればと、思いを込めて書かせてもらっています。
時代は結果主義かもしれない。
勝たなきゃ麻雀プロの価値は見出せない時代なのかもしれない。
それでも私は、
『魅せて勝つ』
このスタイルで麻雀を、麻雀道を極めていきたいのです。
小島先生のエッセンスを、いつまでも後世に伝えていきたいのです。
こんな素敵な言葉、他にはみつからないから。
私よりも近くにいた方も多いでしょう。
お世話になった方も沢山いらっしゃると思います。みんなに愛された小島先生ですから。
私がこんな事を書くのはおこがましいと思っていますが、それでもこの気持ちを記しておきたいと思い、ブログを書きました。
6月8日、9日。
小島先生と最後のお別れをしてきます。
色々あった麻雀界ですが、小島先生の存在無くして今の麻雀業界は成し得なかったと思っています。
所属先である私達日本プロ麻雀連盟が執り行う二日間にはなりますが、こんな時こそ、麻雀業界全てが手を取り合ってお見送りする姿を、小島先生にご覧になって頂きたいなって私は思います。
笑顔が素敵な小島先生ですから、最後も笑顔でお見送り出来たらいいな。
小島先生、本当にありがとうございました!
心よりご冥福をお祈り致します。