教義論争の解説者

 

時々、佐藤さんの本を無性に読みたくなるのですが、これはつまるところテーマの選択のpolemicalさによるところが大のようです。最近読んだファシズムの正体もそうでした。ちょっと前のキリスト教神学で読みとく共産主義もそうでしたが、こちらのほうは悲しいかな、失敗作でした。

 

佐藤さんは、非常に優秀な人なので、物事の図式的(schematic)な理解と訓詁学的な解釈が非常に優れているのです。別の言葉でいうと、本を書くという営為は、佐藤さんにとっては、自分がすでに作り上げた歴史の図式的な構図を確認するのが執筆の一義的な目的なのです。そこには歴史的な事情への内面的な理解や多面的で創造的な解釈というのはありません。つまり彼はたぐいまれな「秀才」なのです。

 

そこに読者が直面するのは驚くべきほどの該博な知識です。でも知識の該博さに目くらまされては困ります。この該博な知識をきれいに整理させて、いつも思いのままに聖から俗までの様々なテーマに合わせて引出から取り出すことを可能にしているのは、この引出の作り方と役所でのトレーニングなのでしょう。この引出の作り方の技術的なコツを一般向けに開陳したのが、最近目立つ「勉強法」関係のハウツー本です。そういう意味では、佐藤さんも田辺元に劣らぬ「悪人」ですわ。

 

この箱はおそらく、キリスト教神学の箱なのでしょう。いや、キリスト教神学と共産主義の思想と構図の間の濃密な近親的な相似性に目を向けると、おそらくこの両者の図式は佐藤氏の中では密接に融合し、おそらく未分化のまま、状況に応じてそのラべリングを付け替えるだけなのかもしれません。そうでなければ、これほど多数の書物の出版の説明がつかないのです。

 

図示的な理解はたしかにpowerfulなものです。図式が適用されることにより、現実のデータは子気味よく整理され、読者はもはや忘れ去られてしまった書物や人物を再発見することができます。本書もそのメリットを受けています。田辺元なんてよく探してきたものです。京都学派というところで述べたように、これほど手垢に汚れた人物の書物、それもある意味で時局を意識した作品をよく選んだものです。それもこのテーマを使って泊りがけのセミナーまでやったというのですから。

 

中身は期待にたがわないものです。セミナーでこのパンフレットを一言一句音読したというのですから。この音読の作業に佐藤氏のところどころのコメントと参加者との質疑応答が加わることによって、この作品は75年の時を経てよみがえったいうわけです。元の作品は濃厚にドイツ思弁哲学の影響を受けた歴史哲学の作品ですが、この作品のおかげでその全体像や鍵となるキーワードそして目配りの利いた田辺の論理展開や元ネタなどを初めて理解することができました。たしかに再読に値する作品なんです。

 

ただ残念なのは佐藤氏のメッセージの相変わらずの単調さと本書でも散見される自説に合わせた強引なまでの牽強付会な論理の展開です。本書のタイトルが示しているように、「学生を戦地に送るには」がその結論というのです。そして最終章の最後で延々と繰り返される「講座派」と「労農派」の路線闘争の解説、これはいったい何なのでしょうか。これはすでに古ぼけた一種の神学の教義論争というべきものなんですが、でもここでこそ佐藤氏は生き生きとして来るんだな。いい意味でも悪い意味でも佐藤氏は「図式」の信奉者でありmanipulatorなのです。そしてその図式は神学であったり共産主義であったり、というよりどちらもその骨格と論理構成は同じようなものです。でもおそらく図式の強靭さは神学の方が上でしょう。そういう意味では、このようなパーソナリティはこれまで日本に存在したのかな。

 

さて、これまでは佐藤氏の自伝的な数多の作品は数少ない例外(蘇るロシア帝国)を除いて避けていたのですが、それらも読んだ方がいいのかもしれません。