もう相当昔から知っている作品。手に取ったことはあるが、どうも興味がそそられなかった。まー、藤村自体、「破戒」しか読んだことがないのだ。この「夜明け前」は、舞台が木曽の馬籠という峠の宿場町、時代が明治維新の直前、そして藤村の父を題材とした歴史小説ということで、どうも関心がわかず、未読のままだった。

 

ところが、年というのは不思議。山に定期的に登るようになり、先月も熊野古道小辺路70kmを歩いて、ところどころで、山の中の昔の茶屋や宿場の跡に直面してみると、こういった場所での人生とは何だったのかという思いがわいてくる。そして、先日もあるyoutubeを見ていると、国学者の平田篤胤との絡みでこの「夜明け前」という作品に言及がされていた。そうか、ほな読んでみるかということで、図書館に出かけて、いわゆる日本文学全集を探してみた。

 

いや、この作品、大作なんやな。小さい文字で二段組みやで。文庫ではないかなと探してみると、岩波版があった。借りて、帰りに、本屋に寄ると、驚くべきことに、まだ入手可能なのだ。新潮文庫や。令和五年に判を重ねており、九十九刷と書いてある。めくってみると、巻末の注がかなり充実している。岩波文庫には注がないのだ。現代文で書かれた作品とはいえ、扱われている題材は明治の前や、もはや作品に登場するディテールは現代人には、理解不能や。これやということで、この新潮文庫版を即購入。

 

さっそく読み始めてみる。有名な「木曽路はすべて山の中にある」という冒頭で始まるこの作品だが、岐阜や長野ということで、山の中のど田舎の濃密な人間関係を想像していたのだが、実は大いなる誤解。この時代の情報はすべて人力でもって伝達されている。というわけで、岐阜の山奥とはいえ、中山道街道沿いの宿場は情報の伝達の重要な結節点を果たしていたのだ。定期的な参勤交代に加えて、様々な重大事件に伴う幕府の中心人物の移動に絡んで、おびただしい数の人間や重要人物がこの馬籠という場所を通る。そして、この儀式化した大量の武士の移動を支えるものとして、本陣、問屋、庄屋というインフラの制度が完成していたというわけだ。この仕組みの中で、本陣の当主でもある、主人公の父親は名字帯刀を許されたいわゆる地方の名士なのだ。

 

武士の東西の移動に関わるために、本陣の当主のアンテナは時代の移り変わりに敏感であり、また武士の移動のlogisticsに農民を動員するため、農民との関係も深い。というわけで、時代の実相とその矛盾に直接的にかかわることになる。この第一部上巻では、主人公の父親から主人公(半蔵)にその職務が継がれる時代が対象となる。具体的には、黒船が来航する1853年から始まり、参勤交代制度が大幅に変更される文久三年(1863年)までだ。

 

第一部の上は以下のような結語で締めくくられている。

 

「御岳の裾を下ろうとして、半蔵が周囲を見廻した時は、黒船のもたらす影響はこの辺鄙な木曽谷の中にまで深刻に入り込んでいた来ていた。...今まで眠っていたものは眼をさまし、一切がその価値を転倒し始めていた。...眼前に潰えていく古くからの制度がある。....中世以来の異国の殻もまだ脱ぎ切らないうちに、今また新しい黒船と戦わなければならない。半蔵は「静の岩屋」の中に遺った先師の言葉を繰り返して、測りがたい神の心を畏れた。」

 

中世以来の異国の殻や「静の岩屋」などについては、本書を読まないとわからないだろう。さらに主人公の半蔵がなぜ平田篤胤没後の門人になるのかという部分についても、あまり深堀はされていない。様々な関係する人物たちが言及されるだけだ。