二年ほど前に出版された本。すぐ読んだのだが、その後二度再読。哲学専門家でもないこの二人の皮肉とジョーク満載の雑談ともいうべき対談を本にした作品に過ぎないのだが、どういうわけか、いまだに時々手に取る。何故だろう。おそらく何か響くところがあるのだろう。
この西洋哲学、日本人には理解不能の代物だろう。日本人にはキリスト教の思考が本質的にない。さらに語学の壁は大きい。いうまでもなく西欧哲学の古典はみな外国語で書かれている。もともと日本の文化体系に存在しないものが、無理やり翻訳されてしまうと、もともと理解不能なものがさらに分かりにくくなる、というより全く別種のものに変質してしまうことさえあり得る。つまり、西洋哲学理解のベースとなる型を理解することが日本人には本質的に不可能なのだ。
理解できないにも関わらず、だからこそ、一方で日本人は大の新しもの好き。さまざまな流行が日本にはいろいろな理由から入り込む。その流行のほとんどは西洋哲学というある種の型に起因している。その型の理解の不能をある程度前提としたうえで、それでもその一端を雑談を通してわかりやすく伝えようとしたのがこの作品だ。
その型とは、終末論の色彩を持つ単一目的論と唯物論に基づく、進歩を目的とした設計主義につきる。現実が先にではなく、個人の頭の理性から設計された像やスキームを現実に押し付ける、いわゆるProcurstean bed(プロクルーステースのベッド)の比喩だ。LGBTや SDGに飛びつくSocial Justice Warriorsがその代表例だ。確かに、この結論はJohn grayの分析ともだいぶかぶってくる。


