最近、先崎影容氏の「本居宣長」という非常に刺激的な作品を読んだのだが、議論の展開の中で、この鈴木宏子氏の「古今和歌集の創造力」に言及されていた。非常に刺激を受けた言及だったので、現物にあたってみた。

 

古今和歌集は一応文庫で持っているのだが、忘れたころに、他で引用されている和歌の意味の確認にときおり参照してみる程度だった。というわけで、たしかに様々なテーマ別に編集されている点には気付いていたが、その全体像や意味合いについては、恥ずかしながら、無知であった。

 

ところだが、本書によると、古今はただ漫然とテーマ別にまとめられたのではない。古今には全体を貫く歌集の論理があるというのだ。そのわかり易い論証が、第三章「センチメンタルな知性」だ。ここでは、恋というsentimentが平安という時代の知性という論理の中で見事に位置付けられている姿がわかり易く説明されている。107ページの恋歌の配列は、恋というsentimentの論理的な展開とその顛末が、不可避的な時間の展開という「型」の呈示の下で、浮き彫りにされるように、配列されているというのだ。120ページに整理された、616番から676番までの分類は、見事だ。そして、恋歌の世界は、最後(828番)は、恋の世界の相対化で締めくくられているというのだ。ぶつ切りで、古今の和歌に散発的に接近しているスタイルでは、決して気づくことのなかった視点だな。

 

後半は、古今の歴史的な位置づけが語られるが、先崎氏ほどの大胆な読み込みには踏み込まないが、唐風謳歌時代から六歌仙時代への移り変わり、漢詩と和歌の間の相互の緊張関係などが、丁寧に説明されている。