3月3日は小生の誕生日、



満71歳である。



1939年(昭和14年)東京都大森区の父が



作った新築の家で生まれた、



父が鉄工所を営んでいて



戦争重要で好景気だったようだ。



5年後には父と職人に連れられて疎開の



為に上野駅を両人が持ったトランクに載って



走っているのを記憶している、



昭和20年4月小学校入学、



食料不足、衣料不足、の



学童時代であった。



20年終戦から東京オリンピック(39年)まで



日本の経済発展の歴史の通り



にその時代時代を生きてきた、



幾多の事が走馬灯のように頭に浮んで来る、



苦しかったこと嬉しかったこと、



どちらが多かったのかわからない。



今健康で居られ、未だ目的に向かって



精進しているのだから良いとしよう。

家内の父は和19年12月に戦死、



家内3歳である。



南方洋上にて戦死、



の通知を今まで頭に置き



洋上で軍艦が沈没して



戦死した事だけが胸にあった。



歩けるうちになんとか



慰霊をしたいと言うので、



私が厚生労働省に問い合わせて



戦死場所が判明した。



パラオ共和国のペリリュー島であった。



当時の帝国軍隊ペリリュー基地で12000人が



昭和19年11月に全滅していたのである。



今でも当時の戦車や塹壕が



そのままになっている、



それを知った家内とその姉は



どういう気持ちであったか、



もっと早く調査すれば良かったとつくづく思った。



足の悪い家内に連れ添って



慰霊に行く手配をした。



国のために亡くなってから66年目である。









今は一般的になった付加価値物流工程、



値札付け、ハンガーかけ、外装持ち帰り、



修理品往復集配、物流施設内修理メンテ、



単純な作業からかなり複雑な技術工程へと



進んでいる。



一般消費者が使う家電、家具なども



製造過程からユニットパーツ仕上げで



故障部分ユニットを交換するのみで修理完了、



となるように設計されている商品が多い。



故障個所の特定やテストなどの技術的作業も



必要であるが、物流過程に含まれてきている。



それに対応して従業員の教育をせねばならない。



家電会社や事務機会社の担当者は先を読んで



開発準備をしている。



物流業者も追随せねばいけない。