未来を背負う人にもう少し自分を育ててもらいたい。
先輩を敬う、年配者を大事にする、後輩の面倒を見る、
先輩の意見をよく吟味してみる、
少々のことは我慢をする。
そして良い人間関係を構築する。
長い目で見ればそれが自分にかえってくる。
自己中心に世の中は回らない、
しかし出来る限り自分のまわりだけでも
よい社会にするように忍耐と努力が必要である、
自分、家族、親せき、会社、近隣、
皆と子供、子孫のために、
歳とってから後悔しないように、少し頑張ろう。
未来を背負う人にもう少し自分を育ててもらいたい。
先輩を敬う、年配者を大事にする、後輩の面倒を見る、
先輩の意見をよく吟味してみる、
少々のことは我慢をする。
そして良い人間関係を構築する。
長い目で見ればそれが自分にかえってくる。
自己中心に世の中は回らない、
しかし出来る限り自分のまわりだけでも
よい社会にするように忍耐と努力が必要である、
自分、家族、親せき、会社、近隣、
皆と子供、子孫のために、
歳とってから後悔しないように、少し頑張ろう。
昭和20年(小学校1年)に
両親の生まれた群馬県安中市に疎開して
高崎高校卒業まで12年を過ごした。
生まれ故郷と同じ感覚である。
今でも何かにつけて思い出しては
当時の景色や幼友達の顔を頭にうかべる。
すでに20年もご無沙汰している。
今行っても周りの家の人も、景色も、水浴びをした
川の様子もすっかり変わってしまったことを
話に聴いているので行くのが怖いような気がする。
高崎は年一回は行くのでそのようなことはない、
安中はたった4キロしか離れてないが育った年齢の
絡まりがあるのだろうか、
弟夫婦が住んでいるのに。
最近歳のせいか思い出の地に歴訪したい気持ちが
強くなってきた、
ぜひ実現したい。
30歳の時にNTTに勤めていた友人が突然脱サラした。
小料理屋を目指して修業を始め、
数年たって開店の案内があったときに、
良くやったと思いながら駆け付けた。
家庭料理の延長のような料理がたくさんならんでいた。
味は素晴らしかった!
やはり好きこそ物の上手なれだ。
修業時間は短かったが意気込みが違ったのでしょう。
25年を経てあっさり店を畳んでしまった、
どうしてか、一人舞台の店で体が持たない、
客の年齢が上がってきて
来店回数も減ってきたからだそうだ。
思い切りが良かったと思う。
次の仕事は学校の用務員であった、
これもこまめに動き子供の好きな彼にぴったり。
自分には子供が居ないからか、
自分の人生を転換しながら楽しむ彼に感心した。