『急ぐなら独りで行け 遠くへ行くなら連れと行け』
夏の様相がすっかり様変わりして来ました。直ぐに昔の事になってしまうのですが、私の子供時代と言えば60年以上も前の事。今の福岡市の中央区白金が生まれ育った場所という事は前にもお話ししましたね。我が家の周辺にはまだビルらしきものは無し。九電のビル(電気ビル)が近くで1番の高い建物でした。路面電車が走っていました。その様な時代の夏はやはり暑かった。それでもどの家庭にもエアコンなんかありゃしない。扇風機さえない家庭もありました。どうやって暑さをしのいでいたのだろう?寝る時でも窓を開けて自然換気。蚊帳の中で団扇で寝苦しさをしのいでいたのでした。
今では大抵の家庭には各部屋にエアコン装備。お年寄りが熱中症で亡くなるニュースがよく流れてきますが、その原因にはエアコンがあるのにスイッチが入ってなかったと報じられています。何故エアコンを使わなかったのか?電気代を惜しんでのことでは無い。死に急いだのでも無い。どこか子供時代の夏の過ごし方が奥深く染みついているので、その様な事になっているのではないかと密かに思います。更に歳とって来ると寒暖の感覚が鈍くなって来ます。身体は暑がっているのに、感覚ではそれを受け入れていないのです。年々それを強く感じます。
今朝、高校の同級生の訃報が届きました。私が同窓会の代表幹事を仰せつかっていますが、彼はずっと事務局を担当してくれていました。同窓会の打合せに我が社にも、何度も顔を出しています。お父上は九大の医学部長、彼は九大教授と優秀な家系でした。高校の同級生の物故者はこれで、50名を超えています。1割以上がすでに天国で同窓会を開いていることになりました。近しい友の訃報に接すると、元気高齢者とツッパている私でも、ガックリときます。同級生の殆んどはリタイアしていますが、数少ない現役の私にはまだまだ先の事業計画が山積しており、皆さんの為にも、また可愛い孫たちの為にもツッパてでも元気を維持して行かねばならない。それに大好きなゴルフでエイジシュートするという大きな目標も控えています。明日、明後日と新しい事業展開の話し合いと友とのお別れのセレモニーが控えています。長かった東京出張から帰って来ます。久しぶりに皆さんともお会いして元気を取り戻しましょう。会長の独り言でした。