箸墓で起こったことについては、
しばらく封印してきた話ですが、後に公開しました。
私たちが箸墓にいったのは、2018年夏です。
車を停めて箸墓に向かうと、
炎天下の中、大汗をかきながら祝詞を上げている青年がいました。
私たちに気が付くと、やめて、はじによけてくれました。
東京に戻ってきてから、私は偶然?この青年をTwitterでみつけます。
そして箸墓にいましたか?と聞いてみたら、
僕です~って言ってました。
こちらが箸墓古墳。
箸墓がどういうところなのかなんですが、
第七代孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲姫命がおまつりされています。
そしてここが卑弥呼の古墳なのではないか、倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼なのではないかと
言われています。
倭迹迹日百襲姫命については、大神神社の大物主の神の奥さんだということが、
日本書紀に書いてあります。
下記が私が訳した現代語訳です。
倭迹々日百襲姫命は大物主の妻となりました。
ところが大物主は夜の暗がりにしか現れず、昼間は姿を見せてくれないのです。
怪しいよね、なんでー、どんなお姿なんだろう。見たい!
倭迹々日百襲姫は
「夜の暗がりでは、あなたさまの麗しいお姿を見ることができません。
どうか昼間にお姿をお見せください。」
と言います。
すると大物主は
「それではわたしは明日、あなたの櫛をしまう箱の中に入っているからね。
あけてみてね。ですがわたしの姿を見ても決して驚かないでくださいね。約束だよ。」
と申されました。
夜が明けて倭迹々日百襲姫はどきどきしながら、
櫛の箱の中を覗いてみました。
そうすると今までみたこともないような、美しい小さな蛇がいました。
まさかの小さな蛇。
倭迹々日百襲姫は驚いて叫んでしまいました。
大物主は、
「驚かないでと言ったのに」と恥ずかしがりました。
その途端、小さな蛇は気絶するほどイケメンの麗しい青年のお姿になり、
恥ずかしさとショックで悲しげになされ、御諸山に登って行ってしまいました。
それを見て姫の胸は張り裂けました。
愛する人との約束に背き、恥をかかせてしまったのです。
あまりにも絶望が深く、倭迹々日百襲姫は女性器を箸でついて亡くなってしまいました。
倭迹々日百襲姫は大市(オオチ=大和国城上郡大市=奈良県桜井市北部)に葬られ、その墓は箸墓と呼ばれました。
箸墓には不思議な謂れがあります。
昼は人が作り、夜は神が作ったそうです。
大阪山の石を運んで作られており、山からお墓まで、人が列をなして石を手渡しして運んだと言われています。。
私はこの日本書紀の記述を見たときに、
なんでそんなことぐらいでって思いました。
あと亡くなり方も変だなと。
しかも箸墓というお墓の名前にもなっちゃってて。
もっと違う方法があるだろうと。
やはりこの記述は本当のことが隠されていて、何か意味があるのかなと思いました。
不可解なお話に思えてしまうのですね。
やはりそう思っている人も多いようで、
様々な説がありました。
そしてこの亡くなり方の謎は、なんと、桜井識子さんが解き明かしてくれていました。
神社仏閣パワースポットで神さまとコンタクトしてきました、という本です。
本の内容になってしまうので、書けませんが、
なるほどと思いました。
あと日本書紀に記述されている、大阪山と言われている奈良県北葛城郡二上山の北側の山の石は、
箸墓からは発見されていないそうです。
これはきちんと場所まで指定しているのに、嘘なんかい!と思ってしまうわけですが。
まあ、もっときちんと調査すれば、あるのかもしれないですよね。
御陵なので発掘とか調査とか宮内庁がほとんどさせないんですね。
2013年に研究者が何人か入りましたが、2時間程度だったそうで。
倭迹迹日百襲姫命は神がかりをする巫女、シャーマンであったと伝えられています。
伊勢神宮や大神神社ができた由来となる、崇神天皇のお話にも登場します。
我々は箸墓には、考古学的な興味で行ったのですが、
手を合わせたら、なんと女神様とコンタクトがとれてしまったのです。
続きます。
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