横山蓮花です
こんな面白い体験をしたことがあります。
内的な体験です。
その日、夕食を食べ終わった後にふと気付きました。
気分がよくない。
「不快な感じがしている」ということに
そして、何故不快なのか、理由が分からなかったのです。
不思議だと思いませんか?
何か、私の気分を下降させるような出来事があるからこそ、不快な感じが出るはずなのに、その出来事ななんだったのか、分からないのです。
そして、私はすぐにピンと来ました。
これは、「抑圧している感情の現れ」だと
抑圧とは、その感情を感じられなくするために自分で作った感情の蓋です。
どのようにして蓋が作られるかというと、「その感情を感じたくない」「その感情は私の中にあってはいけないものだ」という否定から生まれます。
その蓋のお陰で、感じたくない感情を感じずに済むわけです。
ですが、問題もあります。
抑圧がある場合、出来事に反応して湧き上がってきた生の感情を感じることができなくなってしまうのです。
そのくせ、なんとなく嫌な感じはするのです。
それがさっき感じていた不快感でした。
では、どんな出来事によって抑圧した感情を私は生んだのでしょうか?
それを知るには、まずは自分の心に問いかけます。
「どんな出来事があって私は抑圧した感情を生んだのかな?」
そして、その不快感を感じ続けます。
ソワソワ、ザワザワした感じが身体の背中から腕にかけて広がっていくのを感じていました。
嫌な感じですが、逃げずに感じ続けます。
すると、突然、その日にあった出来事の1シーンが記憶に蘇りました。
それは、「羨ましい!」と嫉妬を感じた一瞬の記憶でした。
その日にあった出来事なのに、すっかり忘れてしまったいたのです。
「嫉妬」は醜いもの。感じてはいけないもの。
「嫉妬」は私の中にあってはいけないもの。
そういう無意識の思い込みが、私の中にありました。
だから、「羨ましい!」と感じたとき、恐れを感じるのです。
「嫉妬」を感じてはいけない!それは罪だ、と。
そして、「羨ましい!」という生の感情を抑圧して、ないふりをすることにしたのです。
そのことに気づけた私はとてもラッキーな人間です。
「羨ましい」を抑圧していることに気づけたら、もう二度と「羨ましい」に関しては、抑圧しないですむからです。
ですが、「羨ましい」は醜い感情だ、という信念がある限り、たとえ生の感情を感じることができるとは言っても、それを感じるのは辛い経験になります。
ですから、「羨ましい」は決して醜い感情ではなく、私の中に確かにある感情なのだと、受け入れる必要があるわけです。
自分の中にあるものを否定したり批判するのは、一番してはならないことなのです。
ですから、私は「羨ましい」を批判せず受け入れました。
そんな醜いものを受け入れたら、いつも羨ましがってて嫉妬深い人間になってしまうのではないか?と心配する必要はありません。
受け入れてしまうと、「羨ましい」は変容して、私に望ましいエネルギーになります。
「羨ましい」は変容して、「向上心」というエネルギーになりました。
そう、私の中でずっと否定してきた「羨ましい」は、実は「より良くなりたい」という向上心のことだったのです
もし、あなたの中で、何が不快な感じがあるけれども、何故なのかよく分からない…という場合は、なんらかの抑圧があるかもしれません。
抑圧は本当のあなたを隠し、偽のあなたをあたかも本物であるかのように、あなた自身に見せてきます。
そういう幻想の世界で生きるのは、もうやめましょう。
本当の自分を見つけ、受け入れる時です
私と同じような経験をされている方は、ぜひ上の方法をお試しくださいね!
そして、どんな感情であっても、たとえ醜すぎて顔を背けたくなる感情であっても、受け入れる勇気を持ってください。
不要な信念の殻を一枚一枚外し、本当の、ありのままのご自分に帰還することができますよう、心から祈っています