この所、何だかなぁ、と思う事がある。
パソコンでのタッチタイピングと、スマホでのフリック入力。
以前は元々SEだった事もあり、タッチタイピングの方が速かった。
今はほぼ互角という感じがしている。
もちろん通常の日本語の文章の場合やスマホ用のアプリを操作する場合。
プログラムを書いたり、チェックする時はパソコンの方が画面の広さその他もあり、有利になる。
スマホにしかない機能と言えば、電話だし、各種のアプリケーション。
パソコンの側は、開発や生産の道具になってアプリケーションを作る側面が大きい。
もちろん、パソコンにだってゲームはあるし、スマホとリンクさせる場合も多い。
タブレット上でもオンラインゲームなどが運営会社とのリンクをしていたり。
「えー、なんで情報共有できないの?」の時代ですね。
スマホで用が済んでしまう事が増えた、というのは実感。
スマホの画面を指先で突っつきながら思い出したのは・・・
京都大学で行われた、ボノボの実験。
ボノボにタッチパネルを操作させて、ご褒美に果物を与えたりする。

ボノボは人類に非常に近いとされる類人猿の内の一種。
かなり知能が高いそうだ。(詳しい事は霊長類研究の資料を探して下さい)
さすがに私とてボノボと人類を「イコール」で結んだりはしない。

スマホを突っついて用事をする自分と、ボノボが重なるなぁ、と感じたワケです。
「だからどうした?」と言われると「そう感じた」しか言いようがない。
ただし、自分のどこかにある「思慮深さ」とか「人間として・・・」とかのね。
そういう部分を補完されて、ボノボたちに対して「万物の霊長」と言いにくい。
この道具がなかったら?という「もしも」を連想してしまう。
「産業革命」がなかったら、「火を扱う事が出来ないままだったら」など。
自分の事を決めるのに、自分自身が考えて、ちょっと試して確認し決断。
「PDAC」のサイクルをせずに済ませる私にはなりたくない。
(プラン、ドゥ、アクション、チェック、の繰り返しを続ける、という話)
工学系の大学出身なので製造環境を造ったり、発電を行ったりの側で考える。
エジソンさんや、テスラさんがいなかったら?ライト兄弟もそう。
ファインマン博士やホーキング博士、もちろんアインシュタイン博士も。
(書いて行くと、他にも名前を挙げたくなるんだけど、以下は省略します)
J.Sバッハがいなかったら、など芸術方面も割愛。
だからビル・モンローがいなかったら、で止める。
今は「〇〇が□□でなかったら」に「日本の首相」が「誰それ」、とか?
しかしそれはいつの時代も、どこの場所でも言える事だよね?
「酋長がホニャララでなかったら」みたいなの。
「ジャイアンが粗暴でなかったら」
「手塚治虫先生が長生きだったら」
枚挙にいとまがない。
「手塚治虫先生が水木しげる先生に嫉妬しなかったら」
恐らく「どろろと百鬼丸」が描かれず「一番病」が描かれなかっただろう。
この位しか想像できない。だんだんボノボに近づいてるのかな?
この文章をタッチタイピングで書いているから、まだ大丈夫だと思おう。(苦笑)