「親父」と「母親」、自分から見てそういう風に感じる。
親父には、なんというか、ダメ親父な所も多いんだが、父性を感じられる様になり、
母親は、どんどん母性を感じられなくなったのではないかな、とふと思った。
「親父」は2011年に亡くなった。(震災ではなく肺気腫が原因)
死亡の日、自分と姉夫婦が昼間、示し合わせてもいないのに親父に同時に会った。
「親父」は、親父になろうとしなければなれない。
「母」までは、出産した事実があればそこで産んだ人として固定される。
母親は今、グループホームで職員の方々に面倒を見られながら生きている。
何故か私が会いに行くと、涙を流す。認知症なんだが、私をどう認知しているやら?
姉が自分の息子を連れて行くと、母を私の甥を見てとても機嫌が良いそうだ。
(これは、姉に教わった)
母親をグループホームに預けるとき、色々とあって、私と私の妻が手続きした。
姉は手続きの前に、火曜日に受診した、そっち方面の医者には、満面の笑顔で、
「家族会議ですね」と言ったのだが、その日の夜に電話したら決まらないと言う。
「アルツハイマー型と、脳血流性の認知症で海馬が老化して記憶が混乱」という、
診て下さった医師の説明を理解してないのか!事は急を要するというのに!
翌日の夜に電話したら、息子(私の甥)が明日来るから、と日延べした。
三日目の夜に電話すると、まだ決まらないという返事。
四日目の夜も、しつこいかと思いつつ、電話したのだが、返事を濁された。
四日目は金曜日。つまり土曜、日曜は、市役所の福祉関係の窓口も止まる。
姉夫婦が「家族会議の返事をしなかった」ため、有効な手を打てず六日間が無駄。
無駄どころではない。結局、私と妻に面倒な事は丸投げで悪口だけ言う卑怯者だ。
その六日間、母親は認知症の症状に苦しみながら、私と妻を振り回し続けた。
七日目の月曜の朝、妻に促され、姉夫婦を無視して、即座に市役所の福祉窓口へ。
すぐに方針が決まり「前の週の火曜日」に母を診断してくれた医師に、診断書とか、診察の所感などの書類を出してもらって、市役所紹介の新築のグループホームに、
連絡を入れて、取りまとめの責任者の方と面談の運びとなった。
私と妻の顔を見るなり、グループホームの責任者の方は、
「よく頑張ってこられましたね。共倒れしないうちに何とかできます」
と励まして下さった。
腹が立つ事に、先延ばし犯人の姉にも、この責任者の方の言葉を一応伝えたら、
「誰にでもそう言うものなのよ」
と冷徹な事を言い私の姉への嫌悪感が決定的になった。(殺意がわくほど腹が立った)
もちろん日常的にぶつけたりはしないが。
そして「要介護」の認定が出るまでの約一ヶ月、母親は昼間デイサービス。
疲れ果てていた私は妻に支えられて何とか食事をとり乗り切った。妻も辛かった筈。
「要介護」の認定が出て、母親がグループホームに入る頃には、なんというか・・・
親不孝なんだろうか?昔、母親も加わって私を半死半生の目に追いこんだ事もあって
母親に「母性」や「癒やし」をすっかり感じなくなってしまった。
姉夫婦を信じられなくなったのは書くまでも無い。
それから数年。先日、姉が甥を連れて、母の見舞いに行った帰りに、やたらと嬉しそうに「私の息子に会うとばぁちゃんがすごく喜ぶ」と自慢されて、もういいや、となってしまった。
入院間際まで「母」の相手を実際にした私には泣いている母だから、私の中でなにかがガクンと切り替わった。「そうですか、今後は私は、極力、見舞いにはいきません」
そして「姉さんと甥に任せるよ。入居の時に先延ばししたんだから以後はよろしく」
と伝えさせてもらった。
それでも息子か、と言いたきゃ言えば良い。
実際にグループホーム入居手続きをしたのは、私ら夫婦だ。
とりかかるのを約一週間も引き延ばして、母親を苦しめて、私ら夫婦に迷惑をかけた自覚なんぞ無いんだろう。
しかして、母の住民票は私が住んでいる家屋なので、郵便物や各種の請求は、私の所に届く。もちろんグループホームの請求書も、手続きした本人が私だから私に届く。
母親の生命保険関連や、グループホームのお金のやりくりもずっとして来た。
なんでオレが泣かれて、甥と引き延ばしした姉が笑顔をもらうんだ?
割にあわん。
という事で、今現在の所、母に母性を感じられないし、姉にもそういう感覚がない。
父は「親父」なんだが、母は「私を出産した女性」的な人になっている。
合間で何かのマチガイでグループホームに私が自分の意志で行く気になった時の母親の状態によっては様相が変わるかもしれない。
入居の要介護をとる手続きなどの前に、
六日も無駄に費やした姉はいただけない。
母と同居している私ら夫婦で「家族会議」という言葉を無視して進めりゃ良かった。