コロナで亡くなった、志村けんさん。

エピソードは沢山有るから、ここでは書かない。

ただ「してもらった事には、ちゃんとお礼をしないと気がすまない」方だったとか。
テレビ画面の中では、色々と演じて笑わせて、非常識な行動だけど、日常は違う。
どんなに有名であろうと無名であろうと、基本的なシツケは必要だし、ましてや。
志村さんの人間の大きさを伝えるエピソードとかもある。

北野武さん、タモリさん、明石家さんまさん、それぞれに深いなぁと思う。

比べるものではないが、自分も真似事くらいはさせてもらいたい。

しょくじの前後の「いただきます」と「ごちそうさま」は言うべきだ。

(コントで、つい逆に行ってしまうとかのジョークは別)

使った物は、元の場所、もしくは、次に使うときに、より便利な場所に片付ける。

申し訳ないなら「ごめんなさい」と言うし、助けて貰えば「ありがとうございます」

まずはこういう事。そして「借りた物は、きちんと返すこと」なんだけどね。

出来ない人や、そのまま持ち逃げして(借りパクとか)知らん顔をする人もいる。

自分自身、気付かないだけで、そういう事をしてしまっているかもしれない。

今年はそれらをゆっくり考えて返すべき恩を返す人になる様に心がけよう。

「誰も見てないからバレない」って?「やった自分自身にはバレバレ」なんだよ。

一生「自分は他人から掠め取った盗人だ」は、自慢にしろ反省にしろついて回る。

「まんまと間抜けを出し抜いて盗んだぜ」は心の奥底に残り続ける。

相手が生きている内は取り返しがつくかもしれない。(こっぴどく拒絶されるか?)

もし相手が死んでいたり、認知症などで意思表示ができなくなっていたら?

もう借りは返せないから死ぬまでどこかに「自分は盗人」がついて回る。

私は・・・そんな人生の送り方は、お断りしたいな。
何かしてもらったら、ちゃんとお礼をする人の方が、自分の好みに合っている。

さて、各種の楽器を弾く私。

その上でハッキリ書くと、実は楽しんではいるが演奏者としては「?」なのです。


最近、ちゃんと習っているヴァイオリンも、我流の頃は「弦と弓は直角に」を心がけて弾いていたけど、どこかに無理が来ています。

特に、身体の右半分に大けがをした経験があるので、その状態で自然に無理なく弾く事を大切にしている訳ですね。
事故でのケガ経験がない人とは動きが違う事もあるでしょう。

つまりそういう人が取れる高得点の演奏を自分がする事は、私は望んでいません。

必要な音が出せれば良い、という判断です。

 

ギター、ここではアコギを例にとりますが、変則チューニングやタッピングを駆使した演奏は、ほぼしません。ドロップD、ドロップG、オープンD(E)、オープンG、あたりとそのちょっとした亜流までしかしませんし、タッピングはアンプを使わないので全く音になりません。

 

三味線は、ウソの左手指の押さえ方を最初からしています。

権威のかた、なんたら流の方ごめんなさい。
左手の指先に、他の楽器の弦を押さえるためにタコが出来ています。

教則本やDVD教則によると、三味線は、自分のツメの先で音程を決める弦を押さえるのですが、タコが出ているので、私はタコで押さえます。ハイ、落第!

 

バンジョーとギターのスリーフィンガー奏法についても同様。
バンジョーのスリーフィンガー奏法(スクラッグス・スタイル)では「フォワード・ロール」という指に弦の担当を分担させ、固定のために右手薬指を弦の脇の皮に着けて演奏しますが、私はあまりこれを守らず、何となく弾いています。

ギターのスリーフィンガー奏法では、右手小指を弦の脇のピックガードのそばに着ける事もありますが、これはクラシックギターでは邪道です。
クラシックギターでは、きちんと座るなら足台を使うか、右腿を下にして上に左腿を乗せた状態でギターそのものの固定をする、と私が手本にした教則関係の資料には出ており、ギターのボディに右手の小指、薬指をつけるのは、響きが悪くなるので禁止されています。

つまり複数の楽器を持ち替えて弾くと、それぞれの影響が弾いている人間にクセとして現れるので、全ての楽器を100%の技量で弾くのはどだい不可能です。
私は自分の判断で「まずは赤点をとらなきゃ良い」し後は練習も含めて、やっている内に、底上げすれば良いと思ってやっています。
器用貧乏?あはは、単なる貧乏って言いたいんでしょ、本当は。
「本当に貧乏」なら、赤の他人にポンと30万円貸したりしませんぜ。
ヴァイオリン始めるにあたって20万円以上の新しいのを買い足すとか、
どうしても必要な絵があって自分では描けないから、画伯に17万円で依頼とかね。

そういう事をしているのは、私くらいのモンかなぁ・・・・・・
自分の技量で描ける絵は自分で描いているから、そこは誤解しないでね。


*今回の奏法の説明は流派や人により、諸説あります。

領土の主張、奪い合いをする人間たち。

台湾に住む人たちにとって、あの土地は台湾にいる人たちが使うべき。

そして日本人の私たちは、陣取り合戦をしながら、出来れば生まれた土地に・・・

という事で、紹介します。
魔夜中しんやさん(沖縄の常民歌手)の、自主制作シングル、

「骨のカチャーシー」と、もう一方の片面「わったぁ島沖縄」。

こんな音源、YouTubeにあるのかな、と思って検索してみたら、
「骨のカチャーシー」の別のバージョンはあった。

「我ったぁ島・沖縄」は、見つからなかった。

私の手元の、このレコードは、流通経路はCBS/SONYで扱われている。

何がどうなって、そこへ落ち着いたのか?
沖縄も沖縄の地元の人たちの住むべき場所であって欲しいが・・・

現実には、私の住む山口県もそうだけれど、地域が経済的に自立する必要がある。

列車にしても「山陽本線」と言いつつ、朝と夕方の通勤退勤学校の行き帰りの時間を

外すと、ほぼ一時間に一本ずつ上がり下りがあるという状態。

政治家(総理大臣?)を何人も出した県にしては、少なすぎる(これは嫌味です)。

これだけは言える。いつか人間は死ぬ。死んだら全てを地球・宇宙に返す。
地球という星が美しく愛おしいし、宇宙そのもの、月や星空が安心をくれる。

自然環境が、まだ穏やかな日本に生まれ育った、日本人だからかな?

<緑の女神・美樹さま>

「親父」と「母親」、自分から見てそういう風に感じる。

親父には、なんというか、ダメ親父な所も多いんだが、父性を感じられる様になり、

母親は、どんどん母性を感じられなくなったのではないかな、とふと思った。

「親父」は2011年に亡くなった。(震災ではなく肺気腫が原因)

死亡の日、自分と姉夫婦が昼間、示し合わせてもいないのに親父に同時に会った。

「親父」は、親父になろうとしなければなれない。

「母」までは、出産した事実があればそこで産んだ人として固定される。

 

母親は今、グループホームで職員の方々に面倒を見られながら生きている。

何故か私が会いに行くと、涙を流す。認知症なんだが、私をどう認知しているやら?

姉が自分の息子を連れて行くと、母を私の甥を見てとても機嫌が良いそうだ。

(これは、姉に教わった)

 

母親をグループホームに預けるとき、色々とあって、私と私の妻が手続きした。

姉は手続きの前に、火曜日に受診した、そっち方面の医者には、満面の笑顔で、
「家族会議ですね」と言ったのだが、その日の夜に電話したら決まらないと言う。
「アルツハイマー型と、脳血流性の認知症で海馬が老化して記憶が混乱」という、

診て下さった医師の説明を理解してないのか!事は急を要するというのに!

翌日の夜に電話したら、息子(私の甥)が明日来るから、と日延べした。

三日目の夜に電話すると、まだ決まらないという返事。

四日目の夜も、しつこいかと思いつつ、電話したのだが、返事を濁された。

 

四日目は金曜日。つまり土曜、日曜は、市役所の福祉関係の窓口も止まる。

姉夫婦が「家族会議の返事をしなかった」ため、有効な手を打てず六日間が無駄

無駄どころではない。結局、私と妻に面倒な事は丸投げで悪口だけ言う卑怯者だ。
その六日間、母親は認知症の症状に苦しみながら、私と妻を振り回し続けた

七日目の月曜の朝、妻に促され、姉夫婦を無視して、即座に市役所の福祉窓口へ
すぐに方針が決まり「前の週の火曜日」に母を診断してくれた医師に、診断書とか、診察の所感などの書類を出してもらって、市役所紹介の新築のグループホームに、

連絡を入れて、取りまとめの責任者の方と面談の運びとなった。
私と妻の顔を見るなり、グループホームの責任者の方は、
「よく頑張ってこられましたね。共倒れしないうちに何とかできます」
と励まして下さった。

腹が立つ事に、先延ばし犯人の姉にも、この責任者の方の言葉を一応伝えたら、

「誰にでもそう言うものなのよ」

と冷徹な事を言い私の姉への嫌悪感が決定的になった。(殺意がわくほど腹が立った)

もちろん日常的にぶつけたりはしないが。

 

そして「要介護」の認定が出るまでの約一ヶ月、母親は昼間デイサービス。

疲れ果てていた私は妻に支えられて何とか食事をとり乗り切った。妻も辛かった筈。

「要介護」の認定が出て、母親がグループホームに入る頃には、なんというか・・・

親不孝なんだろうか?昔、母親も加わって私を半死半生の目に追いこんだ事もあって

母親に「母性」や「癒やし」をすっかり感じなくなってしまった。
姉夫婦を信じられなくなったのは書くまでも無い。

 

それから数年。先日、姉が甥を連れて、母の見舞いに行った帰りに、やたらと嬉しそうに「私の息子に会うとばぁちゃんがすごく喜ぶ」と自慢されて、もういいや、となってしまった。


入院間際まで「母」の相手を実際にした私には泣いている母だから、私の中でなにかがガクンと切り替わった。「そうですか、今後は私は、極力、見舞いにはいきません」
そして「姉さんと甥に任せるよ。入居の時に先延ばししたんだから以後はよろしく」
と伝えさせてもらった。

 

それでも息子か、と言いたきゃ言えば良い。

実際にグループホーム入居手続きをしたのは、私ら夫婦だ。

とりかかるのを約一週間も引き延ばして、母親を苦しめて、私ら夫婦に迷惑をかけた自覚なんぞ無いんだろう。

しかして、母の住民票は私が住んでいる家屋なので、郵便物や各種の請求は、私の所に届く。もちろんグループホームの請求書も、手続きした本人が私だから私に届く。

母親の生命保険関連や、グループホームのお金のやりくりもずっとして来た。

なんでオレが泣かれて、甥と引き延ばしした姉が笑顔をもらうんだ?

割にあわん。

という事で、今現在の所、母に母性を感じられないし、姉にもそういう感覚がない。
父は「親父」なんだが、母は「私を出産した女性」的な人になっている。

合間で何かのマチガイでグループホームに私が自分の意志で行く気になった時の母親の状態によっては様相が変わるかもしれない。

入居の要介護をとる手続きなどの前に、

六日も無駄に費やした姉はいただけない。
母と同居している私ら夫婦で「家族会議」という言葉を無視して進めりゃ良かった。

かなり昔なので時効という事で書きます。

私があちこちで書いて忘れている可能性があるので、訂正をこめて。

ウディ・ガスリーの「ユニオン・メイド」(組合の女性?)という曲があった。

この曲を私に教えた某は、元の曲は「赤い翼」のはずだと教えてくれた。
(今から40年以上前の話です)

「赤い翼」をYouTubeで検索するとファイナルファンタジーのゲーム曲が出てくる。

探し方が悪いのか?
つい先ほど、ヴァイオリンの練習課題の曲を確認していたら、あれれ?

シューマンの「楽しき農夫」の一部が、「ユニオン・メイド」とよく似ている。

前にも感じたのだけど「ユモレスク」の冒頭を弾き損なったら、こうなるかなぁ、

というのが「ビリー・イン・ザ・ロー・グラウンド」というブルーグラスの曲。

ブルーグラスというより、それより古い、オールドタイミーに分類されると思う。
「ユモレスク」はドヴォルザークだよね?
「新世界」に組み込まれている曲だから、時代考証として合わないかもしれない。

それについては研究家に任せて、愛好家の私は、ほんのり、似てるなぁと思うだけ。

どうせなら一気に比べてみるかな?まずは、シューマンの「楽しき農夫」から。


引き続いて、ウディ・ガスリーの「ユニオン・メイド」です。


もう一丁、ドヴォルザークの「ユモレスク」です


そいでもって、「ビリー・イン・ザ・ロー・グラウンド」です。

アメリカに移民して来た人たちは、当然最初は音楽のプロばかりとはいえないかな?

それでも、賛美歌を歌ったり、バーン・ダンス(納屋でダンス)をたのしんだり。

そういう時に、なんとか以前聞いた曲を再現しようとして、やり損なったのかも。
ただし、やり損なった中に、楽しめる音楽があっても良い。
何も弾かないよりは、弾いて楽しむ方がよっぽどマシだと思う。
うろ覚えでも弾いてみて、楽もしたいし、簡略化もしたいし、主張もいれたりする。
そうなると、こういう楽しみ方で音楽をしちゃたって構わんではないか、と思う。
私が今、練習しているヴァイオリンにしても、英才教育を受けた人からはさぁ・・・

そりゃカスみたいな音かもしれないけど、弾いている自分が楽しいのが第一です。
ドヴォルザークが「ビリー・イン・ザ・ロー・グラウンド」の雛形の曲をきいて、

クラシックの曲として音楽的に自分の個性で仕上げて、となると時代の逆転もある。
あくまでも雛形であって、雛形を弾いていた人がドヴォルザークの曲の演奏から、

キャッチボールの投げ返しを貰って、というのもあり得る。

なにしろ、作曲のプロなんか、ほぼいなくてエジソンの蓄音機も無いなら?

そりゃ、聴いて良いなぁと思った曲を模倣して楽しむのが自然っていう気がする。

じゃすらっく様が読んだら、とうさくだとげきどするのでひらがなでかいておく。

あ・・・そういえば、今、ヴァイオリンのボウの毛替えと駒の調整をしてくれる所、

探してるんだっけ。なるべく近場で、行って預けて、調整してくれる所、ないかな?
二挺あるうちの一挺のメンテナンスをしてあげたいんだけど、山口県だからなぁ。

適切な、メンテ屋さんは無いかもしれません。参ったな・・・

ヴァイオリンを習っていて、結構つまづく。当然だ。だから習っている。

後で冷静になって、理屈付けをすると先生は正しい事をおっしゃっている。

先日のレッスンで、ヴァイオリンの弦をいちいち見ないでねらった弦を弾く事を教わったと思う。

これ、自分がギターを弾いている時は、ソレっぽくやっているんだと後で気付いた。

ライブハウスに出ていた頃、歌詞を書いたノートを前に歌う歌い手にオーナーが、

「あんたたちは、歌詞のノートじゃなく、お客さんに向かって歌うんでしょう」

と、教えていたっけ。全くその通りでございます。

ヴァイオリンの弦に向かって意識を集中するんじゃなくて、お客さんに集中。

もしくは、自分の気持ちに集中とかするんだから、弦を見ながら別の弦に移動したら

どこに向かって演奏してるんだかワケがわからなくなる。
「青のオーケストラ」の原作コミックやアニメを見てもわかるが、

自分の楽器の弦を見ながら弾く事しか出来ないなら、いつ指揮者を見るんだか?

あるいはコンサートマスター、パートリーダーにも神経を配らなくてはならない。


いやぁ、楽器を弾くって楽しいなぁ。やっぱり楽しむ器だね。

初代ゴジラ、身長50m。

最新の上映中では300mと、六倍に身長が巨大化している。

初代ゴジラの時には、東京に立ち並ぶビルに対して、十分な大きさだったらしい。

スカイツリーが出来てしまった。覚え方は、63,492m(武蔵の国)だっけ。

富士山は標高が3,776m。ふもとから山峡までの高さは初代ゴジラの七倍少々ある。

時代が進むにつれて、周囲の建造物が高層ビルなどになるからゴジラも巨大化。

コレで国会義堂を壊すゴジラを見て、映画館でお客の皆さんが歓声を上げたらしい。

(さすがに、ここの向かいの建造物を壊すのは、怖くて出来なかったそうだ)

ロボット変形が入ったアニメになると、プラモを売るため合体とかさせる。

スポンサー企業の意向なんだけど、記憶するかぎり、可能な変形ってZガンダムか?

Z(ゼータ)とZZ(ダブルゼータ)のガンダムは、プラモデルを作った事がある。
あり得ない変形としては、金属なのに伸縮して辻褄を合わせて、というのはあった。

 

国だってそうだなぁ。一つの民族が自分の裁量で治められる地域を治める。
この面積や山河、海岸線だと、これこれの能力の人が一人で統治が出来る。
あんまり大きいとか、国土が東西南北に統治箇所があると、それぞれにトップ。
つまり日本だと、都道府県の知事が必要になる。
アメリカだと、州ごとの知事が必要になる。
全体を一枚岩にしようとすると、どこかに無理が来るんじゃないかな?
「100年経ったら滅びてた」みたいな。(「100人乗っても壊れない」のジョーク)

怪獣の中に中性子で身体が出来ている物がいたっけ。

解説の図鑑での説明だと、これは物理的に不可能だそうだ。

オレンジジュースでビルを作る様なもの、と子供向けに説明がされていた。

「帰ってきたウルトラマン」に登場する怪獣だったと思う。

 

そもそも、空想の世界だから何でもアリなんだけどね。

ウルトラマンそのものが空想の産物だし、図鑑にのっている身長と体重。

あのプロポーションでの身長と体重はあり得ないらしい。
ロボットアニメで言うと、実現可能な大きさは「機動警察パトレイバー」が現実的。

それ以上になると、足はデカくなり、自分の重さで、動けないとか。

ウルトラマンも、あの足の裏のサイズで、図鑑にある重さだと地面に足がめり込む。

そしてあの太さの足とか筋肉では支えられないから、ずんぐりしすぎて歩けない姿になってしまうというお話。

あまり政治の話は書きたくないのだが、現在(2025年12月17日)の世界情勢の中で、類似の国が見える。ハッキリ書くと「中華人民共和国」がそう感じられる。

「大国(たいこく)」と言っているけれど、大きいのは面積と態度、迷惑さだと思う。
ちなみに「大国」と書いて「おおくに」さんという苗字は出雲付近に実在する。
そちらから転居して、山口県に来られた方が知り合いにいらっしゃった。
「中国」と言いつつあそこは「中国共産党」の方が政府より上という組織図だっけ。
「中華人民共和国」自体は第二次世界大戦が終わった二年後位に建国している。

国家の歴史も長くない。(日本は、神武天皇からだと、長い長い皇紀がある)

「自分自身の大きさを取り違え、自滅する中華人民共和国」を見ているのかもしれないなぁ、今の自分たちの世代は。
戦勝国は「中華民国」なのに内戦ですげ変わった「中華人民共和国」が何年保つか?


普通のトウフは、おなじみの小鉢に入るサイズなので問題ない。

もし一辺が20mのトウフを作ったなら、自分の重さで「ぐじゅぅ」と潰れるはず。

容器が適切なら、崩れずに保つのだろうが、戦勝国に「日本の高市早苗首相の悪口」を言う「告げ口外交」で総スカンを食らっているようでは、器は小さいのだろう。

さて、もともと中国の方で立派な人を「大人(たいじん)」と呼んだんだが・・・
自分の事しか考えないで努力しない人を「小人(しょうじん)」と呼ぶ事がある。

このところ習さんは地位としては「大人」であるべきだがやる事が「小人」っぽい。
アメリカのトランプ大統領が正式な文書にサインしても文句を言わない。

日本の高市早苗首相が答弁でした返事の上げ足を取って圧力をガンガンかける。

相手によって態度を変えて保身に必死なのは「小人(しょうじん)」じゃないかな?

どうにも、これは本能だからなぁ。一言で書くと「父性愛」なんだと思う。

何がって、自分が本質的に持っている性質が、という話。

←山のフドウ

このキャラクターみたいに、巨漢ではないが、気持ちは重なるだろう。

声は、こっちなんだけどね。

←殉星のシン
今日、ひとり親家庭を支える団体から、ハガキが届いた。

らしくないと思われるかもしれないが、毎月、少しだけど寄付させて頂いている。

スタッフの方からの、お礼の文章の周囲に、子供たちが書いたお礼の文章。

そして可愛らしいイラストも幾つか描いてあった。
看過する方が楽かもしれないが自分の「父性愛」を知っているから出来ないよなぁ。

 

願い事、どうしても叶わないものが一つ。

大抵の願い事とか、夢はまず夢を目標に落とし込んで、期日を決める。

そうしたら、まず「どうすれば実現出来るか」を探す。

それを見つけたら「いつまでに、どういう到達をするか」を決めれば良い。

 


#サンタさんへのお手紙2025

但し、どうにもならないから「どーせむり」的なものもある。

そういう場合は何とか別の方法を考える事になる。


この12弦ギターは、2025年の2月に亡くなった妻が、生前に買ってくれた。

演奏の需要がある楽器ではないかもしれない。

まだ、喪失感が大きいから、クリスマスにサンタクロースに願うなら、
「妻が天国で平穏でいられます様に」「私が妻の分も生きるので見守って下さい」
「寂しいので代わりの人があらわれるか、妻が夢に現れてくれます様に」
こんな感じかな?
「だったらこうしてみたら」を考える内に、我流で弾いていたヴァイオリン。

これをオンラインレッスンする所に行き当たった。

もしかしたら、妻が「ヴァイオリン、習いなさいよ」と言っているのかもしれない。