前回の話の続きだが、話が少し前後する。
オオクニヌシが生まれる約10年前の西暦151年頃、スサノオとクシイナダ姫との間に、第5子の「ニギハヤヒ」が誕生していた。
西暦180年頃、ニギハヤヒ(30歳前後)はスサノオから「十種神宝」を授かり、大和国(奈良県)に派遣された。
大和の豪族だったナガスネヒコを臣下とし、彼の妹のミカシギヤ姫と結婚して、事実上の「初代天皇」として即位した。
正式名は
ニギハヤヒこそ、「真の初代天皇」であると同時に「真の皇祖神」だったのである。
ニギハヤヒは、ミカシギヤ姫との間に二男一女をもうけた。
長男「ウマシマジ」
次男「タカクラジ」
長女「イスケヨリ姫」
西暦220年頃、ニギハヤヒ(69歳)が崩御し、三輪山に手厚く埋葬された。
ニギハヤヒの死の知らせを受けた日向国は、そのタイミングで出雲国に侵攻し、「国譲り」を迫ったのであった。
出雲族は騎馬民族の風習により、末子継承のしきたりがあった。
ニギハヤヒの末子はイスケヨリ姫だが、女は天皇にはなれないので、次男のタカクラジが第2代天皇となるはずだったのだが……。
そこに日向の参謀長官タカミムスビの入れ知恵で、タカヒコネ(コトシロヌシの兄)が大和に訪れ、ある提案をしたという。
西暦216年(ニギハヤヒが亡くなる4年前)、日向国ではタカミムスビとアマテラスの孫「イワレヒコ」が誕生していた。
コトシロヌシの兄の「タカヒコネ」はヤタガラスで、後に賀茂氏の養子に入って祖神とされた。
220年頃、フトダマの子のフツヌシから逃れるため、タケミナカタが諏訪に亡命し、諏訪王朝を樹立した。
タカミムスビの弟のフトダマが司祭となり、その子孫の忌部氏が「裏天皇」として君臨するようになった。
イワレヒコは必然的に日向国の王位継承者となる身分だったが、タカミムスビはイワレヒコを大和に送り込み、イスケヨリ姫と結婚させて天皇家の乗っ取りを画策したのである。
それによって日向族と出雲族の和合が実現することになり、建前上は何ら問題はなく、むしろ大和側(出雲族)にとっても歓迎すべき提案だった。
それまでの間、イスケヨリ姫はまだ幼かったため、長男のウマシマジが実質的に統治していたらしい。
西暦241年頃、イワレヒコ(25歳)が大和入りを果たし、イスケヨリ姫と結婚して故・ニギハヤヒの婿養子に入った。
そして、イワレヒコは十種神宝を継承し、第2代天皇として即位して、後世に「神武天皇」と呼ばれるようになった。
また、タカミムスビの弟のフトダマが司祭となり、その子孫の忌部氏が「裏天皇」として君臨するようになった。
やがて、ニギハヤヒの名前や功績は歴史から封殺され、神武(イワレヒコ)が初代天皇として記録された。
そして、真の皇祖神である天照大神(ニギハヤヒ)もイワレヒコの祖母の「アマテラス」にすり替えられたのである。
かくして、日向族は天皇家の乗っ取りに成功し、出雲族は排除されていくことになったのだ。
尚、イワレヒコを熊野から大和まで先導したのは「ヤタガラス」だとされているが、その正体はタカヒコネであった。
ヤタガラスについては、また改めて述べることにする。
つづく