前回の話の続きである。
西暦160年頃、「オオクニヌシ」が出雲国飯石郷で誕生した。
オオクニヌシの出自は不明だが、血筋は日向系だったと考えられている。
西暦180年頃、オオクニヌシは、スサノオとクシイナダ姫の末子「スセリ姫」と結婚し、スサノオの婿養子に入った。
西暦185年頃、スサノオ(63歳)が出雲国八雲村熊野で崩御し、オオクニヌシ(25歳)が出雲国におけるスサノオの後継者となった。
日向国のアマテラスはスサノオとの間に3人の娘をもうけていたが、オオクニヌシはその長女の「コノハナサクヤ姫」とも結婚した。
オオクニヌシは出雲のスセリ姫との間に「タケミナカタ」を生み、日向のコノハナサクヤ姫との間に「コトシロヌシ」を生んだ。
西暦215年頃、オオクニヌシ(55歳)は日向国の西都原で死去したが、そこで相続問題が発生した。
オオクニヌシの後継者は、出雲のタケミナカタか、日向のコトシロヌシか、という問題である。
当時、アマテラス(62歳)は幼いコトシロヌシの代行として日向国の女王(卑弥呼)となり、タカミムスビの政策で日向国は九州王朝として独立し、出雲国と完全に分断した。
西暦220年頃、九州王朝の三大武将「タケミカヅチ」「フツヌシ」「アメノコヤネ」が、全軍を率いて出雲国に侵攻し、出雲国は降服した。
これが「出雲の国譲り」の真相である。
そして、タケミナカタは長野県の諏訪に逃亡した。
諏訪は出雲族の亡命地として知られているが、オオクニヌシの後継者候補だったタケミナカタと、その一群が移住した土地だったのである。
そして、彼らは諏訪を拠点に「信濃王朝」を築いたのであった。
出雲におけるスサノオの相続人で、諏訪に追いやられた「タケミナカタ」。
タケミナカタを諏訪に追いやった「タケミカヅチ」と「フツヌシ」。
この3人は重要なキーパーソンとなるので、名前を覚えておいていただきたい。
ちなみに、アメノコヤネは後の中臣氏、つまり藤原氏の始祖となる人物で、現在の日向系天皇家の裏の家系として脈々と続いている。
つづく