思いだすあの日 | いちどのじんせいタノシク・ジユウに
3・11

皆様は何をしていたでしょうか。

私は、千葉幕張で開催された、ドラッグストアショーに参加をしていました。

一通り見終わって帰ろうとした昼過ぎ「東日本大震災」が起きました。

いまでもあの揺れの大きさは覚えています。

そして、埋立地特有の液状化現象。

揺れるビルはもちろん、ビルが建っている地面自体が揺れに揺れ、チャプチャプと水を噴き出しています。


その時は、千葉で地震が起きた!

っとみんなが思っていたはずです。

家族にこんなメールを送ったことを覚えています。


「地震にあった」「とりあえず生きている」


私のいた近辺ではけが人こそいたかもしれませんが、建物等の倒壊もなく幸いにも亡くなられた方はいませんでした

しかし、そのようにメールを送るだけのパニックが現場では起きていました。

イベント会場の近くということもあり、数万人の人で駅前はごった返しをしています。

いち早く逃げる人、タイミングを見計らって帰ろうとする人、とりあえず食料を確保する人。


滑稽にもそんな中で働いているコンビニの店員もいるものです。

お店の品はすぐにすっからかん。ATMが使えなくてはお金も下ろせない。

買いたいものがあっても買うことが出来ない。

そんな状況が繰り広げられていました。

いまふと思い出すと、「そんな映画のワンシーン」のように記憶をしています。

歩くこと約10時間。秋葉原の事務所にやっとのこと辿りついたのを鮮明に覚えています。


あれから2年。

なにが変わったのだろうか。

災害マニュアルを作る企業が増えた。

防災訓練に取り組む企業が増えた。


そんな個々の取り組みより、もっと大きな取り組みが必要とされる。

あのとき本当に薬剤師は役に立ったのだろうか。

数千、数万とある薬を判別しきったかのような記事が業界では流れていたが、現地に行った方の感想は違った。

すごいのは「今日の治療薬」という本である。

臨床経験のすくない薬局内の薬剤師には、無力を感じた方も多いのではないだろうか。

もう2年。

まだ2年である。

あの時の経験を忘れてはいけない。

そして歴史から学ばなくてはいけない。

果たして本当にお薬手帳を持って逃げるのだろうか。

持たないのであればどうしなければいけないのだろうか。

いまの薬剤師は病症をしることは許されていない。

しかし有事の際には、それは必須項目となる。

過去を忘れてはいけない。

過去から学び、今を変える。

それが学びではないだろうか。


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