Unpleasant な人。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

息子が、

どこかカナダの大学教授の話を

YouTubeで見て「感銘を受けた」と

ランチの時に言ってきた。


その話は、ジェンダーギャップの、

フェミニズムな観点からの

誤った思い込みについてだった。


その教授曰く、

そもそも男と女の間には

決定的な相違が存在し、

それを理解した上で

ジェンダーギャップについては

考えないと誤った方向に行く、

ということが根底にあるような気がした。


男に支配された世界。

男女不平等な社会。

一見すれば、そういった不公平は

あらゆる所にあった。

今も尚、収入格差は如何ともし難い。


教授の言い分は

「僕の言ってることが

全世界で当てはまるとは言えない。

これは、僕たちがいる欧米でのみ

言えることだとは思う」だったが、

話をして聞いてみると

私たち日本社会でも

言えることかもしれない。


公平さを訴えるとなると、

世の女たちは途端にやかましく、

人間的に男女に一切の相違はない、

同じ人間だ!と捲し立てる場面が多い。


でも、生物的な違いはあるわけで

それを無視して話を

進めることはできない。

どんなに公平性を訴えても

子供を産めるのは女性性しかなく、

男は社会整備がどんなに進んでも

そこに参入することは叶わないのだ。


で、我々東アジア社会の

問題はそこにある。

もしかしたら、欧米にも

未だ存在しているかもしれない。


韓国の小説、

『82年生まれ、キム・ジヨン』が

その顕著な事例を見事に描いている。

キャリアを大切にしていたジヨンが

家族から圧力に負けた夫に

「一人だけ産んでおこう」と懇願され

出産に臨んだところから

ジヨンのアイデンティティの

崩壊が始まる。


夫が社会的に失ったものは

何だったのだろう?

そして、ジヨンが失ったものは?

その絶対量の差に、女性の多くは

うんうんと首を縦に振るだろう。


それだけではない。


同じ55歳が再就職しようとすれば

恐らく、今の日本では

男性の方が圧倒的に雇用される

機会を得るだろう。

そして、多くの女性は

諦めの境地でやりたくもない仕事に

必要に駆られて就くのかもしれない。


その教授の言い分を総括すると

(と、私の足りない頭でだが)

つまり、その社会の雇用選択の縮図、

また、我々女性の「諦め」は

私たち女性が長く、長く

種々選択してきたことの結果だ、

ということだ。


その呪縛から解放された女性たちが

男たちと肩を並べて

それ相応の結果を出してきている。

それを見ながら私なんかは、

「特別な人なのね」という感慨で

それを眺めているのだ。


それを聞いて、私には

思い当たるふしがあった。


私が大学院を卒業し、

日本に帰国したのは

52歳の時だった。

もちろん正社員にもアプライしたが

悉くリジェクトされ、心が折れた。

派遣社員で今の職を掴むのにも

何度となくリジェクトされた。


だが、今でも忘れられないのは、

今お世話になっている派遣会社に

面接に行った時、

「正社員になれる仕事もあります。

そちらはどうですか?」と

聞かれたのに対して、

「いいえ、私には無理です。

歳ですし」と答えた自分がいたことだ。


私は自分の安全パイのために

とにかく仕事に就くことが

最大重要事項だと考えたが、

それこそがこの社会を作る決断、

長いものに巻かれる決断だったわけだ。


もちろん、背に腹はかえられない、

そういった事情もあるが、

それはなにも

これに限ったことではなく、

私の人生の中で度々起こったこと、

そんな風に思えた。


私にこの日本社会で

恐らく、もう「社員」として

働く機会はないだろう。

だが、そんな自戒を込めて

今、まどろんでいる女性たちに

諦めずに機会を掴んで、願う。


「女はこうあるべき」という

風潮もまた、戦うには

偏見として頭の上の分厚い雲だ。

それと同じに、

「この年齢の女に何ができる」と

いう偏見もまた、

同じように気持ちを萎えさせる。


しかし、その教授が長年の研究で

絶対的なセオリーとして得たデータは

組織の中でunpleasant な人ほど

出世もすればサラリーも増える

のだという。


私をご覧なさい、と

それを聞いた時に思った。


私は決して易しい人間ではない。

保守的なシステムの中で

おかしいことをおかしいと言うし、

やりたい事を成し遂げてきた。

派遣という身分ながら

どの部長も、恐らく、

「怖い相手」で楽しく仕事できる

安易な女性事務員とは違う、と

思っているのがありありと分かる。


正社員の機会を棒に振った割に、

自分の待遇改善のために

言いたいことはずけずけ言うのだ。


派遣元にも同じ態度だ。


だが、日本社会の独自性も

この7年でたくさん

学ばさせて頂いた。

言葉の使い方や、

何より、自分が主婦脳で

生きていたことを思い知った。

自分の足りなさを教えてくれるのは

絶対的に社会生活なんだ、と

学習したわけだ。


なので、今の私は欧米と日本の

ハイブリッド型だが、

言葉に苦労しない日本の社会で

その上層部にとって、

私という人間は

実にunpleasant な人間に違いない。

淡々と

「足りていない」と自分の欲求を

相手に述べるのだから。


そういう自分に辟易とすることが

この7年間に何度もあった。

苦しい、と思うのだ。

私の息子たちに毛が生えたような

年齢の男たちに

淡々とものを言っているが

「悪いなぁ」と思わないこともない。


でも、なぜ私が不況にあっても

解雇されないのか?

なぜ派遣切りにあわないのか?

それは、私が作ってきた

私のシステムの中に

まんまと彼らを落とし込んで

来たからなのかもしれない。


敵は多い。

だが、陰でごちゃごちゃぬかす

女たちの輪の中には入らない。

話が合わなくていいのだ。

合わせる必要は、その時々

調整可能で、孤高の人でええ。


来年、還暦だ!

だが、

私はまだまだハッキリしている!


そんな巷からは

unpleasant だと思われる私で

本当に良かったと思った。


その方向性で、

また新たなことに挑戦だ!


私の決断は

「だってみんなそうだから」と

言えるほど無力ではなかった、

そう思えたのだから。


これからもunpleasant かつ

Intelligent に。



昨日配達されたモモ🍑

赤ちゃんのお尻みたい。蒙古斑。🤭

美味しいのかしら?