お孫に思うこと。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

昨日、3号が幼稚園をズル休みして

うちに来ていた。

もとい、

娘が超絶スケジュールだったのもあった。

ニヤニヤ


この子は末っ子らしく言いたいことを言うが

その反面、ものすごく忖度もする。


こちらの気持ちが良くなることを

常に考えている様子がうかがえる。


まだまだとっても小さかった頃、

娘と一緒に遊びに来た3号に

お茶を出したことがあった。

リサ・ラーソンのマグカップ2つと

コッツウォルズの瀬戸物屋さんで買った

マグカップを出したら、

お母さんに白い方のリサラーソンを渡して、

さて、どっちを選ぶのかなと見ていたら、

「グランマはどっちがいい?」と聞いてきた。


とても驚いた。


まだ3歳とか、それくらいの頃だ。


「どちらでもいいわよ」

「そしたらベコねぇ、こっち」と

ようやくピンクのリサラーソンを手にした。


こんなに小さいのに、

みんなを幸せにしたい、

みんなを満足させたい、

延いては、

どう思われるかを小さな頭で

考えているのかもしれない。


大きくなるに従って、

周囲の人を気遣う頻度はもっと増えてきた。


一つのよい性癖だと思うが、

家族の中にあって、

特に私にあってはなくてもいいな、と思う。


「グランマが喜ぶかな、と思って」

「グランマが好きかな、と思って」は

どんどん増えていく。

心から感謝しながらも、

「いいのよ、ベコが一番幸せだなって

思うことをすればいいんだよ」と

言うことにしている。


3号は男の子が二人続いた後、

婿殿の願いが通じて生まれた女の子だ。

婿殿は、それはそれは可愛がっている。


そして、私もとても可愛がっている。

喜びが形になるとしたら、

こうではないか、と思うほどだ。

しかし、それは時々、余裕のなかった

自分の子育て時代への罪滅ぼしのような、

そんな気もするのだ。


3号を愛すれば愛するほど、

長女と次女への愛が今更のように溢れ出す。

特に、次女は3号と同じく男の子が

二人続いた後に生まれた女の子なのに、

すぐ上の次男坊が私にとって可愛すぎて、

それほど大切にされなかったかもしれない。


本人にもそう言われるし。🤣


でも、全員、よく育ったと思う。


そして、未来が広がるお孫たち、

特に末っ子と重なる3号もまた、

自分を大切に、皆から愛され、

皆を愛する人になるかしら、、、

と、思っている。


さて、本日は、私の末っ子のお誕生日だ。

27歳になった。

おめでとう。



人が好きな人。

2日ぶりの登園らしい。笑

ずっと人が好きありますように。