先日からニュースになっている前園さんが川村美術館の美術品を
買い上げる意欲をみせたりしていることなどを
受けて、もしかして前園さんは安宅英一氏のような
存在として歴史に名を残そうとしているのか?
そんな思いがちらちら何かの折に湧き起こってくる。
折しも今年安宅英一氏寄贈のコレクションがある
大阪市立東洋陶磁美術館がリニューアル・オープンしたところだった。
公私混同の安宅英一氏が安宅産業を潰したとか
シャヒーン(レバノン系米国人実業家ジョン・M・シャヒーン)
と社賓(安宅英一氏の役職名)という謎の役職名の
両方向から崩れて行ったなどと揶揄されるが
安宅コレクションはそれでも素晴らしい。
何度見ても魅せられる。
MOCOコレクション 私小学生の時の
友達からの呼び名がモコだったので
なんか一層親しみ深くꉂ(ˊᗜˋ*)
今でも当時の友達は私をモコちゃんって
呼びます(≧∇≦*)
青花辰砂蓮花文壺 朝鮮時代 18世紀後半 高44.6cm、径34.2cm
安宅コレクション観てすごく好きで浅川兄弟が
通った鶏龍山を訪ねたりしました。
https://www.ccma-net.jp/wp-content/uploads/2021/08/2011asakawa_press.pdf
1920年代以降、 浅川兄弟の活動によって李朝の陶磁器や工芸品は一躍注目を浴びることになります 。
ふたりは時代を代表する陶芸家、 研究者そして数寄者たちのよき協力者、
導き手として朝鮮時代の美術を紹介しました。 なかでも彼らが柳宗悦(1889-1961)に影響を与え、
そこに河井寬次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)、
富本憲吉(1886-1963)たちが加わったことにより民芸運動は具体化しています。
浅川兄弟の手を経て日本に持ち帰られた壺は
やがて「美の猟犬」と言われる安宅英一氏の手に落ちる事となる。
『貞洞(伯教さんの家)で遊んだ。
(中略)
蓮の花を例の蓮華染付の壺に挿したら美しかつた。
部屋中に輝いた。
牧栄(伯教さんの長女)はお嬢さんの様だと評した。
子供の実感は当たつてゐる。』
伯教さんの娘さんはお嬢さんの壷と呼んだと言う。
当時原語では「コンジュニムの壷」と言っていた話も聞いた。
コンジュは公主콘주で王の娘を表す。
princessの事である。
実際は、伯教さんの娘さんは「お嬢さん」より
もっと高貴な存在だと肌で感じたのかもしいれない。
この壷は朝鮮の画員 金弘道やその周辺画家が描いたという
話しがある。
実際に金弘道が描いたかはわからないが
少なくとも筆の運びが
陶工によるものではなく
朝鮮王朝のお抱え絵師自らが陶磁器の絵付けに
加わっていたと推察される貴重な資料でもある。
安宅さんも中村紘子さんのパトロンになったり
音楽界に多大なる影響を与えましたが
前園さんもHIMARIさんにバイオリンを提供しています。
前園さんがどれくらい美術コレクターとして
ヤルのかちょっと気になってるのですが
バスキアも123憶ってなに?
123で悪魔教?
藤原ヒロシ さんが
Hiroshi Fujiwara in DUB CONFERENCEで使ったバスキア
これその頃藤原ヒロシさんが
1000万で買ったと聞いたと思う。
当時まだバスキア知ってる一般人あんまりいなくて
1996年にバスキアの映画作られたけど
藤原ヒロシ さんが買った頃はまだそんなに高くなかった。
前園さん本当に123憶で買ったのかな?
もしかしたら彼はコレクターじゃなくて
別なミッションを欧米から受けてるのかな。
なんか胡散臭い。